『旅で出会ったローカルごはん』の本の表紙や扉の料理の写真をお借りした、写真家の菅さんの事務所に昨日おじゃましました。アジアを中心に精力的に撮影行を続けており、最近では昭和の子どもの写真展を各地で開催、素朴さと懐かしさで好評のようです。今回は焼酎の本を出すお手伝いをすることになり、その打ち合わせをしたのですが、打ち合わせというよりは焼酎の試飲会、といった感じ。テーブルにはご出身の福岡の焼酎の大瓶がドン、と置かれ、その前には色も形も様々な焼酎瓶がずらり。あまり聞き慣れない銘柄ばかりだが、いずれも手作り、真面目に醸造しているものとのことで、お話が盛り上がりつつついあれこれ頂いたはいいけれど、40度オーバーの焼酎の杯を重ねたのはさすがに効いた! 帰りの地下鉄の駅で歩けなくなり、しばらくの間記憶が途絶えた後、気がついたら逆方向へ走る電車にポツンと座っていた…。でもその後は悪酔いもなく、翌日も酒は残らずスッキリ。真っ当な酒は、飲み過ぎても体にきつくないもんなんでしょうかね。
という訳で、お酒ネタをいくつか続けます。酒どころ・新潟のその名も「酒街道」から、日本酒にビール、ワインといきましょう。「魚」はやっぱり話をまとめるのに手がかかるので、時間がある週末を中心にアップしていきますのでご了承を。
新潟県の新井市から上越市にかけて、酒の街道というものが存在する。その名も「越後バッカス街道」。食にまつわる街道と聞いて思い浮かぶのが、若狭湾の小浜から京都へ鯖を運んだ「鯖街道」や、新潟県の糸魚川から松本、さらに甲州へと塩を運んだ「塩の道」などだ。これらの道は、食材の流通を通して、起点と終点及び沿道の食文化が発展するのに、大きく貢献している。だから、酒街道と聞けば新潟県という場所柄、日本酒の蔵元を結ぶ道だろうか、はたまた酒の出荷や、原料の酒米を運搬した街道なのか、などと、あれこれ思いを巡らしてしまう。
前日宿泊した、妙高高原の宿を朝出発して、クルマで国道18号線を新井方面へと向かう。車中で、案内人兼運転手に、「バッカス街道」の由縁を尋ねると、沿道に点在する醸造元や、沿道にある市町の役場が協力して制定したという。そのバッカス街道へ行く前に寄り道をすることになり、国道18号線から分かれて飯山街道へと入る。長沢川の清流に沿った、細い山道をしばらく走って、長野と新潟の県境にあたる猿橋集落にある『鮎正宗酒造』へと到着。ここが、酒の醸造元を訪ねる旅の1ヶ所目、というか1杯目になった。バッカス街道に属してはいないが、創業は明治8年と、新井市の中でも随一の歴史を持つ蔵元で、番外編として特別に見学することになった。
入口に堂々と立つ、樹齢400年の大ケヤキを眺めてから、築140年という立派な茅葺き屋根の建物の中へ。試飲の前に、蔵の中に湧き出す仕込み水を頂いてみる。さらりと滑らかで、すっきりとソフトな味わい。毎時6トンという豊富な湧出量とともに、味の方も日本酒の仕込みに向いた、越後の山の雪解けならではの軟水である。帳場へ足を運ぶと、本醸造「鮎正宗」を始め、限定生産の「大吟醸 鮎」、湧水仕込みの「特別純米酒 鮎」など、「鮎正宗」が各種ずらりと並んでいた。あれこれと試飲すると、水が良いのかどれも口あたりがすっきりしており、端麗な風味で心地よくのどをさらりと通り抜けていく。
ここは新潟県では数少ない、戦時中も操業していた酒蔵で「祖父が戦争当時も、自分の飲む酒を造りたかっただけのことです」と、現在の当主は笑う。「うちの酒造りの基本は、地元で地元の肴と飲める酒を仕込むこと」がモットーなだけに、ここで醸造される「鮎正宗」の8割は、県内で飲まれているという。仕込み水には妙高の伏流水を使い、酒造米も県内産の「五百万石」を主に使っているため、すっきりした飲み口に仕上がっている。特別純米酒と吟醸は、酒造米を30%まで精米するから、さらりと甘くさらに上品な味わいになる、とご主人。逆に、本醸造の場合は50%までしか精米しないが、味に幅が出るため地元ではこちらの方が人気とか。原料の水も米も、そして飲んでもらう人も地元志向と、番外編ながらもなかなか味わい深い一軒である。
番外編の蔵元を訪れた後は、いよいよバッカス街道の酒の旅の始まり。日本酒の資料館とワイナリー、ビールのブルワリーの3軒を巡るとあれば、楽しみな一方、こんなにあれこれ混ぜて飲んで悪酔いしないかちょっと心配も。最初の日本酒の資料館編は、次回にて。
という訳で、お酒ネタをいくつか続けます。酒どころ・新潟のその名も「酒街道」から、日本酒にビール、ワインといきましょう。「魚」はやっぱり話をまとめるのに手がかかるので、時間がある週末を中心にアップしていきますのでご了承を。
新潟県の新井市から上越市にかけて、酒の街道というものが存在する。その名も「越後バッカス街道」。食にまつわる街道と聞いて思い浮かぶのが、若狭湾の小浜から京都へ鯖を運んだ「鯖街道」や、新潟県の糸魚川から松本、さらに甲州へと塩を運んだ「塩の道」などだ。これらの道は、食材の流通を通して、起点と終点及び沿道の食文化が発展するのに、大きく貢献している。だから、酒街道と聞けば新潟県という場所柄、日本酒の蔵元を結ぶ道だろうか、はたまた酒の出荷や、原料の酒米を運搬した街道なのか、などと、あれこれ思いを巡らしてしまう。
前日宿泊した、妙高高原の宿を朝出発して、クルマで国道18号線を新井方面へと向かう。車中で、案内人兼運転手に、「バッカス街道」の由縁を尋ねると、沿道に点在する醸造元や、沿道にある市町の役場が協力して制定したという。そのバッカス街道へ行く前に寄り道をすることになり、国道18号線から分かれて飯山街道へと入る。長沢川の清流に沿った、細い山道をしばらく走って、長野と新潟の県境にあたる猿橋集落にある『鮎正宗酒造』へと到着。ここが、酒の醸造元を訪ねる旅の1ヶ所目、というか1杯目になった。バッカス街道に属してはいないが、創業は明治8年と、新井市の中でも随一の歴史を持つ蔵元で、番外編として特別に見学することになった。
入口に堂々と立つ、樹齢400年の大ケヤキを眺めてから、築140年という立派な茅葺き屋根の建物の中へ。試飲の前に、蔵の中に湧き出す仕込み水を頂いてみる。さらりと滑らかで、すっきりとソフトな味わい。毎時6トンという豊富な湧出量とともに、味の方も日本酒の仕込みに向いた、越後の山の雪解けならではの軟水である。帳場へ足を運ぶと、本醸造「鮎正宗」を始め、限定生産の「大吟醸 鮎」、湧水仕込みの「特別純米酒 鮎」など、「鮎正宗」が各種ずらりと並んでいた。あれこれと試飲すると、水が良いのかどれも口あたりがすっきりしており、端麗な風味で心地よくのどをさらりと通り抜けていく。
ここは新潟県では数少ない、戦時中も操業していた酒蔵で「祖父が戦争当時も、自分の飲む酒を造りたかっただけのことです」と、現在の当主は笑う。「うちの酒造りの基本は、地元で地元の肴と飲める酒を仕込むこと」がモットーなだけに、ここで醸造される「鮎正宗」の8割は、県内で飲まれているという。仕込み水には妙高の伏流水を使い、酒造米も県内産の「五百万石」を主に使っているため、すっきりした飲み口に仕上がっている。特別純米酒と吟醸は、酒造米を30%まで精米するから、さらりと甘くさらに上品な味わいになる、とご主人。逆に、本醸造の場合は50%までしか精米しないが、味に幅が出るため地元ではこちらの方が人気とか。原料の水も米も、そして飲んでもらう人も地元志向と、番外編ながらもなかなか味わい深い一軒である。
番外編の蔵元を訪れた後は、いよいよバッカス街道の酒の旅の始まり。日本酒の資料館とワイナリー、ビールのブルワリーの3軒を巡るとあれば、楽しみな一方、こんなにあれこれ混ぜて飲んで悪酔いしないかちょっと心配も。最初の日本酒の資料館編は、次回にて。