blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

県境の話

2009-07-09 22:58:28 | 日記
前回の記事で、自宅では本を読むことが多いということを書いた。
読書といっても机に向かって姿勢正しくということはなく、だいたいはフトンの上に寝転がって読む。
それが証拠に、いろんな本はいつの間にかフトンの周りに集まっている。
横になっているから、いつの間にか眠ってしまうこともある。

読む本の中にはいわゆる「本らしい本」もあるが、私の場合は地図や時刻表などを眺めることも多い。
人によっては、地図や時刻表というのはただ細かくて無味乾燥なものだろうが、案外時間つぶしには格好である。
勝手な旅行計画を立て、時にはお金がいくらかかるかまでやることもあるが、頭の体操という意味でも楽しい作業だ。

さて、今日たまたま見たNHKの番組で「不思議な県境」の例をいくつか紹介していた。
客観的に不思議な形で引かれているように見える境界線が、実は地域住民の長年の運動によって獲得されたものである例など興味深く見た。
自宅にある地図帳で確認すると、なるほど番組で言っていた通りであった。
河川や峠といった自然の地形に由来する県境ももちろんあるが、中には人間の働きかけが大きく作用している所もあるということで、大いに勉強になった。

私が住む富山県は、明治の初期は一時現在の石川県と一緒にされていた。
有志の懸命なる独立運動の結果、現在の富山県にあたる地域が分離したことは、県の公文書館の展示を見て知った。
明治初期の廃藩置県では、最終的に3府35県まで統合が進んだが、この段階で逆に全国で独立運動が頻発して結局8県が分離して3府43県となった。
単位としての「46」という数字は、現在の北海道を除いたものだから、現在の47都道府県の原型がこの時に完成したことになる。

TVでは今「首長連合」なるものが頻繁に登場して、「道州制」の導入を必死でアピールしている。
地方分権という文脈の中での主張ではあろうが、県境をとっぱらって行政区分として一体になる必要性がどこにあるのかが全然分からない。

富山県というコンパクトな県に住んでいても、東部と西部の「人間の違い」は肌で感じる。
あくまで個人的な感覚だが、東部の人間である私は、高岡市を中心とした西部の人間は「がめつい」というイメージを持っている。
逆に西部の人間から見て、富山市や魚津市の人間はのんびりしていてイライラするらしい。
同じ北陸の福井県に至っては、TVやラジオではローカル番組といえどもいわゆる「福井弁」は使えない。
若狭地方の言葉は関西方言に近く、福井市を中心とした地域の言葉はなじまないため、福井弁を放送で使うと苦情が来てしまうらしい。

かように今の都道府県のくくりの中でも文化の違いがある中で、今から大きな自治体を作ろうという話はどうなのか。
歴史上すでに失敗している話ではないのか。
行政区分としてひとくくりにされたところで地域がまとまるわけではないことは、近年の市町村合併を見ても明らかだろう。
それぞれの地域の「違い」を認めつつ、交流・協力できる分野は大いにやったらよい。
明治の先人達の運動の中身を知れば、わが国が現在の47都道府県に落ち着いていることの「偉大さ」が分かるような気がするのだがいかがか。
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