無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ひとつAKB48他のアイドル勢について問題だな、と思うのが、彼女自身達の問題ではない、オリコンの集計方法と発表手法である。

何のことはない、今の発表分とは別に、商品番号毎のチャートも発表すればよい。造作もない、というかそっちの方がたぶんラクなのではないか。バージョン違い商法の何がマズいかといえば売る方でも買う方でもない。だって、そこにどういう違いがあるかちゃんと表示した上で売り買いしてるんだもの(その違いが一見してわかりにくい、ってんなら問題あるけどね)。マズいのは、その違いが数字として前面に現れない事だ。そのデータさえわかれば、複数枚商法への非難も和らぐだろう。

また、昔テレビで小池社長(当時)が「同時に同じタイトルを複数枚買いしても1枚分しか集計にはカウントされない」と仰ってた気がするので、本当にそうならそれでほぼ問題はないと言っていいだろう。

上記の点を押さえた上でのチャートアクションなら、誰しも文句は出ないと思うのだがどうだろうか。まぁ、言ってる私は案外どっちでもいいよと思ってるんだけどね。で、そのチャートで争ったとしても今のアイドル勢にヒカルはかなわないだろうなぁ、と思う訳だ。

AKB48等のチャートアクションに関して「音楽で勝負しろ」と無茶な要求をするコメントをWebで時折見るが、アイドルにそんな事言わなくても、とは思う。第一、ヒカルだってチャートに関しては純粋に音楽"だけ"で勝負してるかといえば甚だ疑問だ。Flavor Of Lifeがあれだけ売れたのは、曲がよいのは勿論だが、花より男子2が面白くて視聴率が高かった、というのが何より大きいだろう。ドラマの助けを借りて売れたのだ。それは別に聴く機会を与えただけであって、売れたのは純粋にヒカルの楽曲の魅力だろうと言われそうだがそんな事はない。考えてもみよう、もし花より男子2の主題歌(って言っちゃダメなんだっけか)がFlavor Of Lifeでなかったとしても、花より男子2の視聴率は大して変わらなかっただろう。あのドラマはドラマ本体の魅力で売れたのだ。歌はその力強さに"肖った"だけに過ぎない。そういう意味ではかけ算ではある。勿論、私はドラマがきっかけで売上が上がる事にネガティブな気持ちはミジンコ程も
ない。ただ、音楽単体ってそんなに吸引力あるのかなという疑問はあるんだ。

本当に"純粋に"音楽で勝負したかったら、曲自体のスポットCMを打ち、CMやドラマ等のタイアップを拒んで音楽番組のみに出演して売上を見るべきだ。ルックスがよかったからとかトークが面白かったとかそういうので買われては純粋な勝負にならないのでテレビやラジオでフリートークをするのもいけない。ラジオで曲のみをかけてもらってそれで…

…うわ生きづれぇ。何が言いたかったかといえば、チャートに"純粋さ"なんて求めるのはかなり不毛だという話。円盤が売れたら、素直にその枚数を数えましょうという事だ。

しかし、思い返してみるとヒカルにはその"純粋"にかなり近いプロモーションを展開させた楽曲があった。FINAL DISTANCEである。あの曲のタイアップって何かあったっけ。兎に角、テレビ出演をせずにプロモーションに挑んだあの姿勢は画期的だった。お陰で連続シングル1位記録が途切れる(その前はむびのん、初恋、中毒、リスク、TLFY、キャンシーと5作連続、その後はトラベ、光、桜手紙、色々、誰願叶、BMLと6作連続で1位であった)のだが、そうまでしてもあの曲の純粋性、崇高さを守り貫きたかったのだろう。いや、そう考えるとあのシングルが60万枚?あれ何枚だっけ、そんな規模で売れたのは奇跡的だったともいえそうだ。そう、10年以上前にヒカルはその"純粋"に挑戦していたのであった。そして結果を出している。なるほど、そういう経緯があったから私はチャートをあんまり気にしていないのかもしれない。ならますますいいや。


でも一方で、ヒカルに数字で「本物のアーティストっぷり」を見せつけて欲しい、という声も根強く、光にそれが届いていない筈もないから、ある程度気には留めていると思う。ただ、CDを買ってくれたかどうかよりもぼくはくまを大声で歌ってくれた方が喜びそうな気もするんだよな…そういう、ヒカルに「本物感」を求める人たちが"ぼくはくま"という曲をどう思っているかいちど話をきいてみたいという興味はあるかもしれない。なお私個人の意見をいえば、昔から「みんなの歌」で曲が採用される事は"真のステイタス"だと思って生きてきたので、あの時はただ純粋に嬉しかったな。

なんだか話がとっちらかってしまった。そういう夜もあるっていう事で。

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総合娯楽として様々な要素と人員をフル回転させるようなAKB48に、素手同然で立ち向かっ…というか、まぁなんかで勝負しようたって勝ち目はない。彼女たちの勢いが衰えたとしても、また次のアイドルが現れるかもしれない。これだけの仕掛けを体験した後の世代なら、同じように総合エンターテインメント集団として機能してくるだろう。少し位の事では事態は変わりそうもない。ジャニーズも健在だしねぇ。

そういう状況で、どういう態度に出るべきか。私なんかは、AKB48は遠い国の自然現象という風に見ているから実をいうと特に気にはしていないのだが、市場を牛耳るまでになったとすれば、"様々な記録をもっていた"宇多田ヒカルの次の活動の際に今迄以上に何か言われる事が避けられないとすれば、面倒臭いなぁという溜息はちょっと出る。

そうなってくると、ちょっと意地悪な事も考えたくなってくる。例えば、ヒカルがAKB48のプロデュースをしたいなんて言い出したらどうするんだろう、とか。

もし発表されたら幻滅感で市場が埋め尽くされるだろうなぁ。あの宇多田が…って。しかし、アイドルのプロデュースをしてみたい、という発言をヒカルは過去にしているし、そこまで無理筋なアイデアではないはずだ。

とはいえ、ヒカルなら勿論矜持溢れる提案を次々とするだろう。劇場盤?何ソレ?初回限定盤ABC?なんで同じ曲のCDを3枚も4枚も出すの??いいじゃん1種類で…いやまぁヒカルはものわかりがよすぎる位よいのでこんなキツい言い方はしないかもしれないが、「私が曲作るんだったらそういうのナシ」という条件自体はやんわりと突き付けてくるかもしれない。

そうなった場合は秋元康とのパワーバランスになるな~。宇多田プロデュースという話題性をとるか、従来からの手法をとるか。タイミングが大事にはなってくるだろうが、今の所"宇多田プロデュース"の威光ってAKB48の勢いと較べるとそんなに御利益はないような気もする。やぱ破談かな~。

それなら、という事でヒカルが全く別の所からアイドルをプロデュースしてぶつけてくるというのはどうだろう。敢えて同じ土俵で勝負に…ないか。そもそも、今迄音楽的な面でも「ライバル」という概念皆無で戦ってきた人だ。他人をプロデュースする段になっても「AKB48の対抗馬」みたいな事は言い出しそうにない。もしやるんなら、単に自分が見たいアイドルを演出するだろうて。

いやそもそも、"集団"というものをプロデュースする気があるのだろうか。なんか、ソロ・アーティストでないと手掛けないような気がしてきた。ユニットなりグループなりを構成する場合個々のキャラクターのバランス、という面を考えなくてはならないが、そもそも私生活(なんて本当は知らないんだが)からしてそういう見方をしていないように見受けられる。アイドル・ユニットのプロデュース、という時点でそもそも現実味がないのかもしれない。

ふう。結局、どの妄想も壁にぶち当たるなぁ。勿論、ヒカルが考えを変える事もありえる。人間活動通過後なら特に。しかし、昨日一昨日のツイートを見る限りそのブレなさっぷりは中途半端ではない。そこまで"今迄通り"でいいのやら何なのやら。いや、嬉しいんですけどね、えぇ。

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