今朝の新聞で、文部科学省が国立大学に対し、人文社会学及び教育学系の学部・大学院を統廃合により縮小し、代わりに理系に重点を置くよう通知を出す予定だ、との報に接しました。
文部科学省所管の国立研究機関で働く者としては、来るべきものが来た、という感じです。
平成16年の国立大学等の法人化により、我が業界では手っ取り早く成果が上げられ、産学連携などで外部資金を引っ張ってこられる工学や医学・薬学などが重視されるようになり、人文系の部署は目に見えて金が減らされ、冷遇されるようになりました。
それがついに、あまりにも露骨な形で表れてしまったわけです。
私たち行政職にある者はそうでもありませんが、人文系の研究者にとっては恐怖の通知ですねぇ。
18歳人口の激減に対応するものだとかなんだとか屁理屈をつけていますが、要するに金にならない研究はいらないということでしょう。
しかし、文学や哲学などはもともと学問の祖ともいうべきもので、これを疎かにしては国民が教養を失い、人心は荒廃し、拝金主義の世の中が現出するのではないでしょうか。
本来、文部科学省は財務省などに対し、金にならない文学や哲学、理系でも基礎研究などを重視することが、ひいては金になる研究の礎になるのだと、説得すべき立場にあるはず。
それが率先して拝金主義の片棒を担ぐとは、泣ける話です。
文学者がよく口にする無用の用なんて野暮なことを言うつもりはありませんが、虚構のなかに真実を追求する文学や、人間の思索の歴史を踏まえて思想のなかに真実をさぐる哲学、人類の営みや歴史から現代社会の在り様に思いをめぐらす歴史学などは、最も古い学問であり、なぜ古いかと言えば、古来人間はそういった営みが死活的に重要だということを直感的に知っていたからに違いありません。
学徒出陣を思い出さずにはいられません。
太平洋戦争で劣勢に立たされた大日本帝國は、将来のわが国をしょって立つべきインテリ層をも、戦争に駆り出しました。
ただしそれは、文系の学生が中心。
理系の学生は、技術開発などで兵器の開発などにあたることが期待されたのか、学徒出陣を免除されたと聞きます。
わが国は70数年前に理系偏重の政策を打ち出し、太平を謳歌する現代においてなお、その愚を再び犯そうというのでしょうか。
確かに文学も哲学も社会学も歴史学も、新薬や家電製品、さらには武器の開発など、目に見える成果は上げられないことは事実です。
しかし営々と続けられてきた無用とも思える知の蓄積にこそ、人間が人間である所以があるものと思っています。
このたびの文部科学省の通知、私はその所管機関で働く者として、激しい失望を覚えざるを得ません。
もうこんな状況では働く気が起きません。
辞めちゃおうかとさえ思います。
そして学術や研究とは無縁の職場に移るのです。
どうせ事務職なので、研究機関にこだわる必要は無いのですから。