BURRN !1992年3月号
ブラック・ムーン製作中半ばの
キースへのインタビュー その①
画像 表紙
BURRN!誌は表紙から見ても解るように、
ヘヴィメタルとかハードロックのバンドを主に取り上げた音楽雑誌なので、
普段は見向きもしないのです。
ただ、
80年代もそうでしたが、
キース関連のインタビューは時々載ったりしているので、
決して無視でいない雑誌でありますし、
けっこう細かいところまでミュージシャンの言葉を引き出しているように思いますね。
本号は、年代を見ても解るように、ブラック・ムーン製作途中のインタビューです。
キース・エマーソンインタビューズの内容をやや補うようなインタビューになっています。
ブラック・ムーン発売後のインタビューとやや重複する部分もあるので、
あまり突っ込まない限りは、特筆すべきことはないのですが、
EL&P再集結へのきっかけをつくったのは、
80年後期のキースのレコード会社への積極的な活動にあったようですね。
キーボードマガジンにインタビューが連載されていた時のコラム欄にあったように、
キースは、マーク・ボニーラとの出会いにより、
新たなるバンドでの再出発を目指していました。
デモテープを作って、幾つかのレコード会社にアタックをしたようです。
しかし、共通して返ってくる答えは次のようなものであったようです。
「キミは素晴らしいミュージシャンだ。音楽もグッド」
キースが当時やろうとしていたのは、
キーボード中心のインストゥメンタル・バンドであり、
数曲はヴォーカル曲も入れるつもりはあったようですが、
キース自身はヴォーカル曲は重要視していないわけですね。
むしろ「大して音楽のプラスにはならない」と考えていたようです。
しかし、ヴォーカル曲がない事で、
どこのレコード会社に行っても、
「キミは天才だ。ところで曲(歌詞)は?」
と言われたわけです。
つまるところ、「歌詞のある曲を書いてくれなければ、検討の余地すらない」と多くのレコード会社は思っていたわけですね。
それで、
「歌詞入り」の曲を聞かせると、
「シンガーは誰なんだ?グレッグとはちょっと違うね」
との返答。
このようなエピソードは、当時であれば、
EL&P再結成の喜びと共に何気なく読み済ませてしまうところですが、
キースにとっては、
大変な苦労の時期であったと思われますね。
何しろ、キース自身が納得して本当にやりたい音楽が、
訪れたレコード会社に受け入れてもらえるものではないという事実を、
体感しているわけです。
キーボードマガジン誌上では、
確か、「いくつかのレコード会社が関心を持ってくれている」
と言う言い方をしていましたが、
ここでは、EL&P再スタートでアルバム制作が順調に進んでいる事もあり、
「レコード会社は、口先だけの答えだけ。その後はちっとも進まない」
と自らアピールした音楽について、
一定の結論を導き出したようでした。
そのPR活動の中で、旧知のフィル・カーソンに(キースは友人と称しています)、デモを聞いてもらう機会が訪れ、
それがEL&P再集結への流れを生み出したようです。
キース・エマーソンインタビューズにおいては、
フィル・カーソンが「EL&Pとして映画音楽を何曲かつくってみないか」と言われた事が、
元のサヤに収まるすべての始まりのような言い方をしている箇所があったように思いますが、
その前段階としてキースによるキース&マークの音楽のPR活動があったわけです。
キースの目指す方向の音楽が、当時の業界人には受け入れられない事がEL&P再集結へとつながったのですから、何とも皮肉なものですね。
以上。
本ブログはエマーソン、レイク&パーマーにまつわる品物のあれこれを思い出、感想、気ままな意見と共に綴っております。
世代を超えたEL&Pファンのちょっとした楽しみになれば幸いです。
クイック応援よろしくお願いします。
2012年9月24日 yaplog!
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キースへのインタビュー その①
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ヘヴィメタルとかハードロックのバンドを主に取り上げた音楽雑誌なので、
普段は見向きもしないのです。
ただ、
80年代もそうでしたが、
キース関連のインタビューは時々載ったりしているので、
決して無視でいない雑誌でありますし、
けっこう細かいところまでミュージシャンの言葉を引き出しているように思いますね。
本号は、年代を見ても解るように、ブラック・ムーン製作途中のインタビューです。
キース・エマーソンインタビューズの内容をやや補うようなインタビューになっています。
ブラック・ムーン発売後のインタビューとやや重複する部分もあるので、
あまり突っ込まない限りは、特筆すべきことはないのですが、
EL&P再集結へのきっかけをつくったのは、
80年後期のキースのレコード会社への積極的な活動にあったようですね。
キーボードマガジンにインタビューが連載されていた時のコラム欄にあったように、
キースは、マーク・ボニーラとの出会いにより、
新たなるバンドでの再出発を目指していました。
デモテープを作って、幾つかのレコード会社にアタックをしたようです。
しかし、共通して返ってくる答えは次のようなものであったようです。
「キミは素晴らしいミュージシャンだ。音楽もグッド」
キースが当時やろうとしていたのは、
キーボード中心のインストゥメンタル・バンドであり、
数曲はヴォーカル曲も入れるつもりはあったようですが、
キース自身はヴォーカル曲は重要視していないわけですね。
むしろ「大して音楽のプラスにはならない」と考えていたようです。
しかし、ヴォーカル曲がない事で、
どこのレコード会社に行っても、
「キミは天才だ。ところで曲(歌詞)は?」
と言われたわけです。
つまるところ、「歌詞のある曲を書いてくれなければ、検討の余地すらない」と多くのレコード会社は思っていたわけですね。
それで、
「歌詞入り」の曲を聞かせると、
「シンガーは誰なんだ?グレッグとはちょっと違うね」
との返答。
このようなエピソードは、当時であれば、
EL&P再結成の喜びと共に何気なく読み済ませてしまうところですが、
キースにとっては、
大変な苦労の時期であったと思われますね。
何しろ、キース自身が納得して本当にやりたい音楽が、
訪れたレコード会社に受け入れてもらえるものではないという事実を、
体感しているわけです。
キーボードマガジン誌上では、
確か、「いくつかのレコード会社が関心を持ってくれている」
と言う言い方をしていましたが、
ここでは、EL&P再スタートでアルバム制作が順調に進んでいる事もあり、
「レコード会社は、口先だけの答えだけ。その後はちっとも進まない」
と自らアピールした音楽について、
一定の結論を導き出したようでした。
そのPR活動の中で、旧知のフィル・カーソンに(キースは友人と称しています)、デモを聞いてもらう機会が訪れ、
それがEL&P再集結への流れを生み出したようです。
キース・エマーソンインタビューズにおいては、
フィル・カーソンが「EL&Pとして映画音楽を何曲かつくってみないか」と言われた事が、
元のサヤに収まるすべての始まりのような言い方をしている箇所があったように思いますが、
その前段階としてキースによるキース&マークの音楽のPR活動があったわけです。
キースの目指す方向の音楽が、当時の業界人には受け入れられない事がEL&P再集結へとつながったのですから、何とも皮肉なものですね。
以上。
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