第四章 明かされた疑惑
◇ 初登攀時の山頂からの写真の真偽
ここに一枚の写真がある。刈谷修がカスール・ベーラ北壁の単独登攀に成功した後、その山頂で撮った写真の一枚として発表したものである。それは山頂でしか眺められない、世界の屋根の雄大さが切り取られ、ガスの奥から垣間見るに等しい写真でも大自然の壮大なパノラマが見るものに伝わってくる一枚だった。
今回の取材を進めるうちに、ある人物から予想もしなかった指摘を受けた。その人物は匿名を条件に私に連絡を取ってきた。私は説得を試みたが、その人物は最後まで表舞台に出ることを拒みとおした。
その人物に言わせると、かって、これとそっくり同じ写真を見た記憶があるという。それは、御田村良弘が初めてタワーを制して撮ったうちの一枚なのである。
私は編集者の協力を得て、19年前に御田村が初登攀に成功したときの記事を集めてみた。ある山岳雑誌の中に、その一枚は小さく発表されていた。確かに似ているが微妙に違ってもいた。
写真を撮った季節が8月と9月、時間が午後4時32分と午後4時6分と違っていて、問題は岩肌に映る影だと思い、気象学や写真学の専門家に鑑定してもらった。鑑定結果は同じ写真だとの断定はできないが、同じ場所から同じレンズで撮った可能性が極めて高いというものであった。
私は本人の刈谷修に疑問をぶっつける他ないと、サンフランシスコまで行って、30分の話を聞く時間を貰った。
彼は、「8000Mの山をその人たちは知らない。7000Mの高さに連なる垂直の壁にどういう影ができるものなのか、本当に計算だけで弾け出せるものでしょうか」と冷静に答え、「私は北壁を越えてタワーに立った。その事実は、誰より私自身がよく知っています」と言った。
私は、本稿で疑惑を投げかけた人がいることを示しておくべきだと考えたにすぎず、実を言うと、私は、彼の登攀を信じているのである。彼には「灰色の北壁」を越えなければならない理由があった。偽りの登攀をでっち上げたのでは、御田村を超えたことにならないし、妻のためにも、その必要があったはずだ。また、あの山に嘘をついたのでは、刈谷修が築き上げた実績だけでなく、彼ら夫婦二人の行為までが汚れてしまうことにもなるからである。
私は、あの北壁を制する次なるクライマーが早く現れてくれることを強く祈っている。
必ず、その時は来て、彼の登攀は証明されると私は信じている。
◇ 御田村良弘の告白
私は、御田村良弘がマネージメントを委託している会社の広報部に電話して御田村の所在を尋ねると、休暇をとっているとのことで、もしかとヨセミテのホテルを順に問い合わせの電話をして、宿泊先を突き止めた。しかし、取り次いでもらえなかった。
それから5日後に、御田村良弘が、我が家を訪ねてきた。
私は地下の書斎に案内した。御田村は書棚から、彼の1年後にカスール・ベーラの頂に立った米人のリック・スタインが書いた回顧録を見つけ、私の了解を求めて手に取った。その本の表紙には、山腹から見上げたカスール・ベーラの頂の写真が使われていた。
御田村はその表紙を撫ぜながら、「刈谷修が、あの果てしなく続く壁を一人で登りきったなんて、私には信じられない。もし本当なら、ゆきえを奪われた時よりもっと激しい嫉妬を、刈谷に抱く以外にはありません」と、5年前には決して口にしなかった思いを、今はっきりと語った。だから、私は、ファンの一人だという者から寄せられた手紙に飛びついて、あなたに匿名という条件を付けて疑惑をほのめかしましたと、1通の封書を私に差し出した。
その封書には、御田村がカスール・ベーラの初登攀に成功した直後の記事等をスクラップしていた中の写真と、刈谷が北壁を登攀後に発表した写真が、あまりにも似すぎている事実に気づき、ペンを執った次第だと書いてあった。
私は御田村からその話を聞いたとき、疑念を抱いているのなら自らの声で主張すべきだと何度か説得を試みた。しかし、彼が刈谷の登攀に異議を唱えでもすれば、それは妻を奪われた嫉妬心と復讐心から難癖をつけている冷血漢だと思われる危険性があると思い、私が、御田村に代わり疑惑が存在する可能性があることを指摘しておこうと考えた。但し、私自身は、刈谷の登攀を本心から信じていた。
ではなぜ、刈谷は、命を懸けた登攀に疑いをかけられても、怒りのそぶりも見せなかったのか。それは、御田村が登攀に成功していなかったことを、どうしても口に出すことができなかったのであろうと思った。
何故なら、御田村から妻を奪った男だったからで、とても御田村から輝かしい栄光までをむしり取るような真似はできないと、刈谷は考えるに至ったのだ。彼は古き良き時代の思想を大切にするクライマーだったのだ。
私は、リック・スタインの回顧録を読んで、カスール・ベーラの初登攀はリック・スタインともう一人のパートナーだったと確信していた。
御田村も、話の終わりに、「リック・スタインの回顧録を1年前に読んで、私が頂上と思って突き刺した日の丸がそこに無かったことを初めて知りました」と、おし出す声がくぐもっていた。
そして、「男としても、クライマーとしても、私は彼奴に負けていたんだ。それが悔しくて、悲しくて……」と言った後、「今度は私が、行動で示していかなければならないんだと思います」と言葉を続けた。
第五章 私が刈谷ゆきえさんに宛てた手紙
前略 今もカスール・ベーラの山頂は、人見知りの性格そのままに、雲の中へ姿を隠したままです。きっとその姿を目にできる者は、神によって許された一握りの者だけなのでしょう。山の素人にも等しい私が、タワー北陸の一端をこの目にできただけでも幸運なのだと思っています。
また、我が目でタワー北壁のスケールを確認するたび、無謀な挑戦にしか思えなくなってくるのです。私はここへ来て、貴女という人の強さを実感する日々です。
彼と和樹君の体調は万全です。但し、彼の場合は57歳という年齢ですか、無理をさせるつもりはありません。無酸素単独は最初から狙っていません。チームの誰かがピークに立てばいい、我々は考えています。そして、北壁の最上部で6年前にあなたのご主人が残したに違いないものを必ずや見つけて帰るつもりです。
我々チームの全員はだれ一人の例外もなく、みな信じています。わざと疑惑の矢面に立つような行為をした以上、刈谷修というクライマーは必ずこの北壁を制した証拠を何処かに残しているはずだ、と。
ただ、これだけは言わせて下さい。チームの仲間は、刈谷修のために登るのではありません。彼らには登攀という彼らの夢があり、その夢を果たすために彼らは挑戦します。
今朝、御田村良弘をリーダーとする先発隊が第2キャンプまでのルートを拓くために出発しました。和樹君は第2隊の一員として、いま私の横で準備を進めています。
我々は雲に包まれた北壁を越えてピークに立ち、一人残らず生還します。そして、刈谷修の足跡を見届けてくるつもりです。遠いヨセミテの地からどうぞ我々を見守って下さい。
草々
終