ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

重たい

2021年11月27日 | その他

 昨日の夕方は精神科の診察がありました。
 私のことはともかく、最近、ますます我儘になった義母のオーダーが激しく、同居人がまいっていることについて相談しました。

 あれを買ってこい、これを買ってこい。
 しかもそれはつい最近買って持って行ったものばかり。
 どうしたのかと問えば、なくしただの、もう使い切っただの。
 さらには子供の頃手がかかったのだから、今孝行するのは当然だの。 
 掃除をしに来い、布団を干しに来い。
 私が行くと気を使って疲れるから同居人一人で来い。
 それでいて、同居することは嫌がります。
 施設に入ることを勧めても、どこも悪くない、頭もしっかりしているの一点張り。
 
 しかし、体温計の使い方さえ分からなくなってパニックを起こし、使いやすい体温計を買って来いと言ったり。
 役所から手紙が届いたと言ってはパニックを起こし、電池が切れたと言ってはパニックを起こします。

 もう一人暮らしは無理だと思います。
 呆けたら施設に入れてくれと言っていますが、もう認知症が始まっているような気がしますが、頑として検査を受けようとしません。

 まるで取引のように、幼い頃面倒をみたことと、今面倒をみてもらうことを正当化しています。
 毎日の1時間を超える長電話。
 デイ・ケア、ケア・マネージャー等の社会資源を使うことへの嫌悪。

 老いた親の面倒をみるのはわが国では子供の義務のようになって、親も子供もそれを当然とみなしています。
 しかし、フルタイムで働きながら、義母の要望にすべて応えるのは無理というもの。

 年より嗤うな行く道じゃ、と申します。
 
 それはそのとおりだと思いますが、同居人と私の生活が乱れてきているのも事実。

 精神科医は無理にでも施設に入れてしまえと言いますが、本人の意志に反してそのようなことは出来ません。

 車で10分とかからぬ場所にマンションを購入したのは、老いたなら面倒を見るためだったことは確かですが、もはや限界です。

 本当に足腰立たなくなって、それでもなお施設に入ることを嫌がったら、同居人は介護離職に追い込まれるでしょう。
 二人で楽しく暮らしてきましたが、ここにきて、ピンチを迎えています。

 私としては、施設に入ってもらい、上げ膳据え膳の生活を送ってもらいたいと思っています。
 そのほうが安心だし、何かがあっても人の目があるので素早く対処できるでしょう。

 老いるということ、誠にしんどいことのようで、30年経ったら私も得心がいくのかもしれません。
 しかし、私たちには現在の生活があります。

 義母の老いに付き合っていかなくてはなりませんが、ここ数か月、私たちを試すかのような要求には耐えがたいものがあります。

 同居人は実の娘でありながら、近頃義母の悪口を言うようになりました。
 今までそんなことは一度も無かったというのに。

 私の母は兄夫婦、孫らと大勢で暮らし、曾孫まで出来ました。
 次男の私が心配することは何もありません。

 しかし同居人は一人娘で、義母は一人暮らし。
 同居人は仕事と義母という、重たい物を背負っています。

 同居人と義母、共倒れにならなければ良いのですが。

 すっかり愚痴っぽくなってしまいました。
 もう少し前向きに義母の老いを見つめなければなりませんね。
 


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たまの幸福感

2021年11月27日 | 精神障害

 土曜日の朝。
 今朝は7時に目覚めました。
 白飯をたっぷり食いたいと思って、そのためにはおかずを減らすことだと、塩らっきょのみ。
 塩らっきょのみで白飯をたっぷりと食いました。
 腹がくちくなれば眠くなるのが人情というもので、朝食後、ソファで眠っしまい、起きたら11時。

 コロナの前はよく東京まで出かけて様々な町を歩き回りましたが、もう1年以上、そういうことはしていません。
 家でダラダラするばかりです。
 こういう生活に慣れてしまうと、出かけるのがひどく億劫になります。

 昼は徒歩10分弱のイタリア料理店で軽いコース料理を食う予定。
 自宅の目の前のイタリア料理店がコロナ禍で閉店してから、土曜日の昼はそういう仕儀となりました。

 夜は魚屋で魚を購入して一杯。
 土曜日のルーチンのようになっています。

 また都内散歩を楽しむ日が来るのでしょうか。
 仮にそんな僥倖が訪れたとして、出かける気力体力があるかどうか。
 このまま千葉市内で完結してしまいそうな気がします。

 夕方は月に一度の精神科。
 もう何も相談することとて無いのですが、薬が無くなるのが怖くて、真面目に通っています。

 精神障害を発症して良かったとは思いませんが、今まで見えなかった世界を見られるようになったこともまた事実。
 自助グループやリワークプログラムに参加して、じつに多くの精神病患者と知り合いになったお陰で、生きにくい世の中を薬の力を借りて必死で生きているその姿を見て、まばゆいばかりの生の力を感じます。

 生きるということは誠にしんどいですが、誰もがしんどさに耐えて生きています。
 なかにはしんどさに負けて自殺してしまう人もいますが。
 私の後輩に27歳で自殺してしまった者がいました。
 もう四半世紀も昔のことですが、今思い返しても胸が痛みます。
 私の後任者で、それだけにその席の辛さはよく分かります。
 特に年度末を越えるのは大変な労力で、完徹したことも一度や二度ではありません。

 私は別の機関に異動していたので、自殺前後の彼の様子は知りません。
 せめて私がその機関に留まっていたのなら、彼を少しはサポートできたかもしれないと思うと、やり切れません。

 その後、私は精神を病んで、自らも強い希死念慮に悩まされることになり、ますます彼の心中が察せられて、ついには悪夢に苦しむことになりました。

 今、私は服薬治療を続けながらとは言うものの、苦役でしかない労働に耐えられるまでに回復し、もう10年以上がたちます。
 あの時自殺しなくて良かったと、つくづく思います。

 毎日が憂鬱ではありますが、それだからこそ、休日の嬉しさや、ちょっとした幸せに、強い幸福感を感じるようになりました。
 この、時折訪れる幸福感を大切にして生きていきたいを思います。

 人間、たまの休みや時折の幸福感だけでも生きていけると思うのです。

 


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