ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

小人閑居して

2021年11月03日 | 文学

 今日は文化の日でお休み。
 週なかに休みがあるとずいぶん楽です。
 水曜日をお休みにして週休3日になれば良いのに。

 しかしながら、小人閑居して不善を為すの言葉どおり、閑があると碌なことはしません。
 一日中寝ていたり、昼酒を飲んだり、良からぬ所に出かけたり。

 小人とは君子の逆。
 賤しい人物のことで、ひらたく言えばとびおみたいなやつ。

 私は14時を過ぎようとする今に至るも、寝巻のままで陽当たりの良いリビングでごろごろしています。
 飯を食うのさえ億劫で、朝飯も昼飯も食っていません。

 怠惰の極みです。

 同居人は義母の家に行っており、一人だからこそ許される怠惰の贅沢。

 義母、さる病気にて、調子すこぶる悪いようです。
 82歳と高齢ですから、ちょっとしたことが命取りになりかねません。
 心配ですが、私が義母宅を訪れると、ひどく疲労するらしく、なるべく行かないようにしています。
 病身ながら、私が行くと気張って歓待してくれちゃったりするので。

 昔、太宰治の小説に、「饗応婦人」という珍妙な作品がありました。
 戦地から帰ってこない夫の戦友だかなんだかを、献身的に饗応してしまう婦人の姿を描いたものと記憶していますが、何分読んだのは40年も前のことで、よく覚えていません。

 饗応婦人ではないですが、義母が私を歓待してしまうのは、私が他人であればこそ。
 本当の身内であればそんなことはしないでしょう。
 結婚して23年になりますが、私と義母は結局のところ永遠に他人というわけです。

 そんな他人がむやみと訪れれば、疲れるのは当たり前。
 自宅で大人しくしているのがよろしいでしょう。

 義理の息子と実の娘というのは全く異なるようで、同居人が訪れることは、大層な喜びらしく、いつも心待ちにしているようです。
 毎日の電話も1時間コース。
 仕事から帰っての1時間もの長電話は、同居人にとって苦痛ですらあるようですが、そこはぐっとこらえて、年寄のおしゃべりに耐えています。
 これを親孝行というのでしょうか。

 じつは義母の今の問題は、娘とのおしゃべりの他に何の楽しみもないこと。

 良い喧嘩相手だった義父はこの世になく、それまで続けていた絵画教室も辞め、健康体操なるおかしげな教室に通うのも辞め、近所の奥様方と出かけていた小旅行にも行かず、足を悪くして散歩にも買い物にも出かけなくなりました。
 そして自分は世界一不幸だ、みたいなことを言うようになりました。

 せめてデイ・ケアにでも通ってくれれば心強いのですが。
 デイ・ケアに行っている間は、誰かが見てくれていますから。

 しかし、蛇蝎のように嫌っている場所に、無理やり連れていくわけにもまいりません。

 82歳、個人差の大きい年齢だと思いますが、私がその年まで生きたら、どんな感じなんでしょうね。
 子供は出来なかったので、子供を頼ることはできません。
 健康状態によって生活は大きく異なるでしょうが、義母のように足を悪くして両手に杖をもって、やっとよろよろ歩ける、ということになると、出かけることは激減するでしょう。
 転びでもしたら、即車椅子になっちゃいそうです。

 義母を見ていると、老いるということは生半可なことではないと痛感させられます。

 私の祖母は、晩年、身内の世話になりたくないと、望んで施設にはいりました。
 その頃私は20代前半で、日々を面白おかしく過ごしていたため、祖母を見舞うこともなく、亡くなってしまいました。
 
 父は倒れて入院し、数日で亡くなってしまったので、老いる姿を見ませんでした。

 母は元気なようですが、コロナ禍で1年以上実家に帰っていないので、実際のところは分かりません。

 義父はなぞの感染症にかかり、呆気なく亡くなってしまいました。 

 したがって、老いていく姿を見るのは、義母が初めてです。
 頭はしっかりしているようですが、これからどうなるかは分かりません。

 呆けたら施設に入れてくれと言われていますが、私はもはや一人暮らしは困難で、すぐにでも施設に入ってほしいと思っています。
 少々小銭がかかろうと、我が家は子供のいない共働き。
 少しは余裕があるつもりです。
   ある程度の良い施設に入ってもらうことはできると思っています。
 義母の貯金もあるでしょうし。

 どんな境遇で生きるにしても、義母の晩年が幸福であらんことを。


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絶望

2021年11月01日 | 社会・政治

 もう30年以上昔の話です。

 某国に、にわかに大きな勢力となった新興宗教が存在しました。
 その教祖は、人類滅亡の日は近いと説き、しかもその日は何年何月何日と、明確に予言したのです。
 その日はわずか数年後に迫っていました。
 信者たちは恐れおののき、しかしその宗教を信じている者だけは救われて、永遠の安寧を得られると確信したのです。
 多くの一般の人々はそんな彼らを、嘲笑いました。

 そしてその日が来ました。
 何も起こるはずがありません。
 人々は飯を食って糞を垂れ、学校や会社に行きました。
 
 それでも、信者たちは、その瞬間が起こるのを心待ちにしました。
 何事もなく、その日は終わりました。

 信者たちは深い絶望を味わったことでしょう。

 しかし本当に深い絶望を覚えたのは、彼らを嘲笑った一般の人々であったに違いありません。
 
 かく言う私もその一人。
 私が大学生の頃の話です。

 新興宗教は瓦解し、教祖は行方知れずになりました。
 信者たちはどうしているのでしょう?

 もう30年以上昔の話です。 


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