酒は百薬の長ともキチガイ水とも称せられます。
私はかつて毎晩欠かさず晩酌をやっていました。
ところが最近、あまり酒を呑まなくなりました。
とくに平日は呑むことが無くなりました。
そういう年回りなのか、仕事が忙しく、疲労困憊で帰宅して、晩酌などやる気が起きず、飯を食ってさっさと眠ってしまいます。
おかげで一時悪化していた肝臓の数値も良くなりました。
その代わり、多量の珈琲を飲むようになりました。
酒がダウン系の麻薬だとすれば、珈琲はアッパー系の麻薬のようなもの。
アルコールで頭を濁らせるのも快感ではありますが、カフェインで頭をしゃっきりさせるのもまた別の意味で快感です。
そのうちほとんど酒を呑まなくなるのかもしれません。
酒で身を持ち崩した人は数知れず。
石原裕次郎しかり、美空ひばりまたしかり。
中島らもはアルコール依存症だったそうです。
しかし私は、明治から大正にかけて活躍した若山牧水ほどの大酒呑みを他に知りません。
この人、朝2合。昼2合、晩は6合もの酒を欠かさなかったと伝えられます。
毎日一升。
そのせいで、42歳の若さで亡くなってしまいました。
あれほどの秀歌を残した偉大な歌人ですから、もう十年生きていたら、と思うと残念でなりません。
私はつまらぬ書類を作ったり、阿呆臭い会議を繰り返したり、何の取柄もないただの木っ端役人に過ぎません。
酒を控えて長生きしたところで、世の害悪になるしかない存在です。
老いれば要介護などになって税金で生きるしかありませんから。
政治家や噺家なら、52歳なんて鼻たれ小僧なのかもしれません。
しかし役人の世界では、52歳といえば定年退職まで10年を切ったお年寄りの扱いを受けます。
気持ち悪くなるぐらい、敬われるようになってしまいました。
敬ってほしくなどないのに。
若いつもりでいても、本当に若い連中から見れば初老の部類なんでしょうね。
それはそうです。
30年も働いていますから、20代の職員から見れば、生まれる前から働いている大ベテランということになります。
それを裏付けるのが、緑内障で左目がほとんど見えなくなったこと、そのせいで車の運転が怖くなったこと、堪え性が無くなったこと、若いやつの見分けがつかず、名前が覚えられなくなったこと。
こうして徐々に衰えていくのですね。
80歳まで生きるとしたら、まだ30年ちかくあります。
その間にどれほど衰えるのか、恐怖すら感じます。
死の恐怖よりも、衰えてなお生きていることが怖ろしい。
川端康成はノーベル文学賞を受賞するほどの栄誉を得ましたが、結局ガス自殺してしまいました。
一説には、老醜をさらすことを嫌ったとか。
その気持ち、52歳にして早くも理解できます。
できることが減って、疲れやすくなるのでしょうから。
しかし希望はあります。
定年退職した多くの先輩方が、生き生きと老後を過ごしていますから。
もしかしたら、すっかり意欲を失った小説の執筆について、定年退職したらその意欲が湧くかもしれません。
仕事のストレスは無くなり、自由になる時間がたっぷりとあるわけですし。
その時こそ私は、仕事という積年の恨みを晴らすかのごとく、書きまくるのかもしれません。
そうであってほしいと、切に願います。
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