気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

野口整体を習っていた頃2

2016-04-03 15:33:15 | 野口整体
 愉気法や活元運動は技術ではないから誰でもできるのだが、整体操法はそうは行かない。歪みを見る「観察」からして難しかった。人の後ろに立ち、掌を背骨の両側に沿って上から下に滑らすようにして観察していくのだが、全く分からない。先輩が横にいて「この辺に指が止まる」とか、「穴が有る」とか言ってくれるのだが、それでも分からない。要するに感覚が鈍かったのである。そういう練習を毎週続けて行き、少しづつ分かるようになっていった。しかし、これはまだ「形」のことである。
 ある時、先輩が私の頭に愉気をしていた時に「小さい頃に〈おでこ〉を強くぶつけたことがあるんじゃないかな?」と訊かれた。記憶が無く、その後母親に訊いてみると案の定「椅子から落ちて〈おでこ〉をぶつけたことがある」と言う。その先輩は何を以ってそれが分かったのだろうか?古傷を発見する場処や感覚(基準・マニュアル)に合致していたのか、或は「直観」だろうか。いずれにしても、こういう直観を磨いて行くのが野口整体である。とは言え「直観」は何時でも自在に扱える訳ではない。たとえ直観を出せなくても、そういう環境を作ることは出来る。「形」でないものを観ようとする姿勢である。その具体的な方法は各々自分で掴むものだ。私の場合は老子の第一章や禅の考え方が参考になった。

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