昨日の参議院安保法制特別委員会、国会議員の先生方は無様な姿をさらしていましたね。
採決を行おうとする委員長を十重二十重に取り囲み、半ばつかみかかろうとするとは、言論の府であるべき国会も地に落ちたものです。
ことの賛否はともかく、あのような行動に出たところで、何も変わりはしません。
安保法制を戦争法案と決めつけてデモで遊んでいる人々の姿が連日映し出されています。
お暇そうで結構なことです。
今回の法案はけっこう複雑で、10本くらいの法案やら改正やらがあって、単純に戦争法案などと決めつけることは適当ではないでしょうね。
今まで認められていなかった集団的自衛権を認めることが柱のようですが、私はかねてから不思議に思っていました。
すなわち、米国と軍事同盟を結び、在日米軍基地を多数抱え、米国との共同防衛を国防の柱に掲げておきながら、集団的自衛権を認めないというのでは、現実と法解釈があまりに乖離していると感じていたのです。
わが国はわりと法律よりも現実重視のところがあって、過去、現実に合わせて解釈改憲を積み重ね、ほとんど憲法9条はあってなきがごとくです。
今さら「9条守れ」と声を張り上げるとは、私にはブラック・ジョークとしか思えません。
もうとっくに9条は死文化しているのですから。
今回のいわゆる安保法制は、現実と法律を合致させることが主眼であるべきですが、実態は米国へのメッセージのために準備されたものと思われます。
米国が戦う場合、わが国も参戦もしくは応援するから、日本を見捨てず守ってね、という。
ご主人のご機嫌を取るために尻尾を振る犬のようで、私には屈辱的な法制だと感じられます。
集団的自衛権など認めず、米軍にはお帰りいただき、米国との軍事同盟も解消し、わが国の防衛はわが国一国だけで担うというのが理想でしょうねぇ。
その場合、おそらく米国はわが国を仮想敵国と見なすでしょうし、そうなればわが国は核武装も含めた巨大な軍事力を持たなければならないでしょうけれど、孤高のプライドを保つことはできます。
個別的自衛権だけで国防を維持せしめようとすれば、どうしたってそうなります。
それはあんまりお金がかかるし、非現実的であることから、尻尾を振る犬になってでも、米国の顔色をうかがうことを、現政権は選択したわけで、まことに情けないかぎりです。
わが国は誇り高い侍の国ではなかったのでしょうか。
誰も頼りにせず、自国のみを恃み、敢然と一人で立つ国になれたら気持ちが良いだろうなと思います。
そういうわけで、私はこのたびの安保法制には反対、というのが本音です。
ただし、私の夢想があまりに現実離れしたものであることも自覚しています。
一種のロマンティシズムでしょうね。
現実の国際社会をみれば、米国との軍事同盟を堅持することが、最も現実的で、安上がりで、結果的に国民のためになるのでしょうね。
悔しいことこのうえない話ではありますが。
分裂気味ではありますが、本心では反対しながら、現状を見ると表面的には賛成せざるを得ないようです。
次善の策として。
いつの日か軍事的にも完全な独立を果たし、米国の軍事力に頼らずに済む日が来ると良いですねぇ。
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