無意識日記
宇多田光 word:i_
 



今回のアルバム『BADモード』のひとつのトピックとして、ヒカルの愛息くん(通称ダヌパくん)の活躍がある。『BADモード』ではひたすらEの音をバイオリンで奏で続けて[Violin:Artist's Son]というクレジットを獲得し、『気分じゃないの(Not In The Mood)』ではなんと自らアイデアを提案して自分で歌ってみせて見事採用され、これも多分共作としてクレジットされるのかな、兎に角なんかえらい活躍ぶりである。

この子、つい3年半前の前作『初恋』では『こーりゃなんだ?コリアンダー!』としか言ってなかったんだぞ? それも何度マイクを向けてもなかなか言ってくれなくてやっと何気なくボソッと呟いてくれたのをヒカルをはじめとした周りのレコーディング・スタッフが躍起になって漸く録音できたという話。つまり当時はレコーディングがどんなものかすら理解していなかった御仁なのだ。男子三日会わずば刮目して見よとはいうが、3年経ったら最早全くの別人ではないですか…。

これ、冗談抜きに次作がヒカルとのユニットになってても全然驚かない。ヒカルがCubic Uのアルバムにとりかかったのは恐らく13歳なゆだろうし、それ以前にもcubic UやU3でもレコーディング経験がある。そんな早熟な天才だった親にマンツーマンで育てて貰ってはいつ才能が開花するかわかったものではない。2015年の6月7月生まれだったかな? それならヒカルの次作が2025年だったりしたら10歳前後だ。いやスティービー・ワンダーやマイケル・ジャクソンならもう稼いでた年頃になるか? 現実味があるなんてもんじゃない。

だが、ヒカルがビルボードのインタビューでも語っていた通り、「有名になること」のリスクというのはげに恐ろしい。記者に追い回されて交通事故で亡くなる人まで居るのだ。文字通り命懸けになる。親の亡骸を送る道程すら阻まれる異常な状況。ヒカルはそのことを身を以て知っているのだからそれはそれはもう慎重になるだろう。

そう考えると、ダヌくんの大活躍を微笑ましく眺めていられるのは今回が最初で最後になるのかもわからない。思春期に差し掛かっていくなかで露出を控えたがるかもしれないし、逆に本格的なデビューに向けて動くかもしれない。スポーツ選手や研究者も夢の一つだというのだから、彼の人生がどこに向かうかなんてまだ誰もわからないのだ。

そんななので、この、一期一会というべきか、またとないかもしれない愛おしい機会を存分に愛でておこうではありませんか。それにしても、ほんと母親とよく似た歌声だね。あたし最初ヒカルの声にエフェクトかけただけなんだと思ってたよ…。

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今回も「歌詞は実話ですか」というよくある問いに対して『そんなわけない』といつもの返しをしているヒカルパイセンでありますが、これって両面あるものでして。

今回特に目についたのが(ってツイッター検索しただけだけど)、『BADモード』の

『今よりも良い状況を
 想像できない日も私がいるよ』

の一節に対する反応の数々。一言でまとめれば「泣けた」と。うんうん。

どうしてこういう反応が来るかというと、ヒカルにそういう風に優しく話し掛けられていると思えるからだよね。これを“歌詞の中の(誰ともわからない)登場人物の台詞”として捉えてたらとても泣けるとかにはならない。テレビドラマや連載小説なんかでそこに至るまでの長々としたプロセスを共有してるとかならまだしもね。アルバムが始まってまだ3分5秒しか経っとらんのよ。なのでそこで何かを共有してるとすれば、今までヒカルの歌声と共に過ごしてきた何年間何十年間の日々の方でしょう。

つまり、ここで大切なのは、宇多田ヒカルという人が、その人自身として、その人の心の表明をこの場面でしてくれているとリスナーの方が受け取ることなのだ。でないと心に響かないっしょ。これは、歌詞の言葉が実際に生きているヒカルさんと結びつけられて捉えられているから起こること。

これって「歌詞を実話と捉える」ことと地続きになってる。というかほぼそのまんまかもしれないな。単なるお話、フィクション/虚構、ファンタジーとして歌詞を捉えるなら、ある程度そこでの登場人物に感情移入してないといけない訳で。(…昔アニメ「けものフレンズ」の魅力を語るときに「王道の(時に陳腐ですらある)寓話的物語も、登場人物に感情移入することでリアリティをもって受け止めることが出来る」と熱弁を振るった記憶…)

なので歌詞が実話かどうか気になるのは、そこでずっと生きてきたヒカルさんが生身で歌っているからで。ヒカルさんへの感情移入が出来るかどうかってのが大きなポイントになってくるのよ。『そんなわけなくて』と言いたくなる気持ちは痛いほどよくわかる(恐らくその手の追及は突き飛ばしたくなるくらいにうざったらしい)のだけれど、そこには宇多田ヒカルという大きな物語を感じているリスナーが存在している訳でして。うむ、それこそが煩わしいと言われたら返す言葉もないのだけれど、一応ヒカルという芸名のもとでの活動という風にある程度切り離しておいてくれたらなとも、思ったりもしますのでした。

今回やっと(?)心置きなく実話として堪能できる楽曲『気分じゃないの(Not In The Mood)』が現れてくれた訳だけど、まぁこの曲はそんな風に“こちらに話し掛けてきてくれる”メッセージ性が皆無でして。あたしなんかはそれがとても居心地いいのだけど皆さんは如何でしょうかね。

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