ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

敦賀てくてくさんぽ6

2020年09月30日 | てくてくさんぽ・取材紀行
ランプ小屋のやや先が、金ヶ崎城跡への登り口です。かつての敦賀港駅跡を木立越しに見下ろして、城跡の中腹に建つ金崎宮を目指します。金崎宮は後醍醐天皇一の宮・尊良親王と皇太子・恒良親王が祭神。舞殿の奥に本殿が控えており、難関突破と縁結びにご利益があります。

金崎宮のある金ヶ崎城跡は、織田信長が朝倉・浅井軍に挟撃され寸前に逃れた「金ヶ崎の退き口」の舞台。浅井に嫁いだ妹のお市の方からの進物で、両端を閉じた袋入りの小豆から「袋の鼠」と察した逸話が。難関突破のお守りも小豆入りです。秀吉、光秀は退き陣で敵を食い止め、有力武将への足掛かりになりました。また縁結びは、桜の名所であるこの神社で、男女が桜の枝に思いを込めて交換し合う神事「花換まつり」が所以とされます。男女の出会いの場が限られていた明治期に始まり、縁を取り持つ場から現在は良縁祈願の場として知られます。

本殿の左手から海沿いを行く「花換の小道」を、さらに先へ。登るにつれ、敦賀港から市街を広く俯瞰できます。展望園地のある鴎ヶ崎の遊歩道が曲がる先端からは、敦賀新港の鞠山突堤越しに、敦賀半島の先の湾口を遠望。森の中に入ると登りが急になり、石段を登りきり、最後に左方向へひと登りすると金崎古戦場跡の碑が立ち、あたりが南北朝時代の本丸です。金ヶ崎城は南北朝時代に築城され、当時は新田義貞が居城。尊良親王と恒良親王を守護して足利尊氏と戦い、敗れた場です。戦国期は朝倉氏の出城となり、織田信長の朝倉攻めの際に落とされつつ、挟撃の舞台となりました。

奥の高台が城郭最高所の月見崎。通称「月見御殿」で、海抜86mの断崖からは敦賀湾が一望でき、右下は北陸電力敦賀火力発電所の貯炭所、正面奥にフェリー埠頭のある敦賀新港
対岸の敦賀半島まで見渡せます。戦国期の武将が月見を行った逸話もある景勝地です。

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