無意識日記
宇多田光 word:i_
 



店頭での2分のショート・バージョンを聴いたのを経て、『あなた』について気がついた事があった―のはいいのだが、おいそれと書けるような話ではないのでフルコーラスを聴くまでは封印しておこう。

いつもならサンプルを聴いた時点で「妄想を繰り広げられるのも今のうちだ」とばかりにあれやこれやと何千字も費やすのが常なのだが、今回はもうそういうリズムになりようがない。すかさずヒカルによるオフィシャル・コメントが公表されたのも大きかった。別に悪い事じゃないが、テーマが限定される事でいつもなら「妄想の為の余白」である部分が「足りない情報」に変質している。なるほどこうなるのか。いい勉強になった。もう私の脳は"勝手な妄想"を拒絶して慎重になっている。こうなったら私の力ではどうしようもないのだ。

それはそれとして。

今気になるのは、リスナー側の盛り上がりである。今年の春に私は『次の次の新曲は名曲になる』と書いてそれは結局『Forevermore』だったのだが、その"名曲っぷり"は私のような偏ったリスナーに響くものだった。一言で言えばマニアック。立ち位置としては『Passion』に近い。一部の人は絶賛するがそれが"浅く広く"伝播しないタイプ。その曲調を一夏思い切り楽しんだ(この日記を読み返せばそれは明らかだろう)私にはそれこそ"言う資格が無い"のだが、「宇多田ヒカルにはもっとダイレクトにキャッチーな曲が求められてるんじゃないか」という思いがどうしても拭えない。

『大空で抱きしめて』も結構キャッチーだと思うが、ご存知のように楽曲全体の構成で唸らせるタイプの曲で、そういう意味では「ダイレクト」ではなかった。そして『あなた』だ。心に沁みるいい歌詞が並んでいるが、シンプルにメロディーとしてみた時には突出したものがない。それはつまりこの楽曲が『真夏の通り雨』から連なる"日本語を大切にした歌"の流れにある作風だからであって、アルバム全体の中では相応の役割を担うだろうがシングル曲としては弱い。

したがって、三者三様にマニアックな楽しみ方が出来る『大空で抱きしめて』『Forevermore』『あなた』という配信シングル曲3連発はどちらかというと昔でいえば『Be My Last』『Passion』『Keep Trying』三部作みたいな位置付けになりつつある。ただ、その時はそれは狙った上での作風だったのだろうが、今回はどうなのだろう。

昨年の『花束を君に』だって、そこまでダイレクトなインパクトはない。結構入り組んだメロディーで構成されていた歌だとは思うが、魅力の伝わり方はシンプルだった。どういう思いを載せた歌詞なのかが伝わり易かったから、メロディーの美しさも浸透したのだ。更にアルバム発売直前に『道』『二時間だけのバカンス』という正真正銘「シンプルでダイレクトでキャッチーな」楽曲が投入されて『Fantome』の売上に火が点いたのだ。「やっぱり宇多田はいい」と。


まだ3曲だ。時間はタップリある。寧ろここから巻き返した方が今大ヒットを出してしまうよりアルバムの売上は上がるだろう。ただそれによってライト・リスナーたちが宇多田ヒカルの存在を気に留めなくなるレベルにまでになったらちょっと危うい。大丈夫だと思うが。総てが「これでよかった」と言えるくらいにシンプルでダイレクトでキャッチーな楽曲が一曲来れば総て丸く収まるのだ。それが出てくるまでは他のアーティストの皆さんの繰り出すその季節毎のヒット曲の"後塵を拝す"事になるのが、何だかモヤモヤした気分になるけど。無論これは『Fantome』が予想を上回る大ヒットを記録したから生じる"贅沢"に過ぎない。ある意味幸せな感覚ですわね…。

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歌詞可視化全曲、取り敢えず1stアルバムの分を書いてみた。いや勢い余って2ndも大半を書いちゃったけど。やっぱりこの日記は2006年以降書き始めただけなので(fc2の方は2004年から)1stや2ndの曲について語っていない。特に楽曲『First Love』が皆無なのは笑った。余りに有名かつ代表曲だとあらためて触れるまでもない、とどこかで思っているんだろうな。確かに、そのきらいはある。

しかしそれも、15周年記念盤の発売があったお陰で全くの皆無でもなかった。キャリアの長いアーティストが「○周年記念盤」を出すのはファンの為にもよい企画だ。今後も2ndアルバム以降の展開に期待したい…

…と、長期的展望をもってそう言いたいところだが、そうそうのんびりもしていられない。いつまで「CD」というフィジカルが通用するかが不透明だからだ。幾ら規模が縮小していくとはいえCD生産工場自体がこの国から無くなるとしてもあと20年くらいは大丈夫な気がする。毎度言ってるがアナログレコードもカセットテープも元気に生産中なのである。CD世代だけが薄情とも思えない。何しろ分母が違うのだから。

それを考えると取り敢えず『Fantome』までの作品は「記念盤CD」のフォーマットでのリリースは可能だという見立ては出来る。それでも、そんなに余裕のある話じゃない。ヒカル自身が、今もって現役感全開で新しいマテリアル作りに取り組んでいるのだから記念盤の編集に携わるのは無理な話なのだ。

なので、もう別働隊をハナから組織しておいてもいいかもしれない。アーカイブスを管理して、ヒカルが休養を取ればいつでも動けるような。具体的にどうという案はないのだが、単価の高い記念盤事業は収益面でも手堅い筈。我々より上の世代は高い値段でもいいコレクションならぽんとお金を出すものなのだ。音楽作品にはそういう"ステイタス"があった。今はもうないかもしれないが。

歌詞集『宇多田ヒカルの言葉』の第2弾が出版されるとしてもまた10年後20年後になるだろう。だったらそのフォーマットを各記念盤に移植して「ミニ・宇多田ヒカルの言葉』歌詞集をアルバム単位で記念盤に添付した方がいいかもしれない。20年経ったらまたそれを再編纂して第2弾を出版する、という計画で。

何がいいアイデアかはわからないが、検索が普通に溢れる世の中だからこそ先回りしてのアーカイブス整理が必要だ。今から考え始めても決して遅くはないだろう。

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