マイカルやジャスコといった、ショッピングセンターにレストランモールやアミューズメントパークが一体となった施設が人気を博し、その反動で地域に根ざした商店街が近頃は苦境に立たされている。そんな中、横浜では地元密着型の商店街が、多数健在だ。「横浜のアメ横」と称される天王町の洪福寺商店街、「中村に行けば何とかなるサ」と、何でも揃う商店街の代名詞だった中村橋商店街、西国札所である弘明寺観音の門前町でもある弘明寺商店街など、名物商店街の名がポンポンと挙がるほど。よその土地から転居してくる人が多く、郷土愛が希薄な町と言われる横浜だが、こうした商店街には下町らしさや人情あふれる風情が、まだまだ残っているようである。
横浜の、そして日本を代表する歌手である美空ひばりの生家があった磯子区
にも、今もなおそんな名物商店街が健在だ。「浜マーケット」という、どこかレトロチックな名もそそられるその商店街は国道16号線に面した一角、磯子警察署のそばにある。人が何とかすれちがえる程度の狭い通路を歩けば、そこは昭和30年代のまま時間が止まってしまったような空間。大きなスイカやメロンを並べた青果店の奥では、親父さんがいすに座ってのんびり店番、惣菜の店の店頭には、揚げたての各種フライがずらりと並びうまそうだ。ほかにも見慣れないキムチを揃えた韓国食材の店、せんべいやスナックを大袋で豪快に売る菓子屋など、店頭を眺めているだけでも楽しくなる。
入口から4軒目ほどのところにある『小島屋』という店では、店頭のガラスケースに鶏肉のほか、焼き鳥やつくねなど惣菜が並び、奥ではせっせと加工の作業をしているのが見える。一見、普通の鳥肉屋か総菜屋のように見えるこの店、実は界隈では評判の高い、鰻の有名店なのである。店頭で蒲焼の串や肝焼きも売っているほか、2階には食事用のスペースも設けられているのがありがたい。ちょっと分かりづらいが店頭の脇に奥へと入る狭い通路があり、階段で2階の座敷へ。座敷といっても商店の2階の普通の広間に、卓がいくつか並んでいるといった感じ。床の間に置かれた七福神の置物が、ニコニコと笑っている。
ちょうどランチタイムのため、座敷には周辺に勤めているらしいサラリーマンが数組、腰を下ろしている様子。鶏肉の専門店だけに、皿に大盛りの鳥の唐揚げ定食や、大ぶりのチキンカツ丼を食べているのにもひかれるが、お目当てはやはり、ランチメニューの鰻丼。通常だと2000円以上するところが、お昼は吸い物などがついて1000円とお得だ。おばちゃんに注文すると、ペットボトルのサントリーウーロン茶を大きなグラスに注いで出してくれた。BGMなど流れておらず、ちょっと薄暗い普通の民家の座敷で料理を待っていると、何だか時間が止まってしまったような錯覚に陥ってしまう。
横浜の住宅街の一角にある商店街の鰻丼が、これだけ評判が高いのには、もちろんいくつかの訳がある。蒲焼に使うウナギは、活けのウナギをその日に使う分だけ裂いて使っているという。加えて蒲焼以外にも漬物はすべて自家製、そしてごはんは何と、お釜を使って薪で炊いているなど、手間隙かけた味は東京下町の名店に勝るとも劣らない味。食事処へ昇る階段の隣には、羽釜がいっぱい積まれていて、ごはんは店の裏手で炊いているようである。ちなみにこの浜マーケットの近くの岡村町には、かつて美空ひばりの生家があったという。戦後日本の庶民を活気付ける歌を歌い続けた彼女も、この横浜庶民の商店街自慢の鰻丼を食べたことがあるのだろうか。
しばらくして運ばれた丼は大振りで、丼飯の上には蒲焼がドン、とのっている。さっそく箸を伸ばすと、丼の深さは蒲焼とごはんをひと口分とるのにちょうどよく、ふっくらしたウナギと、羽釜で炊いて粒がしっかり立ち上がったご飯をひと口。ウナギは柔らかめに焼き上がっていて、脂はほどほどののり。川魚独特の土の香りがまったくなく、スッキリと素直な味わいだ。固めに炊き上がった御飯との相性は文句なしで、これぞ鰻丼、といった感じ。ひと口、もうひと口と、無言でどんどん箸が進む。
近頃ではデパートでショッピングの後に、フードコートで食事、という具合だろうが、身近な商店街の八百屋や肉屋で買出しをした後に、町の食堂で遅いお昼を頂いていく、というのも楽しいもの。お買い物と外食の組み合わせは、古くから変わらない生活密着型レジャーアイテムといったところか。こちらは順番が逆になったが、食後にマーケットのアーケードの下をぶらぶら。せっかくだから晩飯用に惣菜や、酒の肴に本場のキムチを仕入れていくとするか。(2006年6月22日食記)
横浜の、そして日本を代表する歌手である美空ひばりの生家があった磯子区
にも、今もなおそんな名物商店街が健在だ。「浜マーケット」という、どこかレトロチックな名もそそられるその商店街は国道16号線に面した一角、磯子警察署のそばにある。人が何とかすれちがえる程度の狭い通路を歩けば、そこは昭和30年代のまま時間が止まってしまったような空間。大きなスイカやメロンを並べた青果店の奥では、親父さんがいすに座ってのんびり店番、惣菜の店の店頭には、揚げたての各種フライがずらりと並びうまそうだ。ほかにも見慣れないキムチを揃えた韓国食材の店、せんべいやスナックを大袋で豪快に売る菓子屋など、店頭を眺めているだけでも楽しくなる。
入口から4軒目ほどのところにある『小島屋』という店では、店頭のガラスケースに鶏肉のほか、焼き鳥やつくねなど惣菜が並び、奥ではせっせと加工の作業をしているのが見える。一見、普通の鳥肉屋か総菜屋のように見えるこの店、実は界隈では評判の高い、鰻の有名店なのである。店頭で蒲焼の串や肝焼きも売っているほか、2階には食事用のスペースも設けられているのがありがたい。ちょっと分かりづらいが店頭の脇に奥へと入る狭い通路があり、階段で2階の座敷へ。座敷といっても商店の2階の普通の広間に、卓がいくつか並んでいるといった感じ。床の間に置かれた七福神の置物が、ニコニコと笑っている。
ちょうどランチタイムのため、座敷には周辺に勤めているらしいサラリーマンが数組、腰を下ろしている様子。鶏肉の専門店だけに、皿に大盛りの鳥の唐揚げ定食や、大ぶりのチキンカツ丼を食べているのにもひかれるが、お目当てはやはり、ランチメニューの鰻丼。通常だと2000円以上するところが、お昼は吸い物などがついて1000円とお得だ。おばちゃんに注文すると、ペットボトルのサントリーウーロン茶を大きなグラスに注いで出してくれた。BGMなど流れておらず、ちょっと薄暗い普通の民家の座敷で料理を待っていると、何だか時間が止まってしまったような錯覚に陥ってしまう。
横浜の住宅街の一角にある商店街の鰻丼が、これだけ評判が高いのには、もちろんいくつかの訳がある。蒲焼に使うウナギは、活けのウナギをその日に使う分だけ裂いて使っているという。加えて蒲焼以外にも漬物はすべて自家製、そしてごはんは何と、お釜を使って薪で炊いているなど、手間隙かけた味は東京下町の名店に勝るとも劣らない味。食事処へ昇る階段の隣には、羽釜がいっぱい積まれていて、ごはんは店の裏手で炊いているようである。ちなみにこの浜マーケットの近くの岡村町には、かつて美空ひばりの生家があったという。戦後日本の庶民を活気付ける歌を歌い続けた彼女も、この横浜庶民の商店街自慢の鰻丼を食べたことがあるのだろうか。
しばらくして運ばれた丼は大振りで、丼飯の上には蒲焼がドン、とのっている。さっそく箸を伸ばすと、丼の深さは蒲焼とごはんをひと口分とるのにちょうどよく、ふっくらしたウナギと、羽釜で炊いて粒がしっかり立ち上がったご飯をひと口。ウナギは柔らかめに焼き上がっていて、脂はほどほどののり。川魚独特の土の香りがまったくなく、スッキリと素直な味わいだ。固めに炊き上がった御飯との相性は文句なしで、これぞ鰻丼、といった感じ。ひと口、もうひと口と、無言でどんどん箸が進む。
近頃ではデパートでショッピングの後に、フードコートで食事、という具合だろうが、身近な商店街の八百屋や肉屋で買出しをした後に、町の食堂で遅いお昼を頂いていく、というのも楽しいもの。お買い物と外食の組み合わせは、古くから変わらない生活密着型レジャーアイテムといったところか。こちらは順番が逆になったが、食後にマーケットのアーケードの下をぶらぶら。せっかくだから晩飯用に惣菜や、酒の肴に本場のキムチを仕入れていくとするか。(2006年6月22日食記)
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