無意識日記
宇多田光 word:i_
 



そういえば宇野さんがドラマ『First Love 初恋』に関して、「世界中で大ヒットしてるような宣伝してたけどあれ実際はアジアだけ」みたいな事言ってたな。ハイプだとまで(不当な誇大広告だってこと)。なかなかに思い切ってぶっちゃけてたなぁ。

確かにね、紛らわしかったのよ。実際、昨年末には

「First Love 初恋」3週連続Netflixグローバルトップ10入り
https://www.cinematoday.jp/news/N0134142

だなんて見出しが躍る記事が出てたんだけど、よくよく読んでみれば

「グローバルトップ10のテレビ・非英語部門で9位となった。」

って書いてある。これ読む前は「全世界のNetflix総合でトップ10に入ったのか!凄いな!」と思ってたのに実際には「非英語部門」というマイナーでローカルな部門に限ってのランクインだった、っていうね。

嘘は言ってないのよね。ただ、見出しだけだと紛らわしい。とはいえ、もっと酷いと優良誤認とか言われちゃうけどそこまででもないし。程度問題だから判定は難しい。

今これを読むまでドラマ「First Love 初恋」は全世界規模の大ヒットだったと思ってた!って人がどれくらい居たか、そして、その事実を知った時点でその人が「紛らわしいな!」と記事を書いた人や見出しを書いた人に怒ったか、或いは「よくよく読まなかった自分の不注意だったな」と反省したか。このどちらに転ぶかで事後の印象と評価は変わってくるんだよね。


今回はドラマだったが、宇多田ヒカル公式も少し危なっかしい橋を渡る事が度々ある。例えば、

「宇多田ヒカル『Fantôme』が国内外で100万枚突破。全アルバムがミリオンセラーに」
https://rockinon.com/news/detail/154872

こんな見出しが躍ったことがあった。ヒカルの誕生日当日(&『忘却MV配信)に合わせてぶち上げられた景気のいい話だ凄いねぇと思ったが記事を読んでみると

「宇多田ヒカルの最新アルバム『Fantôme』のセールスが、CD出荷およびデジタルの配信(国内外含む)あわせ100万枚を突破した。/内訳としては、フィジカルCD出荷が78万枚、デジタル配信(バンドル)が22万枚となる。」

と書いてある。「売上枚数と配信数でもなくて、出荷と配信の合算なの!?」と、ちょっと頑張った計算の仕方に些か驚いたものだ。というか、よく気づいたなそれ合わせるとミリオンになるって。まぁ、どっちにしろ凄いんだけどね2017年の時点でCDを80万枚近く出荷するって。でも、「ミリオン突破!」って言いたいがための特別な計算の仕方だったのは明らかだった。

でも、これくらいなら好感度が下がるとかにはならないよねぇ? と誰にともなく同意を求めたくなってしまう。どこらへんまでなら好意的にとられて、どこらへんから誇大広告だと謗られ仕舞いにはハイプだとまで詰られるのか、これ本当に難しいのよね。その都度そのときの空気を読みながら発信していくしかない。でも、こういうのがある程度許されているとすれば、それこそが宇多田ヒカルが積み上げてきた好感度の賜物なのでその事自体は誇っていいんじゃないでしょうかね。なんか逆説的な結論だけどもさ。

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ファンダムに居るとよく「周りにHikkiについて話せる人がいません!」という声を見掛ける。もう20年近くずっとそう。これは、毎度言ってるとおりファンクラブがなくファンダムの規模がかなり小さいため必然的なものなのだが、それに加えて前々回指摘したように、「クラスタで見てもわからないから」という理由が大きい。これが見つかりづらさに拍車を掛けている。


筆者が小中高生の頃を思い出すと、例えば洋楽を常に聴くような知人はクラスに2~3人程度だった。まだ学級規模が40人超の頃の話だ。なのでそういった友人知人は貴重ではあったのだが、他のクラスに行ってもそこにもやっぱり2~3人洋楽リスナーが居てくれてるので、クラスを横断しさえすれば5人10人と洋楽ファンを見つけていくのは容易かった。更に部活などの繋がりで先輩後輩も居るしね。まだ一学年5~6クラスの時代の話。

実際、洋楽を聴きそうなヤツってそれなりにわかる。英語の成績がよかったり、常にヘッドフォンを身につけていたり、カバンにGUNS & ROSESのステッカーを貼ってたり(笑)。それに、なんだかんだでよくつるんでいたりするので、人伝に知ることも容易かった。CD時代なのでCDを貸し借りできる相手が増えるのはデカかったのですよ。

てなわけで、クラスの中でのほんの数パーセントに過ぎない「洋楽ファン/リスナー」でも、なんとかして仲間を見つけることは出来たのだ。全く社交的でない性格の自分でもそんなもんだった。

恐らく、宇多田ヒカルを聴くリスナーも、多分実際にはクラス毎に1~2人は居るだろう。今の時代であっても。だが、ぱっと見じゃ全然わからないのだ。どういうタイプの人間が聴いているか、どのクラスタの仲間に声を掛けてみればいいのか、事前情報が全く役に立たないのである。「それっぽい人たち」が居ない。

運良く学級クラスの中で他のアーティストの話に続いて宇多田ヒカルの話が出て自分もよく聴きますなんて人を見つけたとしても、ここから先が続かない。他のクラスに居る宇多田ヒカルファン/リスナーは、これまた見た目では全然わからないからだ。やっぱり事前情報が全く役に立たない。結局、どこまで行ってもフリダシから仲間を探す羽目になるので全く効率がよくない。

では、と言って自分から周りにアピールしまくれば仲間を見つけられるかというと、これがまた一筋縄ではいかない。幾らクラスタを縦断・横断してファンを獲得していると言っても、それなりの傾向は存在するのですよ。それは、これも前言したように「孤独と向き合う(向き合える)」性向が、宇多田ヒカルファンにはみられるということだ。これは至極単純に、ヒカルの歌詞のテーマの主要な部分が「孤独について」だからで、これはもうアーティストシップそのものだから今更そうそう覆らない。結果「ひとりで(私だけの)ヒカルちゃんを愛します」という人が多く、なかなか自分からファンですとは名乗り出さない。これでは見つけようもないわね。

つまり、たとえ仮に日本の洋楽リスナーと宇多田ヒカルリスナーが同数存在するとしても、見つけづらさは宇多田ヒカルリスナーの方が遙かに上になってしまうのである。いうなれば、洋楽リスナーはクラスの中で“局在”していて、そこに辿り着けさえすればそこから(他クラスや他学年に)展開して同士を増やしていけるが、宇多田ヒカルリスナーはどこまでいっても“点在”しかしていないから、たとえ誰かを見つけたとしてもそこから展開していく力も弱い。結果、やっぱり「周りに宇多田ヒカルの話が出来る人がいない!」といういつもの事態がずっと起こり続けるのである。

これが曲単位だと話が変わるんだよねぇ。「『First Love』っていい曲だよね」という一言は、洋楽邦楽はおろか、普段音楽を聴かないような人にすら通じてしまう(少なくとも私の世代までは)。なので宇多田ってめっちゃ有名じゃん!とはなるのだが、熱心なリスナー/ファンとなると途端に見つけづらくなる。更にライブコンサートツアーも少ないとなると、点在するファンに巡り会う機会も滅多にない。やっぱり、手許のスマホを開いてインターネットで仲間を探すのがいちばん容易いということになる。我々がこうやって知り合えてるのは、ほんにテクノロジーの恩恵なんですな。ヒカル自身も含めてね!

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