[ 第九章 完璧なデータ ]
(1) 石坂と椎名の密かな会合
帝国重工の来客用応接フロアで、椎名は石坂に、燃焼試験前の性能診断で高評価を受けたことに、お力添えの賜物だと礼を言う。
石坂は椎名に、共同開発したバルブの特許がらみは我々に譲ってもらってもいいねと念を押す。そして、佃の燃焼試験は成功したので、来週のおタクの燃焼試験は軽くパスしてくれと言う。
(2) 貴船の軍門に下ろうとする一村
東京行きを決めるまで、一村は何度も迷った。
帝国重工の出資が難しくなっているとの連絡を、佃から受けたのは二日前のことだ。それ以前に桜田の憔悴しきった告白があった。
そのような状態の中で、貴船による論文掲載の妨害、PMDAの滝川を抱き込んでの開発潰しと、貴船の関係だけで、「ガウディ計画」の進捗が硬直しているのは承服できないが、一日も早く実現化するためには、しかたない。
熟慮の末、一村が出した結論は貴船との和解である。
貴船の研究室に出向いて、一村は頭を下げて、
「先日の非礼は謝罪いたします。何とかご支援いただきます」と申し出た。
しかし、「いったい何しに来たのか」と門前払いの扱いを受ける。
一村は、福井に帰る前に、このことを佃に報告するため佃製作所に寄った。
(3) 落ち込んでいる一村を励ます佃組
貴船との話を告げた後、一村は神妙な顔で切り出した。
「今度の薬事戦略相談、キャンセルしてはどうかと思うんです。いまのまま面談に臨んでも、PMDAの態度が激変するとも思えませんし、カネもかかります」
佃は厳しい表情になって、
「今回の面談料はウチが全面負担しますからご心配なく。それに、貴船先生は、我々の開発には関係がないんじゃないですか」と指摘し、続けて、
「私は一村先生のアイデアとこの開発の将来性、素晴らしさに共感して協力することに決めました。我々中小企業が何かを決めて行動を起こすというのは生半可なことじゃないんです」と言う。
そして、一村に、人工弁の試作品と動作評価テストのデータを見せた。
素晴らしいと感嘆する一村に、ウチの連中は、これで満足せずに、いまも3階で、性能を追求しています。よろしかったらどうぞと、技術開発部の立花たちの一隅に案内した。
一村は、プラモデルの箱や本(立花たちが持っていったお土産)を抱えた自分の患者の子供たちの写真が多くが張られている壁に近づいた。
これは? という一村に、立花は答えて、
「この子たちが、オレ達の先生です。もう駄目だと思ったら、この写真を見るのです。そうすると、負けるなと励ましてくれるのです」と言う。
続けて佃が、「我々の挑戦は、まだ始まったばかりですよ」と自分にも言い聞かせるように発言した。
(4) サヤマ製作所の燃焼試験
財前から佃に電話がかかってきた。
「サヤマ製作所の燃焼試験が行なわれました。成功でしたが、御社のバルブのほうが高評価でした。来週の部内会議で、発注先が決定されますので、その時は、この成績どおり、私は御社を推薦します」
佃は運転している江原に、電話の内容を告げて、このことで、直ぐに受注に結び付かない、帝国重工には、独特の企業倫理がある。それが大企業というものだと言って、外の光景に目を凝らした。
(5) 「コアハート」開発情報、サヤマ製作所から漏洩
燃焼試験が成功裏に終わった翌日、椎名のところに藤堂が訪れ、真剣な眼差しを椎名に向けた。
「咲間倫子という医療ジャーナリストが、アジア医科大学の事故、あれが、「コアハート」の不良が原因だったと言いたいらしく、関係先を取材しているのだが、ウチのある取引先に来たとき、この資料を見せられたようで、そのコピーです」
資料を見て、申し訳ないと椎名は詫びた。
データ漏洩について、出所などを調査して報告してくださいと、藤堂は厳しく言いつけた。
椎名は藤堂が帰った後、直ぐに、月島に指示したが、足もとから恐怖と焦燥が這いあがってきた。
(6) 巻田の切り捨て提言
六本木の和食の店の個室。
久坂は貴船に、設計図の出所は分かりましたかと訊ねる。さあな、と顔をしかめる貴船。
久坂は、「巻田先生以外に考えられない。ウチの藤堂にも「コアハート」に不具合があったんじゃないかと詰問したようですし。責任を負わされた側の逃げ道として、高知に新しい病院ができるとのことですが、そちらに異動させられたらどうですか」と言う。
(7) データ偽装の内部告発
「中里、このバルブの実験データ、見覚えがあるだろう。あの時、外部メモリーにダウンロードしたよね。記録が残っているんだぞ」
思いがけない事実を月島は口にした。
中里は、画面を出したまま、その場を離れて休憩したので、誰かが、そうした可能性はありますと答えた。
月島は、中里のスマホを強制的に取り上げ、発着信履歴を見た。
咲間の痕跡を見つけることはできなかったが、開発情報は極秘データだから人目につく状態にしていたことは責任ものだと言う。
中里には、誰が犯人かは、もうわかっていた。
周りに人がいないことを確かめて、中里は横田に質問した。
「ウチの開発データをジャーナリストに渡したのはお前だろ。なぜ、そんなことをしたのか」
「その前に、あのデータ、お前、どう思った」、少し間をおいて、「あのデータは確かに完璧だ。逆に完璧すぎたと思わなかったか」
「まさかーーーデータ偽装か」
驚愕に刮目(カツモク)した中里に、
「いまのウチが供給しているバルブの精度は、千個に一個ぐらいの割合で不良が出ているはずだ。それなのに近く、「コアハート」の臨床試験が再開されるらしいんだ。このままだと、また事故が起こるのだぞ。黙っておれるか」と怒りの言葉を発した。
(8) バルブのコンペ結果
帝国重工宇宙航空部の部長会議で、財前の「バルブ選定」の発表が回ってきた。
「二度の燃焼試験を実施、性能評価を実施しました。改善を加えた次期エンジンの性能は、所期の目的通りの成績をあげており、問題なく成功しました。バルブについてですが、佃製作所製バルブの成績が比較対象のサヤマ製作所製のそれを上回っていたので、佃製を採用したいと思います」と発言した。
それについて、私から一言と、案の丞、石坂部長が発言を求めた。
「いま財前さんから佃製作所の方が上だという報告がありましたが、セッティングによる誤差の範囲と言ってもいいと思います。それに、将来のことを考えた場合、共同開発を前提に意見交換して製造したサヤマ性を採用した方が社益に適うはずです。いってみれば自社開発のようなものですし、キーデバイスは内製化するという社長方針にも合致します。また、今後の共同開発によってアッという間に差は埋まり、すぐに技術的優位に立つでしょう」
財前は反論する。
「ですが、打上げは一度の失敗で相当のダメージを受けます。たとえ僅かでも、ベストと思われるパーツを採用するのが当然ではないでしょうか」
だが、社長方針という一言で、サヤマ製作所製に傾いた場の雰囲気をひっくり返すだけの説得力はない。
水原本部長の、「今度はサヤマ製作所のバルブでいこう」と決裁が下った。
財前との通話を終えた佃は、自分を見つめている社員たちに向かって言った。
『今回はダメだった。しかし、性能では勝ったんだ。オレ達のほうが、良いバルブを作っているんだからさ。みんな頑張って、次、頑張ろう』
誰かが言った。
『勝負に勝って、試合に負ける、そんな感じの結果でしたね』
しかし、佃は、帝国重工に対する営業戦略について考えが足りなかった、バルブの単独開発以外の発想がなかったと反省し、お前らの技術を生かすだけの知恵がオレに無かったと、詫びた。
(9) 乾杯の席にデータ偽装の凶報
石坂、富山と椎名が乾杯している席に、椎名のスマホが、また、振動し始めた。
椎名は何度もの着信に内心不機嫌になりながら席を外す。スマホを耳にすると、
「社長ーーー至急、会社に戻れませんか」と、月島の悲鳴のような声が飛び込んできた。
次章に続く
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