無意識日記
宇多田光 word:i_
 



日常が大事。誰にとってもね。


さて、『Gold ~また逢う日まで~』のサビの歌詞を今一度振り返ってみましょう。


『No, No, 知らないよ
 あなたのように輝けるもの
 No, No, 飾りにも
 誰のものにもならない Gold』


最初と違って、まだテレビ画面で歌詞字幕は流れてないのかな? これは所謂“聴き書き起こし”なので、間違っている可能性に留意しといとくれ。

まず唐突に『知らないよ』と歌い始めるのが耳を惹く。トレイラーの通りの繋がりだとすればこの直前の歌詞は『いつかまた思い出話する日の花になる迄』な訳で、いやそれ突然何の話?となってしまう。

恐らく、ヒカルは関西弁でいうところの「知らんけど」にあたる使い方を(標準語の口語体で)目論んだのではないかな。「知らんけど」という言葉は、言い方と言う文脈によってその意味合いが非常に多岐に渡る事で有名だ。なので、この言葉だけを目にしてもどういう意味なのかは判断できない。前後の文脈を明確にするか、発話者の発音を正確に把握するかしないといけない。つまり、「儂はこの“知らんけど”の意味なんか知らんけどな」ってこっちゃね。

ヒカルはつまりこの『知らないよ』でリスナーに「どういう意味なのだろう?」と訝しんで欲しいのだ。その「?」に向かって次の『あなたのように輝けるもの』が放たれて「嗚呼、そういう意味合いだったの」と合点がいく構成である。倒置法ならではの効果なのだ。普通に書けば「あなたのように輝ける者を(私は)(他に)知らないよ」となるだろう。「私は」と「他に」は歌の尺に入らなかったというか、言わなくても伝わるという見立てかな。ここは敢えて英語にした方がわかりやすいかもしれないね。

" I don't know anyone as brilliant as you. "

この英語の語順に沿って日本語で歌っているということだわさ。


この、否定から入ってリスナーを惑わす作詞、今まで私が率先して例に出してきたのは過去約30年間ずっと槇原敬之の「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」だったのだけれど、今年このジャンル(?)に於いてもっと知名度のある楽曲が誕生致しまして…!

「妬み嫉妬なんてない」「わけがない」
「これはネタじゃない」「からこそ許せない」
「完璧じゃない」「君じゃ許せない」「自分を許せない」

そう、YOASOBIの「アイドル」ですわね。この歌の2番の歌詞は「日本語歌詞で“ない”を畳み掛けた時の面白さ」が凝縮されていて、今後抜群の知名度も相俟って盛んにここの部分が引用されていく事でしょう。もっとも、それすらこの曲の魅力の極一部でしかないからこの曲は凄いのだけど、私たち宇多田ヒカルのリスナーはこの曲を取り巻く今をときめく騒々しい喧噪とは真逆の空気の中で今回の新曲『Gold ~また逢う日まで~』を味わえている訳で、この対比が何だかとても面白い。その空気間の違いを味わうのが目下私のマイブームなのです。

そういう空気の違いの中にこの『知らないよ』が流れてきたので、思わず笑ってしまいました。異なる空気間同士で似たような作詞術が扱われていて、いや歌は楽しいなとね。次回もこの続きについて語りますわね。

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おやおや、@utadahikaru と @hikki_staff のTwitterアカウントがTwilogに再ログインしたようで。昨日朝未ログインだった事を確認しているから昨日日中の事だ。一昨日朝にこの日記で「何故にTwilogに再ログインしないのか?」と詰め寄った甲斐があったというもの。関係あるかはわかりませんがでも毎日アクセスする身としてはほんにありがてぇ。どうもありがとう。

さて、触れてきた通り、Twilog再ログインは「Threadsが出てきたけどTwitterは少なくとも暫く辞める予定ありません」とヒカルとスタッフさん共々宣言した事になる訳で、なんだか新しいSNSが出てるらしいぞと不安になってる人には朗報となる。そうでなくても今まで育んできたフォロワーさんたちとの関係性をリセットするのは損だからねぇ。

とはいえ、そのTwitterで飛び交う罵詈雑言の数々には益々辟易する一方でさ。例の裁判についてで表示されたおすめツイートも、まさか私のところにヘイトど真ん中のが流されてくるとはな。思わず「エコーチェンバーはどうしたんだよ!?」とリアルで呟いてしまった。自分に近しい意見の人の発言ばかり集めて視野が狭まる負の効果を指した用語だが、こういう時には正の効果になるのね…その後自分の目から見て「冷静な人達」のツイートを踏みまくっておすすめツイートを正常化したつもりだけど、あの様子だとまた流れてくるんだろうなぁ。あーヤだヤだ。

その上、昨日はりゅうちぇるの訃報が流れてきてね。関連ツイートの悲惨さは目を覆うばかりだった。彼(※ここではこの代名詞で書きます)とその周りの人達については全然詳しくないけれど、彼のような、魅力もあれば弱さもある人間らしい人が幸せに暮らしていけるなら多分世の中捨てたもんじゃないなと思って昔ここでも名前を出した事がある(そういう書き方はしてなかったが)ので、今回の訃報は彼について興味が無いというのに落胆が凄い。それが原因かどうかわからないが、Twitterや各ポータルサイトに寄せられるコメントなどを見ても、「これだけ(恐らく万単位の)ヘイト浴びせ続けられたらそうなっても仕方ないわ」と納得してしまうようなひどいひどい言葉が大量に。それを何年にもわたって浴び続けてきた彼が亡くなった。心よりお悔やみ申し上げる。私は有名人ではないので明日は我が身などとは言わないが、心境として辛い。元気出していかないとだわ。

これからも何度も繰り返して言及するつもりだが、性的少数者への迫害と虐殺は、宇多田ヒカルが好きな者にとって全く他人事ではない。ノンバイナリというのは、性的少数者としてLGBTQ...と呼ばれる人達の中でも更に少数派である。「くみしやすし」と政治的なボードゲームのコマとして今はトランスの人達が狙われているが、いつ同じく槍玉に上げられてしまうかわかったものではない。今ロンドンで暮らしている事に心から安堵する。イギリスの英語圏が健全かどうかは知らないが、流石に日本語圏ほどは酷くないだろう…と願いたい。希望的観測。ま、英語圏じゃそんなに有名じゃないしな。そこに期待しよう。

「大谷球宴出場」や「明日の天気は」と同じノリで慎重に取り扱うべきワードで第一報を流し込んできたポータルメディアについてとかまだまだ色々言いたいことはあるんだけれど、生きている我々は「亡くなった筈の人達がこうであってほしかったと願う日常」を暮らしていく義務がある。無理を言いますが、そして繰り返しになりますがっ、今日も元気に参りましょうぜ。これから寝る人は、どうにかぐっすりおやすみなさいませ。

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