無意識日記
宇多田光 word:i_
 



今度は蕎麦屋か。また中目黒か。(←勝手に決めつけてる) もうこのまま行っちゃおうかなと思ったけど昼間の話でしたのねすみません。日本酒片手に(←決めつけてる)遅い昼蕎麦とは粋というべきかオジン臭いというべきか。ひさしぶりにきいたなそんな形容詞。

なんかまだツイートが続いているな。まぁツイートに対するツッコミはツイートでするとして。あ私のTwIDは@i_k5です。(たまには宣伝)

ああいうツイートを読んだあとだと前回の続きを書く気がしないな。音楽の話題にさくっと切り替えよう。

さっきまでチック・コリアのReturn To Foreverを聴いていた。昨日に引き続き2日連続。1972年の作品らしいが、本当にこの時代は何だったのか。意味がわからない。チック・コリアはまぁジャズ/フュージョンに分類されるアーティストだが、この頃のロックやジャズの元気さはちょっと異様である。

1968~1972年、或いは1970~1974年の5年間位を"ロック黄金時代"即ちGolden Age Of Rockと呼ぶのに異論を差し挟む余地は少ないだろう。この5年間に較べれば他の時代はいつだってどっこいどっこいだ。若い人に告げておくが、「昔はよかった」といって特定の年代を持ち出す行為は周期的に起こるもので、要はタイミングでしかなく、いつの時代だって掘り起こして上澄みを掬い取れば名曲だらけになるのだ。なので、いろんな年代のリバイバルブームが来る度にそれはそれで楽しんでしまい、だからといって他の年代を無為に貶める事もしなくてよいのだ。

しかしこの5年間だけは違う。図抜けて名盤が多いのである。何故こんな事になったのかは未だによくわからない。ひとことでいえばポスト・ザ・ビートルズ。彼らが去った後を埋めるかのように大量の才能が流れこんできたのだ。特に72年付近は様々なバンドが代表作と呼ばれるアルバムを作っている。LED ZEPPELINのIVは71年末だったかな、光もラジオで挑戦した天国への階段が入っているヤツだ。DEEP PURPLEはMachine Headになるのかな、だとしたらSmoke On The WaterとHighway Starという二大超有名曲が入ってる。EL&Pは展覧会の絵かな、71年だっけ、一番著名な作品だろう。GenesisはFoxtrot、かのSupper's Readyが収録された名盤である。あとBlack Sabbathは…キリがないからやめとくか。

という訳で今年はそんな1972年からちょうど40年である。当時二十代だった若者も皆還暦を過ぎているという時の流れの恐ろしさ。しかし、音楽に魔法がかかったようなあの時代の輝きは色褪せる事がない。こればっかりはどうしようもない。

昨日も光宛にツイートしたのだが、この時代に輝きを放ったアーティストたちと共演するにはそろそろタイム・リミットが近付いている。「伝説のミュージシャンがまだ現役で居る」最後の時期になるかもしれない。そう言いたくなる程にあの時代は特別なのだ。せっかく世に名が知れ渡ってそのデメリットを沢山被ってきているのだからメリットの方もどんどん収穫していけばよいのに。いやそんな発想はなくとも、やりたいと思ったらその時に声をかければいいのだ。躊躇う事はない。チャンスの前髪は絶対に自分で切ってしまってはならないのである。

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この間ヒカルがツイートした原発と名前の話題、私なりに解釈すれば同じ所に根をもつ問題である。問題、と呼ぶのは即ち何故か世論が二分されているからなんだが。

俗に言うキラキラネームは何が問題なのか。片方の側からみれば名前を"常識的に"つけるのは当然であり、何故そこで物議を醸すような名付けをわざわざするのか理解に苦しむ、といった所だろう。もう片方の側からみれば、名前は名前、どうつけても何が変わる訳でもないのだから(と思っていりかどうかは個人差があるだろうが極端にいえば、ということで)自由につければいいじゃない、といった感じか。

両方の云う事が尤もだと思う私はどちらの陣営にも与しない…というとちょっとつまらないので、ヒカルに"かわいそう"と言われた方を支持してみようか。

名前なんて記号に過ぎない。ただ人と人を区別する為の処方なのだから出来るだけ個性的な名前をつけて人と被らないようにするべきだ。平凡でつまらない名前をつけて同姓同名の人が沢山でてきたら、違う事物に同じ名前をつけるという記号性にとって最も致命的な失策を犯す事になる。名前の機能を考えるならば、そして一億数千万の他人の名前をチェックできない以上、マージンをとって個性度をアップしておくのは当然なのだ。

これは案外本質的な議論である。名前とはそもそも何なのか。何よりも個体と世界を、個体と社会を、切り離すものなのだから、名付けはできるだけ世界や社会から突飛であればあるほどよい。そうやって人の個性は担保される。

実際、そもそも名前が変だから社会的に不利益を被るというのはおかしくないだろうか。それなら「あいつは顔が変だから差別しよう」というのと何も変わらない。いや、顔は人にはどうしようもないが名前をつけるのは自由にできるじゃないか、わざわざ不利益を被るように自由を行使しなくても、という意見も出ようが、自由をもつのは親であり名付けられる本人ではない。平たく言えば顔と同様、本人にはどうしようもない事だ。ならば糾弾されるのは親の方であり、子に不利益が齎される事態を社会として看過する訳にはいかない。名前によって不利益を齎そうという方に問題があるのだ。人を容姿で嘲笑したり就職選考で選別したりする事などあってはならない。問題なのは、名前の具体的な形状に難癖をつける側なのだ…

…なんだかこのままだと話長くなりそうだな~連載になっちゃうの!? まぁ、いいか。ツイートに反応したりしながらゆるく続けていく事にしようか。

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