昨夜は吉田修一の長編「横道世之介」を読みました。
平易な読みやすい文章と、テンポ良く転がる物語の世界に引き込まれ、文庫本で470頁強の小説を、少々夜更かしして最後まで読んでしまいました。
青春小説ということになるんでしょうね。
主人公の横道世之介はバブル全盛期に長崎県の片田舎から大学進学のため上京します。
時に18歳。
大学名は明記されませんが、武道館で入学式をやったとか、武道館から歩いて大学に戻るとかいった描写があり、法政大学で間違いないと思います。
作者のプロフィールを見ると長崎県出身で法政大学卒業とありますから、かなりデフォルメしてあるにせよ、作者自身がモデルになっているものと思われます。
18歳から19歳の、大学一年生の1年間が月ごとに章立てされ、描かれます。
バイトやサークル、恋に友情等、青春小説のエキスとでも言うべきものがたっぷりと盛られ、飽きさせません。
バブル全盛期に大学生活を送ったのは私と同じ。
作者の年齢が55歳、私が54歳ですから、あの狂乱の時代をともに大学生として生きていたわけです。
嫌でも親近感がわくというものです。
時折横道世之介をめぐる人々、友人だったり恋人だったりの、大人(40歳くらい)になった現在(執筆当時2008年)の姿が描かれ、大人になったがゆえのほろ苦さを感じさせて、ひたすらお馬鹿さんで明るい少年から青年期に至る日々とのギャップを感じさせ、無常感さえ漂います。
私の大学時代を思い返すと、サークルにも入らず、バイトもせず、まして勉強なんかに精を出すはずもなく、耽美的で浪漫的なおのれ独りの夢の城を作り上げ、そこで微睡んでいたように思います。
群れるのが嫌でサークル活動をせず、お小遣いを豊富に貰っていたし、自宅生だったのでバイトの必要性も感じませんでした。
大学ではわずか5人くらいの友人との交流があっただけで、浮いた話もありませんでした。
その時は時間がたっぷりあって持て余し気味でしたが、忙しいより良いとしか思いませんでした。
しかし横道世之介のような忙しくて刺激的な学生生活を送れば良かったかなと今になって思います。
しかしそんなことを考えても詮無いことです。
私はもうその時代を生き、卒業してから32年間も経ってしまったのですから。