あんまり「やっぱり」と書き過ぎるとゲシュタルト崩壊が起こるなぁ。
FINAL DISTANCEの"Final"にはどういう日本語訳が適当か、という話題は昔から何度も語られてきた。光は結局なんつってたっけ。忘れてしまったが(ぉぃぉぃ)、辞書を引くと「最終の、最後の、決定的な」とある。まぁどれもかわらない。ただ、もうひと踏ん張りニュアンスを伝える為にこの形容詞の副詞型"finally"も見てみることにすると、「最終的に、最後に」というのに加えて「ついに、とうとう」というややくだけた日本語がくる。こちらの方がFINAL DISTANCEのFINALのニュアンスがより伝わり易いだろう。"最終的な距離"とは「ついに[辿り着いた/やってきた/見いだした/わかった]ディスタンス」という感じである。こちらから加えれば"やっと落ち着く場所に来た"といった所か。
他方、"やっぱり"の日本語訳の代表的なものは"after all"だろうか。"総ての後で"という意味だが、いろいろと考えられる可能性を考慮に入れた上でなお結論は同じだった、みたいな雰囲気だ。
いわば、この「やっぱり」はDISTANCEからFINAL DISTANCEへの布石となっているのだ。当時のヒカルのインタビューを考え合わせると別にそれは意図的ではなく結果論に過ぎないが、DISTANCEのリレコーディング・バージョンもしくはバラード・バージョンがなぜタイトルをこう変えたのか、という点においてこの"やっぱり"は大きな意味をもつ。"結論が出た"という事だからだ。
先般触れたように、DISTANCEの歌詞はポジティブではあっても、何か結論が出たのかどうかはわからない状態だ。『今なら間に合うから』と唄うからにはまだ「間に合った」訳ではないのである。唯一、何か一歩進んだかなと感じさせていたのが『やっぱりI wanna be with you』の一節であったか、という感じだ。爽やかで快活な曲調は、そのまま未来への期待と不安を抱えた心の躍動であったかのようだ。リズムの強いトラックはそれを示唆している。
そこでリズムを脱ぎ捨てたFINAL DISTANCEは…という話からまた次回。
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