ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

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2009年04月08日 | 文学

 ドナルド・キーンは、エッセイのなかで、国文学者のなかには外国文学をちっとも勉強せず、日本独特の表現とか美的感性とか評する者がいる、と非難しています。日本語にしか存在しない表現というのは、おそらく皆無でしょう。よく英語は論文向きで、日本語は詩歌に向いているとか言います。私は横文字は苦手で、外国文学はもっぱら翻訳で読みますから、よくわかりません。
 国文や国史を学ぶと、つい、国粋主義的な思想傾向に走りがちです。これは万国共通のようで、浪漫派の文学者は、どこの国でも国粋主義的な傾向を持つことが多いようです。その最たる者が、三島由紀夫でしょう。
 よくよく気をつけなければなりません。
 石原慎太郎が、真にナショナルなものしかインターナショナルにはなれない、と言っています。逆に言えば、どんな独特な芸術でも、古典の裏づけを持ったすばらしいものなら、世界中に受け入れられる、ということでしょうか。


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