昨日の話だが、仕事の人繰りの関係で、私の担当の午前の仕事にいつもとは違う人が手伝いに来てくれた。
我が部署の人員はザックリ言って担当が二つに分かれていて、その日は欠席者がいて私側の担当が私一人になってしまったため、一人ではつらいだろうと上の人が気を使って一人回してくれた。
担当違いとは言っても、作業そのものは経験が豊富だから心配することは何もなく、ああだこうだといろいろな話をしながら楽しく仕事をすることができた。
その人は自然や山が大好きで、本格的な登山にも何度も行っている。
私のように、ただただ避暑のために山歩き感覚で標高の高いところに行っているのとはレベルが違う。
当然好きなことだから、とめどもなく話があふれるように出てくるのだが、感心するのは豊富な経験を決して自慢することがない。
私よりずいぶん年齢は上なのに本格登山をこなす体力があるのだからそれだけでもすごいと思うのだが、どこそこに登ったからすごいでしょ〜的な話は全くしない。
◯◯岳は行程が長くてハードだとか、△△山は入門者にはいいよとか、自らの体験を具体的に、そして本当に楽しそうに話す。
きっと本人は誰かにほめてもらおうとかの損得勘定で山に登っているのではない。
他人の注目を浴びたいために山に登る人は、あれほど楽しそうに話はできない。
今年は大掛かりな登山は無理でも、来年あたりどこかに挑戦しようかという気にすらさせてくれるのだから、本当に好きなことがある人というのはそれだけでも尊敬できる。
前回と同じようなことを書くが、旅の体験というのは人それぞれの絶対の領域である。
まったく同じ土地に行ったとしても、天候も違うだろうし、訪ねたいところも違うだろうし、そもそも旅のどこに重点を置くかはそれこそ十人十色、千差万別で、比較できるものではない。
比較できないものを無理やりにでも相対化して、どこそこに行ったから自分の方がいい旅をしたとか、なにがしを見たからすごいだろ〜とか、誰かの賞賛や注目を得たいがために聞かれもしていないことを自分からベラベラと話すことには感心しない。
他人の耳目を集めたくてする旅など楽しくもなんともない。
そんなものに大切な時間とお金をつぎ込むなどまったくのムダである。
何かにつけ自慢したい人の言動は普段から分かるもので、相手を持ち上げるフリをして実は小馬鹿にしていたり、他人をうらやむフリをして実は自分が一番と思っていたりで、話していても中身がことごとく本心でないのが丸わかりなので疲れてしまう。
その微妙なところを突かれていよいよ本心が顔を出しイライラし始めている姿を見るのが最近は楽しいというのだから、私も相当の悪人になったものである。
我が部署の人員はザックリ言って担当が二つに分かれていて、その日は欠席者がいて私側の担当が私一人になってしまったため、一人ではつらいだろうと上の人が気を使って一人回してくれた。
担当違いとは言っても、作業そのものは経験が豊富だから心配することは何もなく、ああだこうだといろいろな話をしながら楽しく仕事をすることができた。
その人は自然や山が大好きで、本格的な登山にも何度も行っている。
私のように、ただただ避暑のために山歩き感覚で標高の高いところに行っているのとはレベルが違う。
当然好きなことだから、とめどもなく話があふれるように出てくるのだが、感心するのは豊富な経験を決して自慢することがない。
私よりずいぶん年齢は上なのに本格登山をこなす体力があるのだからそれだけでもすごいと思うのだが、どこそこに登ったからすごいでしょ〜的な話は全くしない。
◯◯岳は行程が長くてハードだとか、△△山は入門者にはいいよとか、自らの体験を具体的に、そして本当に楽しそうに話す。
きっと本人は誰かにほめてもらおうとかの損得勘定で山に登っているのではない。
他人の注目を浴びたいために山に登る人は、あれほど楽しそうに話はできない。
今年は大掛かりな登山は無理でも、来年あたりどこかに挑戦しようかという気にすらさせてくれるのだから、本当に好きなことがある人というのはそれだけでも尊敬できる。
前回と同じようなことを書くが、旅の体験というのは人それぞれの絶対の領域である。
まったく同じ土地に行ったとしても、天候も違うだろうし、訪ねたいところも違うだろうし、そもそも旅のどこに重点を置くかはそれこそ十人十色、千差万別で、比較できるものではない。
比較できないものを無理やりにでも相対化して、どこそこに行ったから自分の方がいい旅をしたとか、なにがしを見たからすごいだろ〜とか、誰かの賞賛や注目を得たいがために聞かれもしていないことを自分からベラベラと話すことには感心しない。
他人の耳目を集めたくてする旅など楽しくもなんともない。
そんなものに大切な時間とお金をつぎ込むなどまったくのムダである。
何かにつけ自慢したい人の言動は普段から分かるもので、相手を持ち上げるフリをして実は小馬鹿にしていたり、他人をうらやむフリをして実は自分が一番と思っていたりで、話していても中身がことごとく本心でないのが丸わかりなので疲れてしまう。
その微妙なところを突かれていよいよ本心が顔を出しイライラし始めている姿を見るのが最近は楽しいというのだから、私も相当の悪人になったものである。