紀州街道を先へ、明治35年創業で「玉時雨」の岸和田凮月堂と、天保10年創業で「梅花むらさめ」の小山梅花堂の、2軒の和菓子屋が向かい合うあたりの奥からが、だんじりが曳行されてくるルートになる。市役所別館前は紀州街道からだんじりが左・左・右と折れて、岸和田城に向けてこなから坂を登っていくポイント。宮入前のハイライトだが、左右の角折れが連続したのちに登り坂と、大工方も梃子も息つく間がない。だんじりに使う提灯も作る藤川商店と、大正5年創業時の建物の元・西出書店の建物を過ぎた先は、ゆるいS字カーブ。かつては堀が渡され、こなから坂の麓には城郭へ至る北大手門、外廓の堺町を隔てる堀には内町門が設けてあった。
昭和初期築の寺田銀行の建物を利用したきしわだ自然資料館の先、堺町の地車小屋の前は、直角のクランクになっている。地車小屋の向かいあたりにはかつて堺口門が設けられていて、紀州街道は外廓の北側の堀を渡り古城川にかかる欄干橋へ続いていた。Sカーブ部とともに城郭の枡形で敵の侵入を防ぐものだったが、だんじりにとってはともに難所。堺町の方はそれぞれの角に古い黒壁銅板の商家と惣菜を扱う商店があり、曲がり損ねただんじりに突っ込まれないか気になる。
昭和初期築の寺田銀行の建物を利用したきしわだ自然資料館の先、堺町の地車小屋の前は、直角のクランクになっている。地車小屋の向かいあたりにはかつて堺口門が設けられていて、紀州街道は外廓の北側の堀を渡り古城川にかかる欄干橋へ続いていた。Sカーブ部とともに城郭の枡形で敵の侵入を防ぐものだったが、だんじりにとってはともに難所。堺町の方はそれぞれの角に古い黒壁銅板の商家と惣菜を扱う商店があり、曲がり損ねただんじりに突っ込まれないか気になる。
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