華麗にして豪快な加賀料理の成り立ちには、加賀前田家の巨万な富に関わりがある。俗に「加賀百万石」と称される巨大な勢力は常に江戸幕府に警戒され、藩はその注意をそらすためにあえて美術工芸や茶の湯、芸能といった文化政策に力を入れていたとされる。そんな中、加賀料理は発展したのは3代藩主前田利常の時代。京の都を大変好んだ利常の意向もあり、京料理の繊細で雅な部分と、武家文化の力強さが融合して、現在の加賀料理が形成されていったのだ。
…と、加賀料理の由縁は「旅で出会ったローカルごはん」の本122ページから引用にて失礼。市街には現在も藩政期から続く料亭がいくつがあり、城下の武蔵ヶ辻にある「浅田屋」は、1867(慶応3)年創業の老舗中の老舗。加賀会席の食事だけで2万円ほど、泊まれば4~5万円はするという、「超」がつく高級料亭旅館だ。その東京の姉妹店で催される会に招かれるという、この上なくありがたい機会に恵まれた。慣れないネクタイにスーツ姿で、地下鉄の赤坂駅から歩いて店に着いたところ、店頭に横付けされた黒塗りのハイヤーから、パリッとした背広の男性が数名降りてきている様子。それに混じって暖簾をくぐると、和服のお姉さま方が一斉に「いらっしゃいませ」。本場金沢の加賀料理の老舗、加えて赤坂の料亭ということもあり、豪華さがよりいっそうグレードアップされた感じである。
この日の会は「食談」と題し、石川県の味覚を存分に味わいながら、マスコミや旅行関連業者と現地の行政の方々との交流が趣旨である。伝統芸能の笛の演奏に始まり、主催者側の挨拶の後、『赤坂浅田』のご主人から、今日頂く料理に使う食材についてのお話があった。日本海でとれる様々な魚介、伝統の加賀野菜といった地場の素材に加え、店のこだわりは料理に使う「水」。霊峰・白山の伏流水を用いた、素材の味が素直に引き出された料理が身上で、「ガソリンよりも高い水なのです」とのご主人の言葉に力が入る。加えてこの日の料理の目玉は、北陸の冬の味覚の代表・ズワイガニだ。ご主人によると、昨日解禁になったばかりとのことで、まさに走りの中の走り。これも期待がかかる。
場所柄、少々格調の高い会のようで心配したけれど、乾杯の後には座がくだけ、なごやかな雰囲気なり一安心。さっそく先付に箸をのばす。甘露煮のゴリは、かつては市街を流れる犀川や浅野川でとれた小魚で、金沢ならではの魚のひとつ。地元では甘露煮のほか佃煮、椀物のタネなど、惣菜向けの魚だ。ブリの蕪寿司はカブの輪切りにブリの切り身を挟み、糀で漬けたもので、正月や豊漁のお祝いで振舞われた家庭料理。煮こごり風の久留美えびすも「ハレ」の一品で、菓子のように甘いがなかなか酒に合う。これらはいずれもいわば庶民の加賀料理、武家よりも商人や町民の食文化といたところか。始めはとりあえずビール、ということなのか、キリンの「一番搾り」の中ビンがどんどんと運ばれてくる。これもただの一番搾りにあらず、キリン金沢工場で製造されたものをわざわざ取り寄せているのだそう。金沢工場がある場所は、手取川流域で伏流水が豊かな地域だけに、全国のキリンの工場の中でもビールの出来が特にいいという説もある。「北陸工場の一番搾りが飲めるのは、東京でここだけ」と、これまたご主人の水へのこだわりが垣間見られるようだ。
そんな逸品? の一番搾りと合わせて、能登産のブドウを能登で醸造した地のワインも頂いていると、次に出された料理は椀物である。加賀料理の代表的な椀物のひとつ「蓮根汁」で、メギスのつみれにつる菜、さらに加賀レンコンを使った蓮根餅が入っている。蓮根餅とは、すりおろしたレンコンを団子状にまるめて蒸したもの。レンコンの汁物、と聞くと何だか泥臭い風味を想像してしまうが、そこは洗練された加賀料理の椀。特有の土の香りはあまりせず、澄んだ甘みが実にすがすがしい味わいだ。この加賀レンコンやをはじめ、料理には「加賀野菜」と呼ばれる、古くから加賀地方で栽培されている地場特産の野菜が多用されている。加賀レンコンはそもそも、前田家5代藩主だった綱紀公が美濃から持ち帰り、城の堀で栽培していたという。レンコンを城のお堀で栽培していたといえば、辛子レンコンで有名な熊本城でも同様で、そこでは病弱だった殿様の滋養強壮に出されていたというから、栄養価も非常に高いのだろう。金沢城の北寄りの小坂地区大樋町で栽培が盛んだったため、地元では「小坂レンコン」のほうが通りがいいようだ。先付にもあった加賀太キュウリも加賀野菜のひとつで、太キュウリの名にたがわず、1キロほどの大きさに成長するのだとか。
続く向付は、ガンドブリに甘エビの造りだ。ガンドブリはブリの成魚よりやや若く小柄で、身がサクサクと締まっている上にトロリとしっかり脂ものっている。薬味には加賀野菜のひとつである、小松産の丸芋のトロロも添えてあり、山かけ風でなかなかいける。そして甘エビの甘いことといったら。ズワイガニの登場を前に、日本海の冬の味覚に脱帽、といった感じで、そろそろビールやワインから加賀の銘酒にシフトしたいところである。手取川流域はキリンの工場のほかにも、豊かで優れた伏流水のおかげで日本酒の名醸地としても名高い。鶴来・小堀酒造店の「萬歳楽」に菊姫合資会社の「菊姫」、松任・車多酒造の「天狗舞」と、この日揃った酒はいずれも日本酒好きの人なら熟知している銘柄だろう。まずは萬歳楽の冷酒からいくと、フルーティーな甘みが後を引く、香り高い酒だ。運んできた仲居さんによると、店のご主人が蔵元に出向き、発酵中の諸味をかき混ぜる「櫂入れ」を行ったそうで「浅田屋のオリジナルです」。これと対照的にキリッと辛口で料理に合う「菊姫」、水のごとくスッと進む「天狗舞」と、一気に3種の飲み比べを楽しんでしまう。
次々に出される洗練された料理に加えて、九谷焼をはじめとする美しい器もまた醍醐味のひとつ。九谷焼の長谷川塑人や松本左一の名品ほか、輪島塗に山中塗、加賀象嵌など、加賀の伝統文化を舌で味わいつつ目でも愛でるのが、加賀会席の楽しみ方である。「仲居の加賀友禅にも注目を」とご主人の話の後、その加賀友禅の仲居さんが九谷の大皿を持って席を一巡。皿には見事な鯛がドン、とのり、いやはや絢爛豪華かつ豪快だ。料理の名は「鯛の唐蒸し」。オス鯛とメス鯛を開いて、中に卯の花を詰めて蒸したもので、名の通り大陸から伝わった料理といわれる。婚礼など祝い事の際の目玉料理でもあり、見た目の華やかさはもちろん、味のほうもなかなか。小皿に取り分けられ運ばれた切り身を頂くと、ホクホク、しっとりした身に卯の花の濃い目の味付けがよく合い、造りを肴に日本酒を立て続けに飲んだ後にはホッとする優しい味だ。
ほど良く酒が回り、豪華な一品を味わい、座が盛り上がったところでいよいよ、解禁すぐのズワイガニの登場である。福井では「越前ガニ」、山陰では「松葉ガニ」とも呼ばれるオスのズワイガニは、日本海沿岸を代表する冬の味覚だろう。金沢ではこれまで特に地方名はなかったが、今年から石川県内で水揚げされるオスのズワイガニを「加能ガニ」(加賀・能登から1字ずつとった?)と称し、ブランド化を推進するらしい。11月6日にいっせいに解禁となり、翌年の3月20日までが漁期。今日は7日だから、頂けるカニは昨日競り落としたばかりの、まぎれもない初物。「加能ガニ」となった初日の品という訳だ。今朝一番の飛行機で東京へ生きたまま運び、店でゆでて出したというから鮮度は文句なし。皿にはゆでた足が数本に、すでにほぐしてある身が盛られていて、純白、ツルツルのほぐし身を頂いていると、自然に口数が少なくなってしまう。甘みも瑞々しさもしっかり、酒もそっちのけで足にかかろうとすると「ほぐして差し上げましょうか」と、加賀友禅の仲居さんがやってきた。
加能カニとの対峙中に休止した酒を、ブリ大根の鉢が出たのに合わせて追加。結構酔ってきたので、この一品を肴に酒は締めくくるとしよう。ブリ大根に使っている大根も、加賀野菜のひとつである源助大根。金沢市近郊の日本海に近い打木地区で栽培されているため、これも加賀レンコンと同様に地元では産地を冠した「打木源助」のほうが通りがいい。きめが細かく煮崩れしにくいため煮物に最適で、ブリの旨味を受け止めているのに繊維がしっかりと、食べ応えがある。このダイコン、セブンイレブンのおでんダネに使われたことで一躍有名になった「ブランドダイコン」だ。続いて出てきた治部煮は、加賀料理としての知名度が一番高い一品ではないだろうか。肉に小麦粉をまぶし、旬の野菜や金沢特産の麩と一緒に煮て、「治部椀」と呼ばれる浅めの器に盛りつけてできあがり。使う肉は鴨が代表的で、前田家の分家である大聖寺藩の片野鴨池で、現在も藩政時代から受け継がれる「坂網猟」という猟法で捕った鴨が評判が高いという。鉄砲で撃つのではなく網を使って捕らえるため、鉄砲玉の鉛の味がしないそうで、期待したところ使っているのはその鴨ではなく、群馬県産の鴨です、と苦笑するご主人。野鳥独特の野趣味のくせが少ない分コクがありやわらかく、ギザギザで味のよく染みたすだれ麩、モチモチした粟麩とともに、酒の後にはうれしい味だ。夏場にはあっさりしたフランス産の鴨を空輸して使うそうで、鴨肉料理の本場の素材と伝統の加賀料理のコラボレートというのも、なかなか興味深い。
加賀料理の数々を存分に堪能、加賀の銘酒も痛飲したところで、宴もそろそろ終わりに近づいた。締めくくりの召し上がりものは、そば。加賀料理の締めでそば、とはピンとこないかもしれないが、石川県は意外にそば処でもある。中でも県南の鳥越村は、白山麓に位置するため名水に恵まれ、朝夕の寒暖が激しいことでそばの栽培に適している。村内には50ヘクタールのそば畑が作付けされ、ここの良質のそばを浅田屋に優先して卸してもらっているという。面白いのは、ここのそばは「汐つゆ」で頂くこと。江戸や大坂では、そば粉をこねて麺のように仕立てたいわゆる「そば切り」を、カツオや昆布、醤油でつくるつゆにつけて食べていたが、そばはそもそも、農民が年貢として納める米の代わりに、飢えをしのぐために粟やひえと同様に食べていたものである。だから山村では、つゆの材料となる昆布やカツオブシが手に入る訳がなく、塩のつゆで食べていたのを再現したのがこの店のスタイルなのだ。普通のそばつゆよりもさっぱりしている分、そば本来の風味がしっかりと感じられ、いかにも田舎のそばといった感じで悪くない。
野々市の柿に、湯涌温泉近くのリンゴを使った焼きリンゴといった水菓子、さらに地元では焼き芋の高級品であるサツマイモ・五郎島金時を使ったきんとんをデザートに頂き、石川の食を堪能する会は無事、お開きとなった。立ち上がると席の後ろに、いつの間にか手提げ袋が置かれている。おみやげらしく、石川県の観光をPRしたパンフレットが各種入っており、もうひとつ折のようなものが気になる。先付で頂いたような佃煮か、あるいは加賀の珍味である巻鰤か糠漬、高級料亭なのだからもしかして、ナマコの卵巣を干した高級珍味の干口子か… などと、酒の肴を期待して家に帰って包みを開くと、中から出てきたのは蓮根の饅頭。茶道もまた加賀文化の代表的なひとつで、金沢の市街には和菓子の名店も数多かったことを思い出す。お茶とともに頂きながら、加賀の味覚尽くしの最後を締めくくるとしようか。(2006年11月7日食記)
…と、加賀料理の由縁は「旅で出会ったローカルごはん」の本122ページから引用にて失礼。市街には現在も藩政期から続く料亭がいくつがあり、城下の武蔵ヶ辻にある「浅田屋」は、1867(慶応3)年創業の老舗中の老舗。加賀会席の食事だけで2万円ほど、泊まれば4~5万円はするという、「超」がつく高級料亭旅館だ。その東京の姉妹店で催される会に招かれるという、この上なくありがたい機会に恵まれた。慣れないネクタイにスーツ姿で、地下鉄の赤坂駅から歩いて店に着いたところ、店頭に横付けされた黒塗りのハイヤーから、パリッとした背広の男性が数名降りてきている様子。それに混じって暖簾をくぐると、和服のお姉さま方が一斉に「いらっしゃいませ」。本場金沢の加賀料理の老舗、加えて赤坂の料亭ということもあり、豪華さがよりいっそうグレードアップされた感じである。
この日の会は「食談」と題し、石川県の味覚を存分に味わいながら、マスコミや旅行関連業者と現地の行政の方々との交流が趣旨である。伝統芸能の笛の演奏に始まり、主催者側の挨拶の後、『赤坂浅田』のご主人から、今日頂く料理に使う食材についてのお話があった。日本海でとれる様々な魚介、伝統の加賀野菜といった地場の素材に加え、店のこだわりは料理に使う「水」。霊峰・白山の伏流水を用いた、素材の味が素直に引き出された料理が身上で、「ガソリンよりも高い水なのです」とのご主人の言葉に力が入る。加えてこの日の料理の目玉は、北陸の冬の味覚の代表・ズワイガニだ。ご主人によると、昨日解禁になったばかりとのことで、まさに走りの中の走り。これも期待がかかる。
場所柄、少々格調の高い会のようで心配したけれど、乾杯の後には座がくだけ、なごやかな雰囲気なり一安心。さっそく先付に箸をのばす。甘露煮のゴリは、かつては市街を流れる犀川や浅野川でとれた小魚で、金沢ならではの魚のひとつ。地元では甘露煮のほか佃煮、椀物のタネなど、惣菜向けの魚だ。ブリの蕪寿司はカブの輪切りにブリの切り身を挟み、糀で漬けたもので、正月や豊漁のお祝いで振舞われた家庭料理。煮こごり風の久留美えびすも「ハレ」の一品で、菓子のように甘いがなかなか酒に合う。これらはいずれもいわば庶民の加賀料理、武家よりも商人や町民の食文化といたところか。始めはとりあえずビール、ということなのか、キリンの「一番搾り」の中ビンがどんどんと運ばれてくる。これもただの一番搾りにあらず、キリン金沢工場で製造されたものをわざわざ取り寄せているのだそう。金沢工場がある場所は、手取川流域で伏流水が豊かな地域だけに、全国のキリンの工場の中でもビールの出来が特にいいという説もある。「北陸工場の一番搾りが飲めるのは、東京でここだけ」と、これまたご主人の水へのこだわりが垣間見られるようだ。
そんな逸品? の一番搾りと合わせて、能登産のブドウを能登で醸造した地のワインも頂いていると、次に出された料理は椀物である。加賀料理の代表的な椀物のひとつ「蓮根汁」で、メギスのつみれにつる菜、さらに加賀レンコンを使った蓮根餅が入っている。蓮根餅とは、すりおろしたレンコンを団子状にまるめて蒸したもの。レンコンの汁物、と聞くと何だか泥臭い風味を想像してしまうが、そこは洗練された加賀料理の椀。特有の土の香りはあまりせず、澄んだ甘みが実にすがすがしい味わいだ。この加賀レンコンやをはじめ、料理には「加賀野菜」と呼ばれる、古くから加賀地方で栽培されている地場特産の野菜が多用されている。加賀レンコンはそもそも、前田家5代藩主だった綱紀公が美濃から持ち帰り、城の堀で栽培していたという。レンコンを城のお堀で栽培していたといえば、辛子レンコンで有名な熊本城でも同様で、そこでは病弱だった殿様の滋養強壮に出されていたというから、栄養価も非常に高いのだろう。金沢城の北寄りの小坂地区大樋町で栽培が盛んだったため、地元では「小坂レンコン」のほうが通りがいいようだ。先付にもあった加賀太キュウリも加賀野菜のひとつで、太キュウリの名にたがわず、1キロほどの大きさに成長するのだとか。
続く向付は、ガンドブリに甘エビの造りだ。ガンドブリはブリの成魚よりやや若く小柄で、身がサクサクと締まっている上にトロリとしっかり脂ものっている。薬味には加賀野菜のひとつである、小松産の丸芋のトロロも添えてあり、山かけ風でなかなかいける。そして甘エビの甘いことといったら。ズワイガニの登場を前に、日本海の冬の味覚に脱帽、といった感じで、そろそろビールやワインから加賀の銘酒にシフトしたいところである。手取川流域はキリンの工場のほかにも、豊かで優れた伏流水のおかげで日本酒の名醸地としても名高い。鶴来・小堀酒造店の「萬歳楽」に菊姫合資会社の「菊姫」、松任・車多酒造の「天狗舞」と、この日揃った酒はいずれも日本酒好きの人なら熟知している銘柄だろう。まずは萬歳楽の冷酒からいくと、フルーティーな甘みが後を引く、香り高い酒だ。運んできた仲居さんによると、店のご主人が蔵元に出向き、発酵中の諸味をかき混ぜる「櫂入れ」を行ったそうで「浅田屋のオリジナルです」。これと対照的にキリッと辛口で料理に合う「菊姫」、水のごとくスッと進む「天狗舞」と、一気に3種の飲み比べを楽しんでしまう。
次々に出される洗練された料理に加えて、九谷焼をはじめとする美しい器もまた醍醐味のひとつ。九谷焼の長谷川塑人や松本左一の名品ほか、輪島塗に山中塗、加賀象嵌など、加賀の伝統文化を舌で味わいつつ目でも愛でるのが、加賀会席の楽しみ方である。「仲居の加賀友禅にも注目を」とご主人の話の後、その加賀友禅の仲居さんが九谷の大皿を持って席を一巡。皿には見事な鯛がドン、とのり、いやはや絢爛豪華かつ豪快だ。料理の名は「鯛の唐蒸し」。オス鯛とメス鯛を開いて、中に卯の花を詰めて蒸したもので、名の通り大陸から伝わった料理といわれる。婚礼など祝い事の際の目玉料理でもあり、見た目の華やかさはもちろん、味のほうもなかなか。小皿に取り分けられ運ばれた切り身を頂くと、ホクホク、しっとりした身に卯の花の濃い目の味付けがよく合い、造りを肴に日本酒を立て続けに飲んだ後にはホッとする優しい味だ。
ほど良く酒が回り、豪華な一品を味わい、座が盛り上がったところでいよいよ、解禁すぐのズワイガニの登場である。福井では「越前ガニ」、山陰では「松葉ガニ」とも呼ばれるオスのズワイガニは、日本海沿岸を代表する冬の味覚だろう。金沢ではこれまで特に地方名はなかったが、今年から石川県内で水揚げされるオスのズワイガニを「加能ガニ」(加賀・能登から1字ずつとった?)と称し、ブランド化を推進するらしい。11月6日にいっせいに解禁となり、翌年の3月20日までが漁期。今日は7日だから、頂けるカニは昨日競り落としたばかりの、まぎれもない初物。「加能ガニ」となった初日の品という訳だ。今朝一番の飛行機で東京へ生きたまま運び、店でゆでて出したというから鮮度は文句なし。皿にはゆでた足が数本に、すでにほぐしてある身が盛られていて、純白、ツルツルのほぐし身を頂いていると、自然に口数が少なくなってしまう。甘みも瑞々しさもしっかり、酒もそっちのけで足にかかろうとすると「ほぐして差し上げましょうか」と、加賀友禅の仲居さんがやってきた。
加能カニとの対峙中に休止した酒を、ブリ大根の鉢が出たのに合わせて追加。結構酔ってきたので、この一品を肴に酒は締めくくるとしよう。ブリ大根に使っている大根も、加賀野菜のひとつである源助大根。金沢市近郊の日本海に近い打木地区で栽培されているため、これも加賀レンコンと同様に地元では産地を冠した「打木源助」のほうが通りがいい。きめが細かく煮崩れしにくいため煮物に最適で、ブリの旨味を受け止めているのに繊維がしっかりと、食べ応えがある。このダイコン、セブンイレブンのおでんダネに使われたことで一躍有名になった「ブランドダイコン」だ。続いて出てきた治部煮は、加賀料理としての知名度が一番高い一品ではないだろうか。肉に小麦粉をまぶし、旬の野菜や金沢特産の麩と一緒に煮て、「治部椀」と呼ばれる浅めの器に盛りつけてできあがり。使う肉は鴨が代表的で、前田家の分家である大聖寺藩の片野鴨池で、現在も藩政時代から受け継がれる「坂網猟」という猟法で捕った鴨が評判が高いという。鉄砲で撃つのではなく網を使って捕らえるため、鉄砲玉の鉛の味がしないそうで、期待したところ使っているのはその鴨ではなく、群馬県産の鴨です、と苦笑するご主人。野鳥独特の野趣味のくせが少ない分コクがありやわらかく、ギザギザで味のよく染みたすだれ麩、モチモチした粟麩とともに、酒の後にはうれしい味だ。夏場にはあっさりしたフランス産の鴨を空輸して使うそうで、鴨肉料理の本場の素材と伝統の加賀料理のコラボレートというのも、なかなか興味深い。
加賀料理の数々を存分に堪能、加賀の銘酒も痛飲したところで、宴もそろそろ終わりに近づいた。締めくくりの召し上がりものは、そば。加賀料理の締めでそば、とはピンとこないかもしれないが、石川県は意外にそば処でもある。中でも県南の鳥越村は、白山麓に位置するため名水に恵まれ、朝夕の寒暖が激しいことでそばの栽培に適している。村内には50ヘクタールのそば畑が作付けされ、ここの良質のそばを浅田屋に優先して卸してもらっているという。面白いのは、ここのそばは「汐つゆ」で頂くこと。江戸や大坂では、そば粉をこねて麺のように仕立てたいわゆる「そば切り」を、カツオや昆布、醤油でつくるつゆにつけて食べていたが、そばはそもそも、農民が年貢として納める米の代わりに、飢えをしのぐために粟やひえと同様に食べていたものである。だから山村では、つゆの材料となる昆布やカツオブシが手に入る訳がなく、塩のつゆで食べていたのを再現したのがこの店のスタイルなのだ。普通のそばつゆよりもさっぱりしている分、そば本来の風味がしっかりと感じられ、いかにも田舎のそばといった感じで悪くない。
野々市の柿に、湯涌温泉近くのリンゴを使った焼きリンゴといった水菓子、さらに地元では焼き芋の高級品であるサツマイモ・五郎島金時を使ったきんとんをデザートに頂き、石川の食を堪能する会は無事、お開きとなった。立ち上がると席の後ろに、いつの間にか手提げ袋が置かれている。おみやげらしく、石川県の観光をPRしたパンフレットが各種入っており、もうひとつ折のようなものが気になる。先付で頂いたような佃煮か、あるいは加賀の珍味である巻鰤か糠漬、高級料亭なのだからもしかして、ナマコの卵巣を干した高級珍味の干口子か… などと、酒の肴を期待して家に帰って包みを開くと、中から出てきたのは蓮根の饅頭。茶道もまた加賀文化の代表的なひとつで、金沢の市街には和菓子の名店も数多かったことを思い出す。お茶とともに頂きながら、加賀の味覚尽くしの最後を締めくくるとしようか。(2006年11月7日食記)