無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ヒカルにはヒカルの「やりたいコンサート」があるだろう。そして、うちらリスナーにも勿論「観たい聴きたいこんなコンサート」ってヤツが存在する。

私の場合、今週の流れから察せられると思うが、「極上のサウンドのコンサート」が観たい、聴きたい。照明? 舞台装置? 凝った演出? いやいや、サウンドエンジニアリングに予算を全フリして欲しい。いい音でヒカルの歌を聴く。まさに天国。世界一腕の立つPAマスターを雇ってくれるならチケットの値段は十倍で構わない。本気だ。

本当はホールやアリーナではなく、もっと近くで観たいし聴きたい。しかしそれは叶わない。いや勿論、『Utada Hikaru Unplugged Part 2』が開催されて当選すれば別ですけど。

でも実際、どこか音のいい会場で最高のエンジニアリングでサウンドメイキングしたスペシャルコンサートをヒカルが開いたとしたら、チケット代が5万円とか10万円程度ならどれ位売れるだろう。土日の都心のマチネーなら1000人や2000人は瞬時、いや10000人でも埋まる気がする。そんなサイズで音のいい会場知らんけど。

いい音はそれだけで溶ける・蕩ける。それがヒカルの歌となると本当にどうなるかわからない。感動に打ち震えるどころの話ではないかもしれない。

現実は異なる。ヒカルは、ツアーをやるならば来てくれる人たちを最大限楽しませようとするだろう。自分のファンが、何をどうしたら喜ぶかを考え抜く筈である。そしてヒカルのファン層は幅広い。老若男女に娯楽を提供するのだ。歌だけではない合わせ技で来るに違いない。

私はその幅広さの端っこの方に居る人間なので、自分の言っている事が少数派なのは承知している。普通、音がいいだけでただでさえ高価なチケット代を十倍払ってもいいだなんて言わない。でも本音なので仕方がない。「いい歌をいい声といい音で」。うーん、書いているだけで気分がよくなってくる。魔法かこれは。

『In The Flesh 2010』の時、スタンディングの5〜7列目位で観ていた。随分近い。しかし出音は、ギターの音が大きすぎて辟易していた。それも暫くしたら改善されて、サウンドメイキングは気にならない程度になったのだが、仮にあの距離感でサウンドも極上だったらもうその場でどうにかなっていただろうな。あと笑顔がかわいい。近くで観るとよくわかる。なおラジオの公開収録が狙い目だ。かなり近くで太股が拝めた。何の話だ。脱線したわ。

まぁ『In The Flesh 2010』でも太鼓を叩いた時の逞しいTシャツごしの背筋は忘れられないのですが。やたらリズムが正確で驚いたんだよな。

という訳で読者の皆さんもヒカルにどんどん要望を言うべきだ。ヒカルサイドはファンがコンサートに何を求めているかを知りたがっている。というか、言うだけ言ったら「じゃあ」となるかもしれないじゃない。気にすることはない。こんなライブに行きたいこんなコンサートが観たい。大いに結構。今私は記した。音のいいライブが観たい、と。Twitterのメンションとかでどんどん呟いてしまいましょう。そうこうしてるうちにきっとツアーが決まるんだから。後悔せぬよう、言いたい事は言っちゃいな。

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『Eternally Drama Mix』発売から9年ねぇ。後にコンピレーションに収録される事でCD化を果たしているとはいえ基本は配信限定だった。その前の『Prisoner Of Love』まではフィジカルシングルが出ていた訳だから、ヒカルの新曲が配信限定になってちょうど9年という事になるのか。Drama Mixを新曲と呼んでいいかはわからないが。

良し悪しは当然ある。そもそもフィジカルを買わなくなったリスナーが"悪い"訳で、なのにフィジカル発売したくなった途端に「CDで欲しい」と言い出すから始末が"悪い"。…こう書く事も出来るし、「時代に合わせてフィジカルを値下げしなかったレコード会社が悪い」とも言える。しかし悪者探しは私たちには関係ない。

やはり、まず店頭で買うというのは高揚感を助長する。店内のレイアウトをみて、今回の新曲は力入ってるなーと何となく思うだけで歌の伝わり方が変わってくる。アナログレコード時代はもっとサイズが大きかったし再生行為も恭しかったから、更に高揚感が増していた。儀式の力で音楽の価値が上がっていたのだ。自然と聴く耳にも力が入った。

配信時代はあっさりし過ぎているほどあっさりしている。その軽さに合う音楽ならいいのだが、例えばヒカルの『Be My Last』などはアナログレコードで買った方が評価が高かったのではないか。音質の問題ではなく、リスナー側の心構えの違いで。

本来なら、だから配信限定シングルは気楽に聴けるタイプの曲を選ぶべきだ、と話が続くのだがヒカルは全くその点に関して頓着していない。『真夏の通り雨』なんて12インチシングルに針を落として聴くような重厚さだ。それに見合ったフォーマットを考えたい所なんだが現実はまだいい案が思い浮かばない。できればリスナーの心理を誘い込める"聴かせ方"を見つけたい所なんだがな。

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