いろんなものを踏みにじって生きてきたこと
それは罪でもなんでもない
ただここからは人間の複雑なところで
罪を意識しないということは罪になったりする
それならば罪悪と慈善は何を境にするのだろう
規定というものはとても曖昧だ
結局は良心というひどく不確かなものに委ねられる
人を裁くということは自分の命を賭けるということだ
判断の違いで誰かが踏みにじられたとき
誰にも文句を言わずに死ななければならないということだ
安易な善悪の観念は身を滅ぼしかねない
けれど複雑な善悪の観念もまた決して良しとはされない
善悪の袋小路に迷い込んだ人間は狂人と呼ばれてしまう
何を踏みにじることは悪でなく何を踏みにじれば善なのか
見極めることはそれほどに複雑なことではない
ただそこまで辿り着くには それなりの
慈愛と憎悪と猜疑と信頼
そして情熱と冷静さ、理解と離反を
心得る必要がある
不確かな善悪の定義について
言葉にするのは簡単なことだ
けれどさながら数学の公式のように
辿り着かないかぎり理解することはできない
したたかに人々を踏みにじって得るものは膨大だ
少なくとも人間社会のなかでは膨大だ
入り組んだ善悪の中をかいくぐって
少なくともそうし続けてきた結果として
あなたとわたしはここにいるのだろう
結局は社会は個人に帰結する
誰にも他人を否定する権利などない
だから善悪などはいっこうに利己的でかまわない
ただし相手の善悪を否定することは相手にとっての悪だ
踏みにじられないよう
命を賭ける必要がある
善悪を裁くのは何も司法だけではない
無害なものなど存在しないのだから
死んでしまえば今のところ
誰一人相手に文句を言うことはできない
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