T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

[ 「ささやく河」を読み終えてー3/5ー ] 5/24・日曜(曇・晴)

2015-05-23 15:10:56 | 読書

◇ひとすじの光

 伊之助が、2代目伊勢安の政吉から聞いた話は、彦三郎の話とは全く反対で、長六と彦三郎は、博奕にはまって、賭場の男が店まで来るようになって、親父に暇を出された。それから6年ほど経った時、小間物の行商をしているのだと言って彦三郎が一度訪ねてきた。そのときは新井町に店を持っていた、今から15年前に今の店を持ったようだ。

 長六は一度も店に来たことはなかったが、元職人の豊太が、いつか懐に小判を5、6枚も持っていた長六に会ったと言っていた。

 伊之助は、豊太の家が平野町の裏通りと聞いて伊勢安の家を出た。

 数日して、長六の調べで、伊之助は深川西町の自身番に出向いた。ここは造りが狭いので、大家、書役、店番の3人が詰めていた。

 伊之助は、作兵衛店の大家の幸右衛門に、金蔵から聞いたのだが、長六が殺される半月ほど前に、誰かと口論していたと聞いたが、相手は誰でしたかと問うと、喧嘩はすぐおさまって橋の方向に行ったが、後姿だけで身体の大きな商人ようだったと答えた。伊之助は、口論の後その男と連れ立って歩いて行ったということに引っ掛ったが、長六の喧嘩を偶然のものとして質問を変えた。

 まず、伊之助は、長六の島帰りを引き取りに行ったことの仔細を聞いた。幸右衛門は、もともと作兵衛店に母親が住んでいて、長六はめったに帰ってこなかったようですが、人別が母親と一緒になって残っていたのです。母親は、10年も前に亡くなっていたが、長六にとって幸いだったのは、その後に遠縁の勘介夫婦が引っ越してきたのです。そして、母親が行なっていた御赦免願いも引き受けてくれました。そのようなことから異例な御赦免になったのですが、長六は俺の家だと勘助夫婦を追いだしたのですと話してくれた。伊之助は、勘介が怨んでいなかったことを確認したうえで、引っ越し先を聞いた。

 他に長六を怨んでいた人はいなかったかと尋ねると、幸右衛門は、4年程前に大家になってきたので、昔のことはあまり知らないとのことで、前任の大家が、富川町で息子が薪炭商をしている六兵衛さんだということを聞いて、伊之助は、長六の昔を知っているものを探すために、作兵衛店の裏店に回った。

 弥十という年寄がいたが、半分ぼけていて、長六が小判を母親に渡そうとしたときに、一時、母親が怒って受け取らなかったことだけを覚えていた。伊之助は、木戸の外に出て、一度は豊太に会って長六と遊んだ時期を詳しく確かめようと思った。

 数日後、朝、店に出ると、伊之助は親方から先ほど石塚という奉行所の旦那が来たことを告げられた。

 伊之助が帰りに森下町の北の番所へ行くと、石塚から、伊之助が依頼していた長六の吟味調書を見せられた。そこには、相生町で起きた押し込み強盗の犯人の一人としての取調べが記載されていた。それには、2、3年前から長六が賭博に耽って大金を費消したこと、その大金は押し込みで得た疑いがあることが述べられていた。しかし、本人の白状を得るに至らなかったようである。その押し込みは、山城屋という種物屋が襲われ、八百両ほどの金が奪われ奉公人が1人死に1人が怪我をした事件で、盗人は3人組だったことまでは分かっているとのことだった。

 伊之助は、これまで霧の中を手探りしているようだった調べに、ひとすじの光が射しこむのを感じた。長六と彦三郎という二人の男にまつわる色々なうさん臭い事実。二人とも博奕に凝っていた。その博奕打が、急に懐がよくなって、1人は懐に小判をじゃらつかせ、1人は数年で小間物の店を持った。二人は共犯で、18年後に長六の脅しに30両の大金を黙って出した。そこには、いかにも自然な形で一つの筋道が浮かび上がってくるようでもある。

 しかし、まだ証拠が不足だし、確かめなければならないことが多すぎると、伊之助は、長六を取り調べた与力が、押し込みの一味として、どの辺りに疑いを持ったのか、石塚が先ほど話していた逃げる盗人を見た者がいるとのことが、もう少し詳しく分からないか訊いてもらえないかとお願いし、伊之助自身は、相生町の自身番を当たって見ましょうと言い、多三郎親分に押し込みにあった山城屋の行方と死んだ奉公人の身寄りを探るように頼みたいということで別れた。

◇襲撃

 伊之助は、長六と彦三郎は相生町の押し込み強盗の一味でないかという疑惑を追い始めていて、町役人に頼んで、押し込み強盗を扱った岡っ引の行方を捜して貰っていた。石塚は与力の高橋がなぜ長六に押し込みの疑いを持ったのか訊きだしていた。また、多三郎は押し込みに入られた山城屋の行方と命を落とした奉公人の身寄りを探していた。

 伊之助は伊勢安の元職人・豊太を訪ねた。

 豊太は長六が捕まる2、3年前に、半年ほど長六が金を使い切るまで一緒に賭場通いについて行ったとのことだった。賭場で長六がとくに懇意にしていた男はいなかったかと尋ねると、長六より2、3歳年上の鳥蔵だったか寅蔵とか言っていた細身で目つきの険しい男で本職の博奕打ちと思われる奴と数回賭場の隅でひそひそ話をしているのを見かけたと言った。伊豆屋との取引はあるのかと尋ねると、品物の取引はないが、数日前にひょっこり此処に来て、もし伊之助という男が着たら、聞かれたことを知らせてくれと言われたと話してくれた。

 その夜、伊之助が彫藤の仕事場で独り居残りをしていると、顔を血だらけにした圭太が賭場の男に連れられて店に来た。

 外で話を聞くと、一両二分の借りができたのだと言う。伊之助は昔、岡っ引をしていたときに知り合った博奕打の富之助の名前を出すと、代貸をしているとのことで、賭場に行き、圭太の借りを無利子で月一分で話をつけてやった。その後、伊之助は富之助から、貸元は鳥蔵だと言うことを知らされたが、伊之助は初めて聞く名前の博奕打だと思った。

 帰り道、伊之助は匕首を持った二人の男に風のように走ってきて襲われた。その襲撃は制剛流体術を身につけた伊之助の相手ではなく、二人を蹴り倒して誰に頼まれたかと聞いても死にそうな状態でいながら何も言わずに逃げていった。

◇再び闇の匕首

 石塚は、伊之助が、豊太から長六のことから鳥蔵のことまで聞きだしたので、彦三郎は自分の身に火がつきそうだとして殺し屋を雇ったのではないかと言う。そして、伊之助から頼まれた長六を押し込みの一味と疑ったのは、投げ文があったのだが、誰が投げ入れたのかは判らずしまいだったとのことだ。

 伊之助は、押し込みがあったときの掛かりの岡っ引の嘉助と押し込みを見たと言う男を引き続き探してみますと言って別れた。

 時刻が早かったので相生町一丁目の自身番に寄ってみた。自身番大家の佐平から、伊之助が調べていた情報を知らせてくれた。悪い知らせと良い知らせがある。悪い知らせは、岡っ引の嘉助さんは8年前に亡くなっていた。良い知らせは、押し込みの盗人を見たと言う女の人が見つかったと佐平が言った。その人はおしまと言って、駿河屋の女中をしていて、今は北本所の番場町の表に店を出している桶職人の女房になっているとのことだった。

 その夜、伊之助が家に戻って雑炊をつくり始めた頃、彦三郎が柳橋の船宿平作の船を下りて坂を上ったところで、闇の中で脇腹を匕首で刺されて、恐怖の叫び声をあげて殺された。

                                     (次章に続く)

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