無意識日記
宇多田光 word:i_
 



萌え擬人化からツンデレとはまた忙しい。声優スキル上がってるんじゃないの、って書くとイヤミにしか見えなくて悲しいが割と本気でそう思う。よりによって書き始めた瞬間にAcross The Universeを選曲するかウチの携帯プレイヤー君は。

Nothing's gonna change my worldって唄ってるんだっけ。これと『僕の世界消えるまで会えぬなら君の側で眠らせて』を並べるとなかなかに興味深い。世界、Worldということばは地球だったり宇宙だったりを指すとともに、殆ど"空間"と同じ意味で使われていたりもする。BWの"僕の世界"とは果たしてどんな空間を指しているのだろうか。

会えない相手は誰なのだろう。今、会えないのか、これから"僕の世界"が現れて会えなくなるのか。なんとなく旧劇版でいえばシンジとカヲルの関係性を思い出しそうな所だが、ヒカルはそれ以上踏み込まない。ここらへんの匙加減、力加減が巧いのだが、ここではそれ故にピンとこないといえばこない歌詞になっていると感じる。

もうひとつ、『君の側で眠らせて』という一節には、次の、全く性質の異なるようにみえる二節が前段に控えている。

『もしも願い一つだけ叶うなら』
『僕の世界消えるまで会えぬなら』

ひとつには、こう解釈する。どっちにしても僕は君の側で眠りたいんだ、という意思表示。そしてもうひとつには、この二節が同じ意味を持つ状況が存在し得るということ。即ち、願いがひとつ叶うことイコール僕の世界が消えて君に会うこと。この解釈はかなりアクロバティックだ。

正統的な解釈は次の通り。これから君に会えなくなるから今夜は側で眠らせて欲しい、それが僕の願いだ、と。つまり僕はこれから僕の世界を生み出すのだ。ん、なんか違和感が生まれるよね。こういう時は一人称を変えればいい。昔指摘したように、この曲は光の母性の萌芽である。母なる存在がこれから彼女の世界を生み出すのだからあなたとはその間会えないね、と。生を受けたら会えなくなるもの。それは死であり、この世界の外の話だ。故に世界は美しい。こういう歌詞をこそ"世界観"というのだろう。極めて適切なタイトルである。EVAの続編に期待が高まるわ。

あれ、そんなに正統的な解釈でもなかったか。まぁ、いいじゃない。

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ウルトラライトたんは峠を越したのだろうか、それとも奈落の底に叩き落とされたのだろうか。続報が待たれるが、普通に修理に出したらどうなのかねぇ…。

光がモノを擬人化して呼ぶ時は、余計なお世話の物言いかもしれないが、本気である。何かの婉曲表現や照れ隠しでなく、書いてある通りに読めばよい。なんと喩えればいいかわからないが、ペットを飼っているのとほぼ同じ意味だろうか。単純に、人間とペットの寿命が異なるように人間と機械の寿命も異なるから見届ける機会も迎え入れる機会も多いというだけで。ぬいぐるみならまだわかる、という人も、オーディオインターフェイスをたん呼ばわりするのは萌え擬人化の系譜、位にしか思われないかもしれない。

萌え擬人化は既に重心のシフトが起こっていて人間を描く時のオプションのひとつ、みたいな事になっているが―つまり、擬人化というより擬物化・擬事化になる―、光のは更にその正統的な(?)擬人化の更に前の段階…本当にモノと会話しているのだ。まぁ、くまちゃんと一緒と言い切ってしまおうか。

トイレが機材墓場になっているというエピソードも、なんか本人もよくわかってないっぽいが、毎日お参り出来る場所だからなのではないか。捨てるに捨てられない、というだけならクローゼットにしまっておけばいいし、置き切れないなら普通は何かを捨てるだろう。それが他のものだったら、果たしてトイレに置いたのか? まぁ妄想しても仕方がないのだが、もっといえばトイレをより自分の落ち着く場所にしたかったのかもしれない。ご先祖さまに護られているノリである。過去の屍の上に今の自分の生がある。繰り返すが、寿命の違う者同士の出逢いな為、残された方のそこからの人生の身の振り方はそれなりに問題になる。どこらへんで見限るか、その時どう弔うか。最近話題にも上った脳死判定に通ずるものがある。というか同じである。どの段階で諦めるか。臓器移植よろしく新しいパーツを次々に繰り入れて果たしてよいものかどうか。ウルトラライトたんの処遇は哲学と倫理の問題である。いやまそれ以上に光の思い入れの話だけれども。

僕らもウルトラライトたんからの恩恵を楽曲を通して受け取っている訳でこれは決して無縁の問題ではない。寿命の違う者同士どう生きるか。とても普遍的な問い掛けなのである。笑いもオチもなく本エントリー終了。次回はもちっとふざけたい所。

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