無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『Gold ~また逢う日まで~』のサビの歌詞の話の続き。

『No, No, 知らないよ
 あなたのように輝けるもの
 No, No, 飾りにも
 誰のものにもならない Gold』

「飾りにも誰のものにもならない」ってのは制約された文字数の中でよくこの内容を表現できたなと感心する。『飾り』ってのは「お飾り」のことで、辞書を引くと「実質的な意味は持たず、体裁を整える為に置かれるもの」などとある。タイアップ先が「キングダム」、王国や王朝という意味の言葉なので、飾りの王、つまり傀儡政権とか摂関政治とかが思い浮かぶわね。今度の「キングダム 運命の炎」がどういうストーリーなのかは知らないが、そこらへんへの配慮も垣間見れる訳だ。

一方、宇多田ヒカルリスナーとしては、『PINK BLOOD』の『王座になんて座ってらんねぇ 自分で選んだ椅子じゃなきゃダメ』の歌詞なんかを思い出す。誰かにお膳立てされた地位がお飾りになるか否かは場合によるとしても、『自分で選んだ椅子』ってのは「王朝初代皇帝」みたいなのも思い浮かべるわね。「キングダム」は秦の始皇帝の物語の筈だし、リスナーの連想をそこまで導くのは…ま流石に想定してないか。『PINK BLOOD』の歌詞まではねぇ?

寧ろ『BLUE』の『栄光なんて欲しくない』の方が連想は強いかな? お飾りとして華やかな人生を歩むことが栄光と呼べるかは兎も角、その前段で「あなたのように輝けるものを知らないよ」と言っているだけに、ここで意図する「輝き」は『BLUE』に於ける「栄光」とは似て非なるものなのだろう。

また、『誰のものにもならない』というのも、漫画原作的には誰かに操られたり、或いは誰かの下に就いたりというのをよしとしない態度を指すのだろうけど、歌単独で考えたときにリスナーに響くのは、親や教師・学校によって進路を決められたり、恋人や配偶者に色々と指図をされてやりたいことが出来ない状態だったりといった人生や生活の中での苦難を想起させる場合ではないだろうか。つまり『誰のものにもならない』=「自分で自分のことを決める」という意味なので、同じく『PINK BLOOD』の『自分のことを癒やせるのは自分だけだと気づいたから』とか『キレイな人(Find Love)』の『自分の幸せ 自分以外の誰にも委ねない』といった歌詞が想起される訳だが、ここに到ればそもそもヒカルがこの『Gold ~また逢う日まで~』について最初に出したコメントである

『今の私が思う幸福とはなにかの歌ができました。』

という言葉が、これまでの、ここ最近の宇多田ヒカルの歌の歌詞の作り上げてきた大きな流れに自然に沿って出てきたものであることが見て取れて、なるほどこの最新の歌詞もまた、タイアップ相手への配慮をしつつもシンガーソングライター宇多田ヒカルの真っ新な新曲としての立ち位置を何の妥協もなくしっかりと確立しているのだなと、そして恐らく、ここから更に次の宇多田ヒカルの曲へとバトンを繋いでいくのだろうなと、こちらち強く確信させる自然体さをよくよく感じ取る事が出来て、いやほらだからもうこのワンコーラスだけで私が満足しちゃったのもわかるでしょと押しつけがましく(笑)言いたくもなるのですよ、えぇ。ほんにいい歌だよ『Gold ~また逢う日まで~』は。1分ちょっとだけで、既にね。

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ちょっと先のことを夢想する。前回例に出したYOASOBIの「アイドル」なんかが顕著な例だが、今のチャート上位曲は競い合うようにギミック満載で兎に角情報量が多い。作り手側がボカロ世代からYouTube動画、そしてショート動画世代へと順調に遷移してるってことか。YouTube動画ってのは地上波テレビなどに較べて元々倍速かってくらいに矢継ぎ早で密な構成と編集をとっていてそれを観る側が更に倍速再生で速度上げて観たりするので、この邦楽のトレンドってのはリスナーの性質に合わせた順調な進化(環境に適応していってるという本来の意味でね)だと言えるのかもしれない。まぁ主にOfficial髭男dismのブレインの人のせいな気もしますが。ほんとアタマよさそうなのよね。どんだけ音楽的ギミックを操れるのやら。それはさておき。

んで、そんな空気感の中、半月後には宇多田ヒカルの『Gold ~また逢う日まで~』がチャートに登場するというのなら、その異質さが際立つだろうなぁと思う。勿論他にも静かな曲はあるんだろうけど、作曲の世代が違うから脈打つリズム自体が、時間の流れ方自体が全く異なるこの曲が流れてきたらそれだけで癒されるだろうな。

よくよく聴いたら現時点での80秒でも既に音楽レシピマニアを唸らせるようなアレンジがところどころに施されてるようなんだけど、そこはあんまり要点ではなく、第一印象として少ない情報量ならではの癒しをチャートに与えてくれるとしたら、『BADモード』アルバムに溢れた今様世代をも上回る情報量の膨大さと象徴的な対比を描くだろうな。基本的にピアノの弾き語りスタイルだからね。ヒカルがピアノ弾いてるかどうかは別にしてね。

『のぅうぉうお のぅうぉうお』の部分も、もっと凝った音韻の歌詞を当て嵌められたろうに、ただゆ
ったり歌うだけにしてあるし、ヒカルが「キングダム」シリーズという、邦画で今いちばん勢いのある?作品に携わるということで、チャートの中でどう響くかというのも頭の片隅にはあったかもしれない。その結果が「チャートの空気感は全く気にしない」このサウンドになっているのだとしたらなかなかに痛快ではあるのだけど、兎にも角にも歌が上手い。結局それで寄り切っていくのだからこの人は横綱というか何というか。曲の含む「間合い」で聴かせるとか、演歌世代、昭和世代の発想よねぇ。

なのでこれ、40代以上の、昭和を知ってる世代に受ける曲だと思うんだけど、そこくらいになってくると今度はあんまり音楽のサブスクに入ってない世代になってくる?? だとすればミスマッチが起こるなぁ。CD出したら案外売れたりして、と考えるのは欲目かな。

一方、10代20代の若いリスナーにはどう響くのか、そこんとこも勿論知りたい。流石にこれだけ年齢が離れてると、想像がつかなくなってくるので。


…なぁんていう妄想の数々も、フルコーラスで聴いたら軒並み漏れなくすっ飛んじゃうかもしれませんが! 静かなピアノバラードの小品で終わっても全然いいと思うんだけどヒカル直々に『大音量で』って言ってるんだもんな。うん、公開・解禁まであと2週間となりました☆

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