
このところ、3冊目の本を出そうと各地に取材で動いております。この間はローカルごはんを本にしたので、次に目指すのは「魚どころの特上ごはん」の続編の刊行。8月の岡山の日生、松山の八幡浜、高知の土佐久礼に、このあいだ訪れた鳥取、境港、松江など、たくさん取材したネタをそろそろ整理、執筆していかないといけない。いずれも情報が盛りだくさんでまとめるのに手間が掛かるため、ちょっと書き込み頻度が落ちるかもしれません(と先に言い訳…)が、そんな訳でしばらく、「魚どころ」を続けてアップしていく予定です。
で、まずはこの間行った小田原の話から。自宅から結構近いのに、朝から市場を見学するには1泊しないといけない。前日に現地入りして、翌日は6時起きで魚市場見て、朝市見物して電車で自宅に帰りました。でもまだ11時前。そこから家の用事をしたり、子どもと遊んだりと、市場歩きをした同じ日に、いつも通りの土曜日を過ごしたのが、何だか不思議な感じでしたが…
発達した低気圧が沿岸を通過する影響で、この日の首都圏は朝から大荒れの空模様。夕方に東京駅を出発した東海道本線の列車は、かなりの遅れとなってしまった。集合時間ぎりぎりに小田原駅へと滑り込んだ列車から駅へ降り立つと、ここもビュービューと吹きすさぶ暴風に、横なぐりの雨。会食が催される、根府川にある料理屋からの迎えのクルマに乗り込み、市街を抜けるとすぐに相模湾沿いに走る国道へと出た。あたりはすでに真っ暗で外は見えないが、窓にたたきつける豪雨の向こうに、真っ暗闇の相模湾が広がっているのだろう。
相模湾と聞いてどこのことかすぐに思い浮かばない人でも、「湘南」といえばピンとくるかも知れない。江ノ島の海水浴場か、葉山のヨットハーバーか、はたまた茅ヶ崎のサーフィン。そんなレジャーの海のイメージが強い一方、相模湾は古くから沿岸漁業が盛んな海域でもあるのだ。岸から1キロちょっと沖合へ出ればすでに水深200メートル、場所によっては水深1000メートルもの海底谷が存在するなど、湾の海底の地形は深く、複雑。そのおかげで海流が錯綜して、温度や栄養分などが様々な水塊が生じ、沿岸から深海までおよそ1200種もの魚種が棲息するとされる。江ノ島の腰越から茅ヶ崎、平塚、大磯など、湘南海岸沿岸にはいくつもの漁港が点在しており、ヨットやジェットスキーが行き交う沖合に漁船の姿がちらほら。首都圏近郊、さらにマリンレジャーと同居するこの地域の漁業ならではの風景といった感じである。
中でも、相模湾西部の漁業基地として特に活気を見せるのが、このたび訪れることになった小田原漁港だ。小田原で1泊して、翌日は小田原漁港を見学した後に釣りを楽しむ会に混ぜてもらったのはいいが、あいにくの天候で明日の予定がどうなるか、少々心配になってしまう。一同、前日の夕方に小田原駅へ集合の後、まずは食事会が行われる『ぱあくえりあやまもと』へ。市街からクルマで15分ほど走ったところ、国道135号線沿いの相模湾に面した食事処である。イセエビや巻貝の水槽が並ぶ横を通って店内へと進み、奥の座敷へと落ち着いてさっそく、乾杯とともに相模湾の魚介を味わう宴の開始である。挨拶にやってきた店の方によると、店の裏手の崖下はすぐに海になっていて、お昼なら窓の外に広がる海は絶景。また満月が海から上がる様子が見えることもあるとか。そしてカワハギ造り、イセエビ鬼ガラ焼き、サヨリ天ぷら、カサゴやカレイの唐揚げなど、壁に掲げられた料理に使う魚はもちろん、ほとんどが相模湾でとれた地魚。「うちでは主に、店のすぐ沖に設置された定置網の漁獲を使っています。その日に定置網でとれた魚はストレスがないので、味がいいんですよ」と、地魚のこととなれば話に力が入る。
その定置網漁は、県内の沿岸漁獲量2万トンのうち50パーセントを超える、相模湾の漁業において主力の漁法だ。相模湾の海底の地形を利用して、水深が急に深くなる手前ぐらいに長さ200メートルほどの網を仕掛け、深部から浮いてくる魚を狙う。中でも小田原周辺の沿岸では特に盛んで、この店の近くの江之浦、根府川や米神、石橋の大型定置網ほか、小規模な定置網も数多く設置されている。同席した地元の漁師の方によると、定置網漁は夜中の2時に出漁・網揚げをして、未明の4時半ごろから小田原漁港に帰港して水揚げ、6時半からの競りに備えるのだそう。網揚げはほぼ毎日行われており、この日程度の風雨なら定置網は問題なく揚げるけれど、「時化の翌日は、漁獲はどれほどか網を揚げてみないと分からない」とのこと。
ビールを勧めつつ、さらに定置網漁の漁獲について尋ねたところ、「漁獲が多い順にアジ、サバ、イワシ、カマス。通年揚がるのはゴマサバで、アジは江ノ浦で揚がる地アジが有名で3~5月、イワシはこのところ漁獲量が減っているね」。今の時期はカマスや小さいイサキがよく揚がり、ほかカワハギ、黒ムツ、カンパチ、ヘダイ…と、定置網でとれる魚種はとにかく豊富なこと。いわゆる大衆魚が中心のため、水揚される魚介のほとんどが、地元や小田原周辺で消費されるそうである。面白いことに、相模湾の定置網はもともと、ブリを狙った漁法だったのだそう。こんな都会の近くのベッドタウンでブリが水揚げされていたとは驚きで、近頃は沿岸の陸地の緑が減った影響で海の栄養分が減少、相模湾でブリの姿はほとんど見られなくなったが、当時は相模湾のブリといえばかなり高価で人気の品だったとか。今で言う「ブランド魚」のひとつだったのだろう。
ちなみにこの方、家がもとから小田原で漁師をやっていたのではなく、漁師をやるためによその土地からやってきたという。地元の漁師の下で数年研修した後、独立して漁協の組合員となった苦労人だ。色々詳しいので定置網漁に携わっているのかと思ったら、これは新たに権利を取得するのが難しいため、刺し網漁が専門だそう。帯状の網を海中の魚の通り道にたて、文字通り網に刺さった魚を水揚げする漁法で、この店の直下でも操業してとれた漁獲を店にも卸しているという。とれる魚種を尋ねると季節によって変わり、ヒラメやイセエビほかカサゴ、白ウマハギ、ホウボウなど。店の方によると、イチオシはカゴカキダイという魚で、脂がものすごくのって食べ応えがあるという。黄色と黒の縞だから、通称「阪神タイガース」。ほかには高足ガニやアカザエビを狙ったかご網漁が行われる一方、相模湾で名物のシラス曳き網漁は、深度の関係で小田原周辺の海域ではほとんどやっていないとか。
造りや小鉢といった一品料理を肴に酒が進み、座がかなり盛り上がった頃、卓に大きな土鍋が運ばれてきた。そのまま卓上のコンロにのせて点火、しばらくして煮えたところでふたをとると、中には白菜やキャベツなどあふれるほどの野菜、その下には何やら魚の白身に巻貝、だんごなど、実に具たくさんな鍋である。運んできたおばちゃんに中身を聞いたところ、メインの魚は何と、アンコウ。この日に刺し網にかかった、重さ8キロほどのもので、白身やらアラやら皮やら、いろいろな部位が入っている。身はホクホク、皮のゼラチン質もたっぷり、卵巣も発達してプリプリと、捨てるところがないアンコウの、「7つ道具」ならではの多彩な味わいが楽しめる。巻貝は茶色いのがシッタカ、黒っぽいのがナミノコ。身はシコシコ、殻の奥のワタが味わい深く、特にナミノコは味噌汁にするといいダシがでるとか。さらに、最近話題の小田原おでんに入れるエビのつみれ、地鶏の肉と、周辺の山海の幸がたっぷり入った豪華版だ。
飲んで食べて、魚の話もたっぷり伺い、またたく間に宴たけなわとなりすっかり腹いっぱい。鍋を頂いた最後の仕上げはやはり、雑炊だ。キャベツと白菜がたっぷり入っていて甘みが出ているつゆに加え、アンコウと貝、鶏の3種のいいダシがしっかり、これは満腹なのに2杯、3杯と後をひく味わいである。食後にこのまま座敷でひと眠り、といきたいのを我慢して、宿をとってある市街へと引き返すべく一行とともに店を出る。するとさっきまでの豪雨がすっかりやみ、暗闇の相模湾には船の明かりがちらほら見える。低気圧一過で、無事に釣り船が出航するようで一同はひと安心、自分も明日の魚市場と朝市が無事開いていそうなので、まずはひと安心である。(2006年10月6日食記)