福山さんぽの晩御飯で入った「稲田屋」は、相当な大当りだった。ドアをくぐれば、薄ぼんやりした蛍光灯の下、土間のようなたたきに使い尽くされた木のテーブルと椅子が並ぶ。帳場もまた年季が入っており、創業からずっと店番してるんじゃないかと思えるほど、調理の親父さんと配膳のおばちゃんの素朴さがなじんでいる。各地で昭和を標榜する食事処をずいぶん見てきたが、ここの空間は昭和「風」じゃなく、リアルなまんまフリーズし続けているかのように思える。
品書きはうどん、そば、飯に、種となる肉・玉子を組み合わせるマトリクスで、シンプルな揃え。肉玉丼は親子丼の肉を牛肉にした感じで、街の食堂風というか家庭風というか、素朴の極みなざっかけない見た目である。玉ねぎにネギが、お疲れ様と声をかけたくなるほどぐったり煮詰められ、逆に溶き入れてからほとんど火にかけてないんじゃというほど、ゆるくダラリとした玉子にからめられている。
そして牛肉だが、これがありがとうと声に出そうなほど、厚めでたっぷり散りばめられているのが嬉しい。福山で牛丼といえば駅前の某牛でなくこれ、という、地元の評価も納得だ。ワシワシではなくズズズッというほど、つゆだくゆるゆるなのをかっ込むと、煮汁がすべての食材をパーフェクトにまとめることといったら。食感も風味も汁に持ってかれているのでは、なほど色落ちしてへたった野菜たちに対し、牛肉の存在感は屹立。かむごとに味がグングン伸び、玉子も相乗して満足感が半端ではない。
地元では飲み屋としても使われており、ちろりの二合酒で関東炊きの串をガシガシやってる様子も見える。思わぬ見知らぬ街で遭遇した、濃ゆい昭和の空間。広島路の旅で要途中下車の町が、またまた増えてしまったようだ。
品書きはうどん、そば、飯に、種となる肉・玉子を組み合わせるマトリクスで、シンプルな揃え。肉玉丼は親子丼の肉を牛肉にした感じで、街の食堂風というか家庭風というか、素朴の極みなざっかけない見た目である。玉ねぎにネギが、お疲れ様と声をかけたくなるほどぐったり煮詰められ、逆に溶き入れてからほとんど火にかけてないんじゃというほど、ゆるくダラリとした玉子にからめられている。
そして牛肉だが、これがありがとうと声に出そうなほど、厚めでたっぷり散りばめられているのが嬉しい。福山で牛丼といえば駅前の某牛でなくこれ、という、地元の評価も納得だ。ワシワシではなくズズズッというほど、つゆだくゆるゆるなのをかっ込むと、煮汁がすべての食材をパーフェクトにまとめることといったら。食感も風味も汁に持ってかれているのでは、なほど色落ちしてへたった野菜たちに対し、牛肉の存在感は屹立。かむごとに味がグングン伸び、玉子も相乗して満足感が半端ではない。
地元では飲み屋としても使われており、ちろりの二合酒で関東炊きの串をガシガシやってる様子も見える。思わぬ見知らぬ街で遭遇した、濃ゆい昭和の空間。広島路の旅で要途中下車の町が、またまた増えてしまったようだ。