中棚荘主催の小諸視察、日が暮れるギリギリのタイミングで、市街の小諸城跡と北国街道の宿場の名残を歩いてみた。スタートは市街にある大手門から。 かつて小諸城は本丸ほか二ノ丸、三ノ丸を備えた大規模な城郭だったが、廃城後は三ノ丸があった場所に信越本線が通り、周辺に市街が発達したために名残を留める史跡は限られている。ここは本丸から数えて「四之門」にあたり、穴城と称された小諸城で一番高い場所に位置する。
門は三階建てのつくりで、「瓦門」と称されるが当時小諸では瓦を焼く技術がなく、三河で造られた瓦を牛で運んできたという。かつては料亭や、小諸義塾の仮教室だったこともあるなど、門としての用途を超えた使い方をされた経緯もある。付近には城郭をめぐる石垣「出隅」が一部残り、当時の名残をとどめている。
門のそばにある空き地は、かつて鍋蓋城があった場所。武田信玄が甲斐から東信濃へ侵攻した際、一晩で滅ぼしたといわれる9つの城のひとつである。ここを足がかりに小諸城が築城されていった、いわば小諸の街の起源といえる城跡である。現在は空き地や駐車場などになっており名残はないが、付近はちょうど武家地と町人地が接しており、城跡やその境界を示す石垣が残っている。城よりも街が上にある城下町ならぬ「城上町」の、特殊な街のつくりが伺える。
ここから西へやや入ると、市街を鍵形に突っ切る旧北国街道の五叉路に出くわす。小諸は城下町でもあり宿場町でもある表情をとどめており、沿道には小諸宿の建物がパラパラと見られ旧建築探訪しながらの町歩きが楽しい。昔ながらの木看板を掲げた建物、藤村が使った便箋を扱う紙屋、旧小諸銀行の三階建て・立派なうだつのある商家を用いた骨董屋、藤村の「小諸なる古城のほとり」に濁り酒が唄われた大塚酒造など。新幹線が通らなかったため古い町並みが保持されている側面もあり、駅から近いこともありコンパクトな城下町散歩が楽しめる。
藤村ゆかりの井戸がある藤村プロムナードから、名の通り馬場に隣接する馬場裏の小路を経て大手門へ。冬の黄昏のしんしんとした冷え込みが、信濃の山里の宿場のらしさにより深みを出しているようにも思えたりして。
門は三階建てのつくりで、「瓦門」と称されるが当時小諸では瓦を焼く技術がなく、三河で造られた瓦を牛で運んできたという。かつては料亭や、小諸義塾の仮教室だったこともあるなど、門としての用途を超えた使い方をされた経緯もある。付近には城郭をめぐる石垣「出隅」が一部残り、当時の名残をとどめている。
門のそばにある空き地は、かつて鍋蓋城があった場所。武田信玄が甲斐から東信濃へ侵攻した際、一晩で滅ぼしたといわれる9つの城のひとつである。ここを足がかりに小諸城が築城されていった、いわば小諸の街の起源といえる城跡である。現在は空き地や駐車場などになっており名残はないが、付近はちょうど武家地と町人地が接しており、城跡やその境界を示す石垣が残っている。城よりも街が上にある城下町ならぬ「城上町」の、特殊な街のつくりが伺える。
ここから西へやや入ると、市街を鍵形に突っ切る旧北国街道の五叉路に出くわす。小諸は城下町でもあり宿場町でもある表情をとどめており、沿道には小諸宿の建物がパラパラと見られ旧建築探訪しながらの町歩きが楽しい。昔ながらの木看板を掲げた建物、藤村が使った便箋を扱う紙屋、旧小諸銀行の三階建て・立派なうだつのある商家を用いた骨董屋、藤村の「小諸なる古城のほとり」に濁り酒が唄われた大塚酒造など。新幹線が通らなかったため古い町並みが保持されている側面もあり、駅から近いこともありコンパクトな城下町散歩が楽しめる。
藤村ゆかりの井戸がある藤村プロムナードから、名の通り馬場に隣接する馬場裏の小路を経て大手門へ。冬の黄昏のしんしんとした冷え込みが、信濃の山里の宿場のらしさにより深みを出しているようにも思えたりして。
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