スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
第48回新人王戦 決勝三番勝負第二局。
佐々木大地四段の先手で角換り 相腰掛銀。先手から開戦 して後手の増田康宏四段も反撃に転じる攻め合いの将棋になりました。どちらかに偏った局面は最後の方までなかったのではないかと思います。
先手が歩を連打して後手の飛車先を止めた局面。ここで☖6四銀 と取って☗8四歩☖5五銀右と進みました。
ここは先手の手番でいくつかの選択肢があります。☗4八飛と回って詰めろを掛けました。ただ☖4七歩☗同銀☖6六銀の進行は後手の方が得をしているように思います。なので飛車を回るところで別の攻めをみるか,飛車先を叩かれたのなら飛車で取ってしまう方が優ったかもしれません。
☗6九桂 と受けて☖6七歩に☗5八玉。さらに☖7九角と打たれたところで☗5六銀と上がって再び詰めろとしました。ただ☖6八歩成☗4九玉と逃げたときに☖4一歩と打ったのが堅い受けで,ここでは大勢が決しているのではないかと思います。
増田四段が連勝で優勝 。第47回 に続く連覇で2回目の棋戦優勝です。
第三種の認識cognitio tertii generisは神Deusの属性attributumの形相的本性actualis essentiaの十全な観念idea adaequataから事物の本性の十全な認識cognitioに進むといわれています。したがって第三種の認識によって直接的に認識されているのは事物の本性であるということになります。この意味において,精神の眼によって認識されるものは,物体corpusという意味でのものとは異なっていると解しておかなければなりません。物体であるというより,物体の本性であるという方が正確であるからです。一方,僕たちが身体corpusの目によってものを見るとき,そこで知覚されているのは物体の混乱した観念idea inadaequataであるといういい方が,このことの比較の上では可能になります。つまり精神の眼というのは,あくまでも比喩的な意味でいわれているのであって,僕たちが身体の目で何かを知覚する場合と同じような思惟作用が,精神の眼でものを認識する場合にも発生しているというわけではないのです。
『ゲーテとスピノザ主義 』によれば,ゲーテJohann Wolfgang von Goetheは「象徴的植物」のスケッチをシラーに見せたのだとされていました。精神の眼による認識は身体の目を通した認識とは異なった認識なのですから,僕は第三種の認識によって認識した事柄をスケッチすることが可能であるということについては懐疑的です。むしろこの部分を重視するなら,ゲーテが第三種の認識によって植物を認識したのだという説は否定されるべきであると思われます。ゲーテにとっては植物の本性なるものを描くことが可能だったのだ,他面からいえば植物の本性を形あるものとして把握することが可能であったのだということについて,僕は完全に否定することはできないのですが,蓋然性でいえば,僕はゲーテはこのときに何らかの誤謬errorを犯していたのだと思います。
ただし,僕が注目したいのは実際にゲーテが何を認識したのかということではありません。さらにいうと,僕はそのスケッチの部分を除外していえば,ゲーテが植物に関して第三種の認識によって認識していたという可能性もあると思っています。ですから,クーンのいい方は明らかにゲーテはシラーとの会話において第三種の認識について何事かを語ったのだと読めるのですが,そういう読み方が不正確であるとは考えません。
第22回秋華賞 。
主張したカワキタエンカがハナへ。1コーナーを回ってリードは2馬身ほど。2番手はアエロリットとファンディーナ。2馬身差でブラックスビーチ。1馬身差でモズカッチャンとレーヌミノル。1馬身差でメイショウオワラ。1馬身差でラビットランとタガノヴェローナ。3馬身差でリスグラシューとミリッサ。2馬身差でブラックオニキスとポールヴァンドルとカリビアンゴールド。1馬身差でディアドラ。3馬身差でハローユニコーンとリカビトス。1馬身差の最後尾にヴゼットジョリーと,芝のレースとしてはかなり縦長になりました。前半の1000mは59秒1のハイペース。
3コーナーを回るとファンディーナが後退し始め,アエロリットが単独の2番手に。ファンディーナの外からモズカッチャンが捲り上げてきて,直線の入口では捲り切って先頭。アエロリットがカワキタエンカを抜いて2番手には上がったものの,さすがに捲られては苦しくなりました。モズカッチャンの外から追い上げてきたのはリスグラシューとディアドラ。とくにディアドラの末脚が際立ち,内の2頭をまとめて差すと突き抜けて優勝。粘り込みを図るモズカッチャンにリスグラシューも迫り,この2頭は接戦でフィニッシュ。写真判定の結果,1馬身4分の1差の2着はリスグラシュー。ハナ差の3着にモズカッチャン。
優勝したディアドラ は前走の紫苑ステークスから連勝で大レース初制覇。デビューして3戦目で初勝利。1勝馬で挑んだ桜花賞トライアルで2着。桜花賞後に2勝目をあげて出走したオークスで入着。夏に3勝目をあげて前走で重賞初制覇と,レースを重ねながら力量をあげてきていた馬。こういうタイプなので,もしかしたらまだ能力が完全に開花はしていないのかもしれず,これからさらに強くなる可能性を秘めている馬だと思います。馬場適性があるので,この着差をそのまま実力差と評価するのは危険かもしれませんが,3歳牝馬の中ではすでにトップクラスの能力があるのは疑い得ないと思います。距離は短いよりは長い方がいいでしょう。母の父はスペシャルウィーク 。母のひとつ上の半兄に2011年にエルムステークス,2012年にダイオライト記念 ,2013年に浦和記念 ,2014年に佐賀記念 を勝ったランフォルセ ,ひとつ下の半弟に2011年にアーリントンカップ,2013年にカペラステークス,2014年に東京スプリント とさきたま杯 と東京盃 ,2015年にさきたま杯 を勝ったノーザンリバー 。Deirdreはケルト神話に出てくる人名。
騎乗したクリストフ・ルメール騎手は日本ダービー 以来の大レース制覇。秋華賞は初勝利。管理している橋田満調教師は2007年の高松宮記念 以来の大レース制覇。秋華賞は初勝利。
スピノザは精神の眼という語を,第三種の認識cognitio tertii generisと関係させて用います。すなわちXを精神の眼で見るというのと,Xを第三種の認識で認識するcognoscereというのは同じ意味であると解してよいでしょう。僕たちが身体corpusの目でものを見るとき,これは受動passioなので第一種の認識cognitio primi generisです。したがってそれはそのものを混乱して認識していることになります。対して精神の眼で見る場合には第三種の認識なので,これはそのものを十全に認識しているという意味になります。まずこれだけの相違があるということは踏まえておかなければなりません。シラーの分類でいえば,スピノザの哲学にあっては経験的事実の方が混乱していて,理念的な産物の方が十全adaequatumであるという可能性もあるからです。ただ,シラーがどういう意味でそれらを分類しているかは僕には不明なので,このことについてはあくまでもそういう可能性もあるといういい方にとどめておきます。
第五部定理二三備考 が重要なのは,精神の眼が証明demonstrationesそのものであるといわれている点です。すなわち第三種の認識というのは,論証を必要としない認識なのです。第二種の認識 cognitio secundi generisもものの十全な認識です。ですがこの認識は推論であって,論証によってそれが真verumであるということを僕たちは知ることができます。ところが第三種の認識は,その認識そのもののうちに論証が含まれています。よってある人間が第三種の認識によってXを認識したなら,その人間はその認識そのものとは別の論証を経ずに,それがXの真の認識であることを知ることができるのです。ゲーテJohann Wolfgang von Goetheが「象徴的植物」ということで何をいわんとしているのかは僕には不確かですが,ゲーテが第三種の認識によって,いい換えれば精神の眼によって植物を認識したという可能性は排除することができないでしょう。クーンがスピノザを知っていたのかどうかは僕には分かりませんが,少なくともクーンのいい方は,このシラーとの会話においてゲーテは第三種の認識について何事かを語ったのだというように,スピノザの哲学の側からは読解できる筈です。
ただし,精神の眼でものを見るときのものというのは,単純に物体corpusという意味でのものとは解することはできません。
第四部定理五四備考 では,自己嫌悪humilitasと後悔,そして希望spesと不安metusという感情affectusは,理性ratioから生じることはないにしても,害悪よりも利益を齎すとされています。この備考Scholiumが付されることになった第四部定理五四では,これらの感情のうちとくに後悔について言及されています。
「後悔は徳ではない。すなわち理性からは生じない。むしろある行為を後悔する者は二重に不幸あるいは無能力である 」。
この定理の初めの部分は,後悔を定義した第三部諸感情の定義二七 から明白です。なぜなら第四部定理二四 から明らかなように,有徳的であるということは理性に従うということです。そして理性は精神の能動 actio Mentisですから,第三部定理五九 により,もし何らかの感情が理性から生じ得るとしたら,それは喜びlaetitiaであるか欲望cupiditasであるかのどちらかであり,悲しみtristitiaではあり得ません。しかるに後悔は悲しみの一種です。したがって後悔は徳virtusではありません。いい換えれば後悔が理性から生じるということはありません。
同様に,後半の部分も後悔の定義Definitioから明白であるといわなければなりません。なぜなら,後悔する者は,単に自分のなした行為によって悲しみを感じているわけではなく,その原因として自分自身の精神の自由な決意なるものを意識しているからです。したがって後悔している人間は,まず悪しきその精神の自由決意,実際には意志の自由はスピノザの哲学では認められませんので,この自由決意というのは当人がそれと錯覚しているような悪しき欲望のことですが,そうした悪しき欲望によって支配され,なおかつその悪しき欲望に従って行為した結果に対して悲しみを感じているからです。したがって後悔する人間は,後悔するその行為の発端の部分で不幸あるいは無能力impotentiaであり,行為の結果に対しても不幸ないしは無能力であるといえます。この意味において,後悔する人間は二重に不幸であり無能力であるということになるのです。
ただし,この感情は害悪より利益を齎すとスピノザはいっています。二重に不幸で無能力ではあるものの,スピノザが全面的に否定しているというわけではありません。
大槻によれば,シラーはカント学派として経験と理念,経験的な事実と観念上の事柄を分類したのだとされています。ところがゲーテJohann Wolfgang von Goetheは自然を全体として一元論的に把握しようとしていたので,経験上の事実と観念上の事柄という分類を理解し得なかったといわれています。いい換えればゲーテは,「象徴的植物」というのを,シラーがいう意味での理念的なもの,単に観念上の事柄であるとは思っていなかったということになるでしょう。確かにゲーテは,自分で知らず知らずのうちに理念を有し,それを目で見ていると答えているのですから,この指摘は当たっているように思います。たぶんシラーにとって理念的なものとは,目で見ることはできないものという意味をもっていたのではないかと思われるからです。
続けて大槻は,ドロテーア・クーンなる人物のゲーテ評を紹介しています。僕はこの人物のことはよく知りません。というか初耳でした。詳細な実証的立場からのゲーテ評とされていますが,これはおそらく自然科学の立場における実証主義者を意味するのでなく,ゲーテの思想の研究の立場での実証主義を意味するものと思われます。
クーンの解釈によれば,ここでゲーテがいっている理念を目で見るというのは,文字通りに身体の目で理念をみるという意味なのではなくて,精神の眼でものを見ることなのだそうです。そしてこれがゲーテの自然研究の方法そのものを意味しているのだそうです。前にいったように僕はゲーテの思想に対する知識は欠如していますので,このクーンの評価が正しいのかどうかは判断しかねます。大槻は,このことはその通りであるといっています。ただゲーテの方法論に関しては,クーンの説明は十分ではないと解しているようで,その方法のことを純粋な経験科学とは異なった自然の形而上学であったと述べています。
この部分にもスピノザの名前は一切出てきません。しかし,クーンが精神の眼といういい方をしている場面で,スピノザについて何も言及しないのは僕には説明不足であると思われます。クーンがそれを意識していたかは分かりませんが,この語は第五部定理二三備考 に出てくる語であるからです。
昨晩の第20回エーデルワイス賞 。
ラインギャラントとシャインカメリアは発馬後のダッシュが鈍く取り残されました。隊列にはなっていたものの,マサノスマイル,コスモウーノ,ジュンドリーム,アンジュキッス,ストロングハートの5頭が集団で先行。グラヴィオーラとウインジェルベーラの2頭が好位。ボーダレスガールとパキラパワーとリコーデリンジャーの3頭が中団。残りの各馬が後方。集団と集団の間だけ差が開くというレースでした。前半の600mは34秒5のハイペース。
3コーナーを回って単独の先頭に立っていたのはコスモウーノ。ジュンドリームはここまでは2番手の外でついていかれましたがコーナーでは一杯になり,ストロングハートがさらに外から追い上げて2番手に。直線に入るとストロングハートの方が先頭に立ち,内目から追っていたグラヴィオーラが2頭の間を突こうとしましたが十分な進路がなくなったようでストロングハートの外に。差は詰まりましたがやはりそのロスは大きかったようで,先に抜け出したストロングハートが優勝。グラヴィオーラが半馬身差で2着。コスモウーノとパキラパワーが馬体を併せて激しく競り合うところ,大外を伸びたリコーデリンジャーが2頭を差して4馬身差の3着。パキラパワーが半馬身差の4着でコスモウーノはハナ差の5着。
優勝したストロングハート は7月のデビュー戦を2秒1差で圧勝。いきなり臨んだフルールカップは4着でしたが続くリリーカップは優勝。前走のフローラルカップはJRAに遠征したコスモス賞で2着に入ったミスマンマミーアの2着でした。今年の北海道の2歳馬は近年になくJRAで好成績を収めていましたので,全体的なレベルは平年以上と推測されました。ここはJRAからの遠征馬にオープンでの実績を有する馬もいましたが,互角には戦えると考えられたところ。地の利の有利さもあり,北海道勢が上位を独占することになりました。不良馬場だったからでしょうがタイムもなかなかで,2歳馬としては水準以上の能力があると思われます。距離延長がプラスに働くとは思いませんが,その能力で克服することも可能ではないでしょうか。父はサウスヴィグラス 。母の父は2000年にアンタレスステークス,2001年にアンタレスステークス,2002年に平安ステークス,2003年に平安ステークスとマーチステークスを勝ったスマートボーイ 。ひとつ上の全姉に昨年のローレル賞 を勝っている現役のアップトゥユー 。
騎乗した北海道の阿部龍騎手はデビューから約5年半で重賞初制覇。管理している北海道の角川秀樹調教師は2015年の北海道2歳優駿 以来となる重賞8勝目。第11回 ,12回 ,15回 ,18回 に続き2年ぶりのエーデルワイス賞5勝目。
『ゲーテとスピノザ主義 』の第三章はシラーJohann Christoph Friedrich von Schillerが主題になっています。その第1節で,ゲーテJohann Wolfgang von Goetheとシラーの間のあるエピソードが紹介されています。
1794年7月20日,自然学学会に出席したゲーテとシラーは,その学会の後,講演の内容について話し合いました。示し合わせていたわけではなく,偶然そうなったようです。そしてふたりは,自然Naturaを分解することなく,自然の全体的生命から各部門の研究に進むべきであるという見解において一致したとあります。これはスピノザ流にいうと,自然学の研究は帰納的ないしは分析的に行われるべきではなく,演繹的ないしは綜合的に行われるべきであるという見解で一致したと解釈できるかと思います。スピノザは方法論としては帰納法を斥け演繹法を採用します。これはロバート・ボイル Robert Boyleとの間の論争においてもスピノザが主張していることのひとつであるといえるでしょうから,とくに哲学的分野の方法論としていっているのではなく,自然学にも妥当しなければならないとスピノザが考えていたのは間違いないことだと僕は解します。当該部分ではスピノザについて何も記述されていませんが,この結論がスピノザの思想と親和性が高いのは間違いないと僕は考えます。ただし,この結論はゲーテがスピノザを知らなくても出てくる可能性がありますから,ゲーテのこの考え方がスピノザの影響下にあったとまでは僕はいいかねます。
ゲーテとシラーは話をしながらシラーの家に到着しました。ふたりはまだ話し足りなかったようで,シラーはゲーテを家の中に招きます。このときにゲーテが植物のメタモルフォーゼについてシラーに語り,ゲーテ自身の経験から見出された原植物としての「象徴的植物」をゲーテはシラーの前でスケッチしてみせたとあります。「象徴的植物」という語から理解できるように,そういう植物が自然界のうちに現実的に存在したわけではありません。
シラーはそれを見て,これは経験ではなくて理念であると言いました。対してゲーテは,それが経験であると解していたのですが,知らないうちに自分が理念を有し,それを目で見ているということは喜ばしいことだと答えたそうです。
横浜で指された昨日の第65期王座戦 五番勝負第四局。
羽生善治王座の先手で角換り。後手の中村太地六段は早繰り銀を選択し,先手が腰掛銀で応戦。この対抗は腰掛銀が有利という定説なので,後手には周到な準備があったものと推測されます。早繰り銀という戦法の特色から早い段階で戦いに。
8筋で銀の交換があり,先手が歩を打って成り込みを防いだのに対して後手が7筋に金取りと回り,先手が再び受けた局面。ここで後手は☖5六飛☗同歩☖4八桂成☗同王☖4六銀と踏み込みました。
先手は☗3四桂と王手して☖5一玉。この局面は単に詰めろを受けても後手から☖8四角と打つ手があるので,それを防ぐ意味でも☗9五角とか☗8四角と王手をしておく手もあったかと思います。それならあるいは別の展開になった可能性もあるでしょう。しかし☗6八金と自陣の駒を使って受けました。
後手は☖8四角とやりたかったそうですが熟慮して☖7一歩と受けました。これは好手だったのではないかと思われます。
先手はここで☗9五角と打ったものの☖7三銀 と受けられ☗8二銀のときに☖9四歩と強く催促されることに。☗7一銀成は詰めろですが☖4一玉と逃げられ,めぼしい手段が尽きてしまいました。
強く踏み込んだ上でうまく受けたという点で,後手の会心譜ではないかと思います。こういう将棋でタイトルを獲得できたのは結果だけでなく内容的にも大きいのではないでしょうか。
3勝1敗で中村六段が王座を奪取 し七段昇段。これが初のタイトル獲得です。
『ゲーテとスピノザ主義 』の中で僕が説明が不足しているのではないかと感じた具体的箇所と,それに関する僕の考え方を説明する前に,ひとつだけ本の内容とは関わらないけれど,このブログとの関係で影響を及ぼしそうな事柄について述べておきます。これは,いわゆる汎神論論争が,どういう論争を示すのかということです。たぶん学術用語として決定されていると思うのですが,僕の用法はそれとは異なっているようなのです。
『ゲーテとスピノザ主義』では,レッシングGottfried Ephraim Lessingが1780年7月にヤコービ Friedrich Heinrich Jaobiを訪ね,そのときにヤコービが見せたゲーテJohann Wolfgang von Goetheの『プロメートイス』という詩に対するレッシングの反応が,後のスピノザ論争の発端になったとされています。ここでいわれているスピノザ論争とは,レッシングの死後に,ヤコービとメンデルスゾーン の間で交わされた論争のことを意味します。つまりこの論争はスピノザ論争といわれていて,汎神論論争とはいわれていません。
その後,このスピノザ論争にゲーテを含めたほかの人びとも参加するようになりました。その論争のことが汎神論論争といわれています。
これは確かに学術的には意味がある分類であると僕は思います。ヤコービとメンデルスゾーンMoses Mendelssohnの間でのみ交わされた論争と,それに別の人たちが後に加わった論争とを分けることは,無意味に分けているとはいえないからです。ただ,この分類の仕方というのは,たとえばヤコービやメンデルスゾーン,あるいはゲーテの思想を検討するという場合には意味があることなのですが,スピノザについて何が語られているのか,あるいはスピノザの哲学がどのように解釈され,また場合によってはどのように受容されているのかということを考える場合には,あまり意味がある分類ではありません。なぜならこの場合にはそこでスピノザについて何が語られているのかが重要なので,一方ではスピノザについては何も語られてなく,他方では語られているという場合には有益な分類となり得ますが,この場合はどちらも論争の中心にスピノザの哲学があるからです。なので僕はスピノザ論争も汎神論論争も,一括して汎神論論争ということにします。
北海道から4頭が遠征してきた第16回鎌倉記念 。
ベニアカリとマッドドッグが並んで逃げるようなレースに。この後ろにセイヴェルビット,モリノラスボス,ユニバーサルライトの3頭。ここまでが一団で2馬身ほど開いてポッドジゼル。リコーワルサー,シェーンリートとパパドプロスが続きました。この後ろは大きく開いてゴールドパテック,ウラルハーモニー。残る2頭はついていくことができませんでした。
3コーナーを前にリコーワルサーが進出。マッドドッグだけが対応してこの2頭がほぼ横並びで直線に。直線に入ったところでは手応えの差が歴然としていて,見た目通りにリコーワルサーがマッドドッグを競り落とすとそのまま抜け出して優勝。マッドドッグが一杯に粘って3馬身差の2着。直線で大外から鋭い末脚を発揮したゴールドパテックがアタマ差まで迫って3着。
優勝したリコーワルサー は7月に1400mの新馬を勝つと前走は船橋に遠征して3着。そして今夜も川崎への遠征というローテーションで臨んでいました。新馬は出遅れながら差し切って勝つというなかなかの好内容ではあったものの,このメンバーに入ってどの程度のものかはよく分かりませんでした。今日の競馬は見た目からも分かるくらいの楽勝でしたから,今後に向けて楽しみな素材であるということだけは確かでしょう。父は2004年にスプリングステークスを勝ったブラックタイド 。
騎乗した船橋の森泰斗騎手 は東京ダービー 以来の南関東重賞制覇。鎌倉記念は初勝利。管理している大井の荒山勝徳調教師は南関東重賞20勝目。鎌倉記念は初勝利。
もう1冊は大槻裕子の『ゲーテとスピノザ主義』です。2007年2月ですから,今から10年以上前に刊行されたものです。
本の内容は概ね表題の通りです。ゲーテJohann Wolfgang von Goethe自身の思想の中に,スピノザの思想がどう反映されているかを探求したものです。ただ,単にゲーテの思想を探求しているだけでなくて,時系列的に,どのようにゲーテがスピノザに,あるいはスピノザの著作に触れていったかについても言及されています。したがって,ゲーテの思想のうち,スピノザの思想が反映されている部分という限定はつけなければならないかもしれませんが,ゲーテ思想の研究であると同時にゲーテの思想史の研究であるといえると思います。
僕は汎神論論争に対する関心からこの本を読みました。ただ,この本で大槻がいわんとしていることを十全に理解するためには,ゲーテ自身の思想についての理解が不可欠であるように思われます。僕はゲーテ自身の思想についてはほとんど知りませんので,全体の内容について評価することはできません。
読んだ限りでいえば,大槻はゲーテの思想を専門的に研究しているのではないかと思います。その中からスピノザの思想と関連する部分について取り上げていると思われますが,スピノザの哲学に対する研究という点では,ゲーテに対する研究ほど深くはないと僕には思えました。というのも,ゲーテの思想に関連してスピノザの哲学に言及する箇所において,僕には説明が不足していると感じられる点があったからです。そしてここで僕がいう説明不足は,ふたつの意味があります。ひとつはゲーテのある思想がスピノザの影響下にあるというとき,その思想は必ずしもスピノザの哲学とは相容れない要素を含んでいるのではないかと思えるという場合のことです。そしてもうひとつは,大槻があるゲーテの思想を紹介して,スピノザの哲学については何も言及しない箇所で,実際にはその思想はスピノザの哲学と親和性が高いのではないかと思える場合のことです。
ヘルダーおよびシラーの思想も多く出てきますが,ヘルダーやシラーの場合にも,それを研究している方は同様の思いを抱く箇所があるのかもしれません。
前橋競輪場 で争われた昨日の第26回寛仁親王牌の決勝 。並びは新田‐渡辺‐成田の福島,深谷‐吉田‐金子の愛知,浅井‐椎木尾の中部近畿で岡村は単騎。
渡辺がスタートを取って新田の前受け。4番手に岡村,5番手に浅井,7番手に深谷で周回。残り3周のホームから深谷が動いていくとこれに合わせて岡村が出ていき,岡村が新田を叩きました。バックで深谷が岡村を抑えにいくと岡村は引かずに吉田の横でイン粘り。後方になった浅井がコーナーで動くと新田も続き,深谷は6番手に。このままバックを通過して浅井の成り行き先行になりました。打鐘から深谷が発進していきましたが新田が併せるように出ていくと深谷は一杯。新田がバックで浅井をあっさりと捲り切り先頭。しかし直線で渡辺が新田を差して優勝。新田が4分の3車身差で2着。成田も4分の3車身差の3着に続いて福島の上位独占。
優勝した福島の渡辺一成選手は8月のオールスター競輪 に続いてGⅠ連覇。ビッグは4勝目。GⅠは3勝目。寛仁親王牌は初優勝。僕はこのレースは深谷の先行で,浅井が愛知の邪魔をすることは考えにくいので中団を取りやすく,新田が後方からの捲りになるのではないかと想定していました。ところが吉田が岡村に絡まれたからなのかもしれませんが,浅井が上昇してきたときに深谷が突っ張らなかったために,新田の方が深谷より前に位置することに。浅井は先行して持ち味を出すタイプでもないので,この時点で福島勢の優位は動かし難くなりました。岡村が先に動いたのであれば,そのときに浅井も上がっていき,深谷より先に岡村を叩くべきで,そういう展開になればまた違った結果になったのではないでしょうか。逆にいえば深谷は浅井の動きを待った方がよかったのではないかと思います。
スピノザは『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』で,聖書と理性 は異なることを教えると主張しています。すなわち聖書は服従 obedientia,obsequium,obtemperantiaを教え,理性ratioは真理veritasを教えるのです。しかし結果的に聖書,この場合には新約聖書といった方がいいかもしれませんが,聖書も理性も人間を敬虔pietasにするという結果を齎すことは同じであるといっています。そして重要なのは,スピノザはこの意味においては聖書を全面的に肯定しているという点です。すなわち同じように敬虔という結果が得られるのであれば,聖書による受動passioであろうと理性による能動actioであろうと構わないと考えているのです。当然ながらこれと同じことが,社会契約の場合にも成立するのでなければなりません。すなわち,少なくとも人に敬虔になることを強いるような社会契約があったとすれば,スピノザはその社会契約を全面的に肯定するでしょう。したがって,ヒュームDavid Humeが理性と対立させている自然とか慣習によって成立する社会契約についても,それが人を敬虔にさせるような社会契約であったなら,スピノザはそれをおそらく肯定的に評価するのです。そしてヒュームが主張している社会契約説は,人を敬虔にさせることを排除する要素を何ももっていません。ですから実際にはヒュームがあるいは矢島が解しているような意味では,ヒュームの社会契約説とスピノザの社会契約説は対立し得ないだろうと僕は考えるのです。
実際,新約聖書の教義というのは,理性の有entia rationisとしてみるなら,キリスト教徒の共同体とか国家Imperiumの社会契約であるとみることも可能です。ですからスピノザが聖書の教義としての神Deusへの服従を肯定しているということは,その共同体や国家の社会契約を肯定しているとみることが可能なのです。ですから,社会契約が何によって決定されるべきであるかということは,スピノザの社会契約論においては二の次なのであって,その社会契約を結んでいるとみられる人びとに対して,社会契約が何を強いるのかということが重要であり,それがスピノザの社会契約論の肝心な部分を構成しているのだと僕は考えるのです。
『スピノザ―ナ15号 』については今はこれだけです。読了したもう1冊の方について記述していきます。
第30回南部杯 。
ゴールドドリームが大きく出負けしてしまい,馬群から離れた最後尾を追走することに。逃げたのはノボバカラ。ウインフルブルームが外の2番手に。ここから2馬身くらい開いてベストウォーリアとコパノリッキーが併走。その後ろをメイショウオセアン,カフジテイク,キングズガードの3頭が占める形。しばらく最後尾だったゴールドドリームは向正面の半ばから外を進出していきました。前半の800mは47秒7のスローペース。
3コーナーを回ってからコパノリッキーが前との差を徐々に詰め始めました。その後ろの内にベストウォーリア。外からキングズガードとカフジテイク。追い上げてきたゴールドドリームはさらにその外へ。直線に入るところでもコパノリッキーは3番手でしたがウインフルブルームは一杯になり2番手に。やや馬体を離してコパノリッキーがノボバカラを抜き去るとそのまま抜け出して優勝。逃げたノボバカラが一杯に粘って4馬身差の2着。真直ぐに走れていれば差せたであろうキングズガードはそれでも詰め寄ったものの届かずクビ差の3着。
優勝したコパノリッキー はかしわ記念 からの連勝で大レース10勝目。第29回 に続いて南部杯は連覇。僕はこの距離ならばゴールドドリームが優勝候補の筆頭と考えていましたが,発馬後の不利が大きすぎました。そうなれば当然ながらこの馬の出番です。前半のペースが速くなるレースでは厳しくなりますが,そうでないならまだ活躍を見込んでもいいのではないでしょうか。父はゴールドアリュール 。祖母の従弟に2002年の大阪杯,2005年の大阪杯と毎日王冠を勝ったサンライズペガサス 。
騎乗した田辺裕信騎手は昨年の南部杯以来の大レース6勝目。南部杯は連覇で2勝目。管理している村山明調教師 はかしわ記念以来の大レース14勝目。南部杯は連覇で2勝目。
いくらかの人間が現実的に存在していたとして,それらの人間が互いの利益のために自己の自然権jus naturale,naturale jusを放棄し,共同体なり社会なり国家Imperium,Civitasなりを設立するとき,自然権を放棄するという部分には暗黙であれ明文化されてであれ,何らかの協約があるとみなすことができます。スピノザはこの協約が一般的に社会契約であるということは否定しないと思われます。したがって理性ratioによって決定されようとそうでない,たとえば慣習によって決定されていようと,それが社会契約であるということはスピノザの思想において否定されないというのが僕の解釈です。
このとき,スピノザは理性によって社会契約は決定されるべきであると主張し,ヒュームDavid Humeは慣習によって決定されるべきであると主張しているというように矢島の論文は僕には解釈できます。ですが,確かに理性によって社会契約が結ばれるのならそれが最善であるということをスピノザは否定しないでしょうが,だからといって理性によって決定されなければならないと主張しているとは僕は考えないのです。というのは,たとえある社会契約が慣習によって成立するとしても,その成立した社会契約が理性に反しているとは断定できないとスピノザはいうであろうと僕は思うからです。
このことを哲学的に説明するのは困難ですが,ここでは第四部定理五九を援用してみましょう。
「我々は受動という感情によって決定されるすべての活動へ,その感情なしにも理性によって決定されることができる 」。
ここではこの定理Propositioを『エチカ』の文脈とは無関係に使用します。この定理は,感情affectusによって決定される活動に,理性によっても決定され得るということを示しています。つまり感情によって決定されるすべてのことに理性によっても決定され得るといっているのです。ということは,理性によって決定されることの少なくとも一部は,僕たちは感情によって決定され得るということを肯定しなければなりません。なので,理性によって決定される社会契約に,慣習によって決定される場合もあり得ることを認めなければならないのです。つまり慣習で決定された社会契約が理性に反するとは限りません。
6日に指された第48回新人王戦 決勝三番勝負第一局。対戦成績は増田康宏四段が0勝,佐々木大地四段が1勝。
振駒 で増田四段の先手。相居飛車の相雁木 でしたが,後手の佐々木四段は中住いに構える趣向をみせました。
先手が後手の端角に狙いをつけたところ。これはやって来いという手ですが後手は☖8七飛成☗同金☖3六歩☗1五歩に☖3五角と打って☗1六飛に☖3七歩成☗1四歩☖4八と☗同金と進めました。先手は狙い通りの対応で,並べたときには後手の攻めは無理ではないかと感じました。ですが飛車を切った後で☖8八歩と打っておくべきだったという感想があり,確かにそれならこの攻めも有力であったかもしれません。
実戦は☖5六桂に☗同銀☖同歩。そこで☗7八王と上がった先手玉に耐久力があり,後手の攻めが繋がらなくなりました。
もし飛車を切った後で☖8八歩と打ち,先手が☗同金と応じて同じように進めば,第2図では先手の金の位置が8八ですからたとえば☖7九銀と打つ手があります。同じようには進まないでしょうが,後手としてはチャンスを逸したという将棋であったかもしれません。
増田四段が先勝 。第二局は16日です。
自然と理性ratioの対立が社会契約と絡めて論じられるとき,僕はさらなる疑問を感じます。理性は自然の一部と解さなければならないので,理性を原因とした社会契約とヒュームDavid Humeがいう意味での自然を原因とした社会契約は,スピノザの思想にあっては必ずしも対立的とは限らないという点からして疑問ですが,スピノザが社会契約というのをどう解しているかということに目を向けると,別の疑問が僕には生じてくるのです。
スピノザは社会契約の実在性 についてそれをほとんど認めていません。社会契約というのはいわば理性の有 entia rationisであって,それは社会あるいは国家Imperium,Civitasの成り立ちを説明するのには有用であるけれども,思惟の様態cogitandi modiを離れたところに社会契約があるというようにはスピノザは考えていないと思われます。それは社会契約と契約 は同じシステムでなければならないけれど,実際の社会契約が一般的な契約と同じように成立しているわけではないからです。この観点からスピノザは社会契約の絶対性 を否定しますが,ヒュームはそれが絶対的なものであると主張しているわけではないように矢島の論文は読解できるので,この点ではヒュームの社会契約論の方がホッブズThomas Hobbesの社会契約論よりスピノザの考え方に近いかもしれないと僕は解します。
社会契約が理性の有である以上,その原因によって社会契約の優劣を判断することは無意味です。確かに第四部定理三五 が示すように,理性に従うとすべての人間の本性 humana natura,natura humanaは一致するので,理性によって社会契約が締結されるということがあるなら,それは最善の社会契約であるということは帰結します。ですが社会契約は理性の有なので,実際にそういう契約が知性intellectusを離れたところに存在し得るとスピノザは考えていないと僕は解します。したがって,理性によって締結されるか理性と対立的な意味で締結されるかということでは,この場合にはその優劣は決定し得ないのです。むしろ,仮に理性によって締結される社会契約なるものがあり得るとすれば,その社会契約に近ければ近いほど優れていて,遠ければ遠いほど劣っているという形でしか,スピノザの思想においては社会契約の優劣は判断できないのではないでしょうか。
3日に六日町温泉で指された第65期王座戦 五番勝負第三局。
中村太地六段の先手で角換り相腰掛銀の将棋。互いに腰掛けたところで後手の羽生善治王座から先攻 する展開になりました。途中は後手が苦しくしたという感想が残っていますが,先手が香車の打ち場所を間違えたということで,いい勝負のまま終盤を迎えました。
後手が金を打って受けたところ。ここから☗1五桂☖同歩☗同龍で龍を助けました。そこで後手が☖7五馬と金取りに出ると先手は☗6八玉とは逃げられないということで☗8七玉。これは馬取りですから☖5七馬と進みました。ただしこれは疑問で,☗2六龍と王手をして☗3七龍と受けるのが最善であったようです。
手番は先手に。まず☗1四銀☖3二王として☗7二飛成で王手で飛車の侵入に成功。ここは☖6二桂と受けるところでしょう。
☗7五桂は単なる攻めではなく逆に後手から打たれるのを防いでもいる手。ただそこで☖1三歩と打ったのが好手であったようです。先手もここで銀を逃げてはいられないので☗6三桂成から攻め合いにいきました。よって☖1四歩☗6二龍 までは必然。そこで☖4二銀と引いて受ければ分かりやすく後手が勝っていたそうですが☖4二桂と駒を使って受けました。
ただこれで後手が悪くしたわけではありませんでした。先手は☗2六龍と龍を使う一手が必要。そこで☖6七馬と近寄り☗7一龍の攻防手に☖2四歩と打った局面は,後手が受け切ることには成功していました。
第2図から☗5三成桂でしたが,☗3七龍☖8五馬☗7六金のように受けるのでは☖6三馬と取られて駄目という判断だったそうです。確かにその局面は先手が勝つのはとても大変そうですが,手数は間違いなく伸びるので,まだ一波乱という可能性が0ではなかったようにも思われます。
羽生王座が勝って1勝2敗 。第四局は11日です。
第四部定理四 は,人間が自然 の一部でないということが不可能であるがゆえに,その人間自身の本性naturaだけで理解される変化だけをなすということは不可能であるとされています。ある人間がその人間の本性だけで変化するとは,その人間が十全な原因causa adaequataとなった場合の変化です。第三部定義二 ではこうした変化が能動 actioといわれています。つまり第四部定理四は,現実的に存在する人間は受動passioから免れることは不可能だといっているのです。ところで理性ratioは精神の能動actio Mentisのことですから,人間が常に理性的であることは不可能だという意味がここには含まれています。そしてその原因として,人間が自然の一部ではないことが不可能であること,いい換えれば人間は自然の一部であるということが示されているわけです。
これでみればあたかも理性と自然が対立的であると主張しているようです。そして矢島の論文は,スピノザが理性の側に立ち,ヒュームは自然の側に立っているといっているかのようです。しかしこの解釈は端的に誤りです。なぜならここでは人間は自然の一部であるということは肯定されているからです。したがって人間の理性もまた自然の一部なのです。つまりスピノザは自然と理性が対立的であるとは考えていません。まずこのことを踏まえておかなければならないでしょう。
ただしこのことは,スピノザの哲学では次の点とも関係します。理性が自然の一部であるというのは,第四部序言 にあるように,神 Deusと自然が同一視された上で,第二部定理一一系 にあるように人間の精神 mens humanaは神の無限知性intellectus infinitus,infinitus intellectusの一部であるということを意味し得ます。そこでもしもヒュームが,あるいは矢島がといってもいいのですが,このことについて否定する立場に回るなら,あくまでも自然と理性は対立的なものとして自身の思想を進めていくでしょう。矢島は分かりませんが,少なくとも矢島の論文の全体を読む限り,ここでは詳しく扱いませんが、ヒュームはたとえばライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizやヤコービ Friedrich Heinrich Jaobiと同じような意味で神学的観点から考えていることを窺わせます。なのでこの意味で自然と理性が対立的ではないということについて,たぶんヒュームは否定するだろうと僕は解しています。
昨晩の第14回レディスプレリュード 。
逃げて結果を残していたサルサディオーネが最内枠に入りましたのでこの馬が逃げるのは予想通り。ただ半馬身差でララベル,さらに半馬身差で外に切り替えたマイティティーが続く形に。この後ろは2馬身ほどの間隔でクイーンマンボ。1馬身差でアンジュデジール。この後ろがまた2馬身ほどでホワイトフーガ。さらに後ろは5馬身ほど離れるという縦長の隊列に。最初の800mは50秒0のミドルペース。
3コーナーを回っても前の3頭は雁行状態。これらの外からクイーンマンボが追い,内を狙ったのがアンジュデジール。さらに外からホワイトフーガも追い上げてきました。直線に入ると外から4頭目のクイーンマンボが少しばかり内に切れ込むような感じで先頭に。ここから後続をぐんぐんと引き離していくワンサイドゲームで圧勝。大外を追い込んだホワイトフーガが8馬身差で2着。ララベルとマイティティーの間に進路を取ったアンジュデジールはハナ差で3着。
優勝したクイーンマンボ は関東オークス 以来の勝利で重賞2勝目。そのときの内容が強く,古馬相手の初戦は2着でしたが,ダート競馬は一般的に3歳馬の対古馬初戦は苦戦するものなのでまずまずの結果。前走の芝は結果を残せませんでしたがまたダートに戻り,能力はホワイトフーガの方が上かもしれないけれども斤量と距離適性からこちらが優勝候補の筆頭ではないかと考えていました。ですがこれほど離して勝てると思っていたわけではありません。JBCレディスクラシックに向かうことになると思われますが,斤量関係こそ不利にはなるものの,優勝候補の筆頭という評価でいいのではないかと思います。牡馬相手でも戦える馬かもしれません。父はマンハッタンカフェ 。母の父はシンボリクリスエス 。3代母がキーフライヤー 。母の半兄にスズカマンボ 。
騎乗したクリストフ・ルメール騎手はレディスプレリュード初勝利。管理している角居勝彦調教師 は第12回 以来2年ぶりのレディスプレリュード2勝目。
『スピノザ―ナ15号 』の矢島直規の論文に関する疑問とは概ね次のようなものです。
この論文の結論が示される直前の部分で,スピノザは理性 ratioの導きに従って生活し,それによって他者との一致を達成するべきだと主張したとあります。論文ではその根拠に第四部定理三三 だけが示されていますが,第四部定理三五 もその根拠になり得るでしょう。原則論としていえば,これは間違いではないと僕は思います。なお,スピノザがそのように主張したと解しているのは,矢島自身であるかもしれませんが,ヒュームDavid Humeがそのように解釈したと矢島が解していると読むことができるような文章になっています。
これに対してヒュームは,理性とは無関係な人間の一般的傾向が社会秩序を形成するという立場で,論文においてはこの立場が自然による秩序形成の立場といわれています。そしてヒュームはその立場に留まることによって,理性に基づく社会形成の理論を否定したのだとされています。このとき,理性に基づくこの理論が,社会契約といわれています。
まず,僕が疑問に感じるのは,ここではあたかもスピノザの理論とヒュームの理論が相容れないような対立的理論として描かれている点です。確かにスピノザは理性に従うことを自然すなわち受動passioに従うことよりもよいことであると考えていたのは間違いありません。ですが,僕の考えでいえば,たぶんスピノザはヒュームがいっているような理論のことを肯定します。それが社会契約論と対立的であるということを踏まえたら,僕はここで示されているヒュームの理論は,たとえば社会契約説を唱えるホッブズThomas Hobbesの理論よりも,スピノザには肯定しやすい理論になっていると思います。最も単純にいえば,いくら理性に従うことがよいことであるといったからといって,第四部定理四 が示しているように,ここでいわれている自然の力 potentiaは,理性の力を上回るからです。第四部定理三 のいい方に倣えば,自然の力は理性の力を無限に凌駕するでしょう。
したがって,人間が何らかの秩序を形成するというときに,自然の力を無視するような理論はスピノザにはあり得ません。大事なのは秩序の内容に関わるのです。
昨晩の第51回東京盃 。山崎誠士騎手が3日の8レースで落馬して頭頚部を痛めたためシゲルカガは森泰斗騎手に変更。
ナックビーナスははっきりと出負けしました。先手を奪ったのはシゲルカガ。この後ろにコーリンベリー,トウケイタイガーでしたが,ニシケンモノノフもこれに加わっていきました。好位グループはサトノタイガー,スアデラ,ブルドッグボスの3頭でこれに差がなく追走したのがショコラブラン。ここから少し差が開いてキタサンミカヅキとドリームバレンチノが追走するという隊列。最初の600mは35秒2のミドルペース。
3コーナーを回るとシゲルカガ,コーリンベリー,トウケイタイガーの3頭は雁行。外から追い掛けてきたのがブルドッグボス。コーナーの途中でシゲルカガは一杯になり,コーリンベリーが先頭で直線に。トウケイタイガーにはあまり伸びがなく,その外のブルドッグボスの方が2頭を抜いて先頭に。内を突いたニシケンモノノフには追いつくだけの勢いはありませんでした。しかし外からキタサンミカヅキとドリームバレンチノが併せ馬のように追い込み,ドリームバレンチノは脚が止まりましたがキタサンミカヅキは最後まで伸びてブルドッグボスを差して優勝。ブルドッグボスが半馬身差で2着。ニシケンモノノフが4分の3馬身差で3着。馬群の中を割ったショコラブランがクビ差まで迫って4着。
優勝したキタサンミカヅキ はアフター5スター賞 に続き転入後の連勝で重賞初制覇。JRAでオープンを勝っていたとはいえ,近況の実績は明らかに下だっただけに,転入することでこれだけの変わり身を見せたことは正直にいって驚きでした。上位入線馬は実力上位の馬たちで占められているので,確かにそれだけの力があるとみなければならず,今後も注目していかなければならないでしょう。ただ,勝ち時計の1分12秒1というのは不可解なほど遅いといわざるを得ないので,メンバーの質こそ低くなかったもののレースそのもののレベルはあまり高くはならなかったという可能性はなきにしもあらずです。父はキングヘイロー 。母の父はサクラバクシンオー 。母の半兄に1998年の埼玉新聞杯を勝ったキタサンシーズン 。
騎乗した浦和の繁田健一騎手はこの馬のパートナーとなって連勝。重賞は初勝利。管理している船橋の佐藤賢二調教師はジャパンダートダービー 以来の重賞7勝目。東京盃は初勝利。
スピノザ―ナ の15号に掲載されている論文の概略です。
上野修の論文は,『国家論 Tractatus Politicus 』における法lexおよび権利jusの両義性の論考です。ここでいう両義性は,哲学的なものと政治的なものという意味に解釈してよいでしょう。基本的に政治論に関わる論考なので,哲学を主題としたこのブログでは詳しく扱いません。ただ,スピノザがいう自然権jus naturale,naturale jusについて,僕の知らなかった事柄が含まれていました。僕は自然権は哲学的概念として解しますので,このことについて本論と別にいずれ言及します。
次が平尾昌宏の論文で,これは『スピノザ往復書簡集 Epistolae 』を作り直すことを主題にしています。これは僕の関心を惹きませんでした。
次は矢島直規でこれはヒュームDavid Humeの哲学とスピノザ主義の関連性の論考です。僕はヒュームの哲学はよく知らないので扱うことができません。ただし,ここでいわれているヒュームについては関心を抱きましたので,それについては本論外でいずれ言及するでしょう。また,スピノザの哲学と関連する部分で疑問を抱く点があったので,これについてはすぐ後にその疑問を示します。
次は高木久夫で,『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』関連です。僕が最も関心を抱いたのはこれで,高木は『神学・政治論』にはある捏造があるといっています。高木の言い分は正しいだろうと僕は考えます。ただしこれは『神学・政治論』の主旨に関係する捏造ではないので,やはり本論とは別にいずれ言及するということにします。
その次に,吉田和弘による工藤喜作のインタビューがあります。事前に吉田の解説があり,吉田に答えた形で工藤が話した事柄がまとめられています。僕はこれを工藤の絶筆と表現しましたが,実際には工藤は話しただけで書いたのは吉田です。ただし校閲は工藤が行っていて,それが最後の仕事であったとされていますから,僕は工藤の絶筆といういい方をしました。
この後に柏葉武秀による『スピノザ哲学研究 』の書評があります。この本については僕もすでに書いたので,加えることはありません。
最後に寅野遼が,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizのふたつのメモを翻訳し,それに解説を加えています。これについても僕は何も書きません。
1日の松戸記念の決勝 。並びは吉田‐神山‐諸橋の関東と根田‐中村‐海老根の千葉で佐藤と筒井と小川は単騎。
牽制が長引き渋々といった感じで根田がスタートを取って前受け。4番手に佐藤,5番手に筒井,6番手に吉田,最後尾に小川で周回。残り4周のバックの出口から早くも吉田が動き,残り3周のホームでは根田を叩いて前に。早くも誘導は退避しました。意外にも単騎の選手に動きがなかったため,この時点で4番手に根田,7番手に佐藤,8番手に筒井,最後尾に小川という一列棒状に。このまま残り2周のホームも経過し,バックで吉田がスピードを上げていって打鐘。ホーム前のコーナーから根田が発進。神山のブロックもありなかなか前まで出られず,バックに入ってからまたも神山のブロックを受けて不発に。牽制に行った神山の内にマークの諸橋が斬り込んだため,最終コーナーで神山は浮いてしまいました。直線は諸橋が踏み込んで優勝。結果的にマークする形になった佐藤が半車身差で2着。佐藤の後ろの筒井も半車身差の3着に続きました。
優勝した新潟の諸橋愛選手は前回出走の共同通信社杯 から連続優勝。8月には弥彦記念 を優勝していて記念競輪は5勝目。松戸記念は初優勝。このレースはメンバーと並びを見た段階で一筋縄では収まりそうもないと思えました。吉田の逃げを根田が捲るのも展開としては想定できましたが,まさか諸橋がラインの神山の内に斬りこむとは思ってもいませんでした。このシビアな競走ぶりがこの優勝を大きく引き寄せたといえるでしょう。これは今後もこういう競走をしますよということでしょうから,そういうことも予想の範疇に入れていかなければならないことになったといえそうです。
5月27日,土曜日。妹の土曜出勤でした。施設は変わりましたが月に1度の土曜出勤は継続しています。この日は山下公園の散策でした。
5月31日,水曜日。新川崎に行っていましたが,移動中に哲学関連の本を読了しました。
『スピノザ哲学論攷 』を読了してから概ね半年で,僕はスピノザ関連の書籍を2冊読了しています。ここでそれらをまとめて紹介します。というのはこのうち1冊は,哲学そのものに関係する部分に対する関心は薄いので,本論としてでなく別枠で取り扱うからです。それが『スピノザ―ナ』の15号です。
この『スピノザ―ナ』は,日本のスピノザ協会が発行している年報です。僕はスピノザ協会の会員ではありませんが,この年報は一般に販売されていますからだれでも読むことができるものです。年報となっていますが,現在は毎年発行されているわけではありません。実際に僕が読み終えた15号は,2014-16となっています。14号は2015年1月に発行されていて,15号は今年1月の発行ですから,14号と15号の間には2年の間隔がありました。協会の総会ではこの冊子を隔年発行とするということが了承されていると編集後記にありますので,次は2019年の1月に発行される予定ですが,実際に発行できるかどうかの見通しが立っているわけではないと思われます。というのも実入りに合わせた刊行頻度になるとありますから,経済的に余裕がなくなれば,これが最終号となる可能性すら残っているからです。
2016年7月に選出されたスピノザ協会の運営委員が6人いて,この6人がそのまま15号の編集委員となっています。『スピノザの世界 』などの上野修,『宮廷人と異端者 』の共訳者のひとりである桜井直文が6人の中に名を連ね,上野の論文が1本,15号に掲載されています。平尾昌弘,高木久夫のふたりも編集委員で,論文の発表者です。ほかに木島泰三と鈴木泉が編集者に名を連ねていますが,このふたりと桜井の論文は15号にはありません。15号のほかの執筆者は矢島直規,吉田和弘,柏葉武秀,寅野遼の4名。『スピノザ哲学研究 』の工藤喜作の絶筆も掲載されています。
第37回白山大賞典 。
ダッシュ力で優ったクリノスターオーがハナに。発走後の向正面では2番手にカツゲキキトキトとインカンテーション。4番手にタガノディグオとコパノチャーリーで少し離れてナムラアラシ。1周目の正面に入るとインカンテーションが単独の2番手となって3番手にカツゲキキトキトとコパノチャーリー。5番手のタガノディグオの外までナムラアラシも追い上げてきました。2周目の向正面では単独の3番手にカツゲキキトキトでナムラアラシ,タガノディグオという順になり,遅れ始めたのがコパノチャーリー。
3コーナー手前でインカンテーションがクリノスターオーに並び掛けていき,その後ろはカツゲキキトキトとコパノチャーリー。タガノディグオはナムラアラシの外から追撃。コーナーの途中でインカンテーションが先頭に立つと,後ろで併走状態になっていたカツゲキキトキトとタガノディグオが直線の入口でクリノスターオーの外へ。インカンテーションはそのまま後続を寄せ付けずに快勝。交わされたクリノスターオーはよく粘り,タガノディグオは一杯となったもののカツゲキキトキトはこれを捕えて2馬身半差の2着。クリノスターオーが半馬身差で3着。
優勝したインカンテーション はマーチステークス以来の勝利で重賞5勝目。大レースでも2度の2着があるようにここでは能力上位。一昨年の5月に平安ステークスを勝った後,順調に使えず復調に手間取っていた印象でしたが,ここにきてだいぶ戻ってきたようです。年齢面から大レースでの勝利を期待するのはもう酷かもしれませんが,一定の活躍は必ずできるものと思います。Incantationは呪文。
騎乗した岩田康誠騎手は第26回 ,28回 ,33回 ,34回 と制していて3年ぶりの白山大賞典5勝目。管理している羽月友彦調教師は白山大賞典初勝利。
5月19日,金曜日。三者面談 がありました。新しい施設に通うようになり,各施設の統合が行われた関係で,書面上の経営母体には変更があったのですが,この三者面談は引き続いて行われています。これまでは作業の終了後に行われていましたから午後4時からでしたが,4月からは作業の終了時間が午後3時半に変更となっていますから,この面談も午後3時半開始と,これまでより早くなっています。ただ,母と妹が帰宅したのは午後5時半でした。つまりそれだけ面談の時間が長かったということになります。これもまた施設が新しくなった関係でしょう。また,帰宅時間についていえば,新施設がこれまでの施設より若干ですが遠くなっていますので,その分だけ移動時間が増えたという影響もあったかもしれません。僕はこの日は東白楽に行っていたのですが,ふたりよりも早い時間に帰宅しました。
5月20日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。当日に連絡があって,午後5時の開始になっています。
5月21日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はボーリングでした。
5月24日,水曜日。母の中学校の同窓会が大和であり,母が出掛けました。帰りに母が根岸駅に着いたとき,ちょうど妹も帰宅途中で会ったようです。僕はこの日は川崎に行っていたのですが,もしも母が妹の帰宅時間に間に合わないと困りますから,午後4時10分頃には帰って待っていました。また,水曜の夕食 はKさんと一緒というのが決まり事になっていましたが,この日はKさんは来ませんでした。これはKさんが永平寺へ旅行に行っていたためです。
5月26日,金曜日。お寺 に母が出掛けました。これはお寺に新しく納骨堂を建立するので,その説明会があったからです。お寺には従来から納骨堂はあり,祖母,というのは父の母ですが,祖母と父は分骨しています。納骨堂を新しくする場合,墓地のものを移動した上,母や僕,妹も入ることができるようになるようです。日野公園墓地に墓参りに行くのは大変なので,母はこの納骨堂を利用することに積極的でした。ただこの日は説明会ですから,何かが決まったわけではありません。
日本時間の昨晩,フランスのシャンティイ競馬場で開催された凱旋門賞GⅠ 芝2400m。
映像が正面からだったので大変に分かりにくかったのですが,発走後はサトノノブレスが3番手集団の馬群の真っただ中,サトノダイヤモンドは中団の外に位置していたように思われます。ただ,18頭がすべて集団を形成するというようなレースでしたので,どちらも先頭にいた馬から大きな差があったというわけではありません。最後の直線に入る前のコーナーの中途からサトノノブレスは早くも騎手の手が動き出し,そのまま馬群に沈んで勝ち馬からおよそ11馬身差の16着。サトノダイヤモンドはそのときには10番手くらいに位置していて,直線に入ると大外に出されたのですがこちらは伸びがなく,流れ込んだだけ。サトノノブレスよりアタマ差だけ先着の15着でした。
実力的にサトノノブレスとサトノダイヤモンドが同じということはあり得ないので,サトノダイヤモンドは自身の能力を十全に発揮できなかったのは間違いありません。前哨戦の内容から,時計が早くなる馬場状態でないと厳しいことは容易に推測されていました。ここは2分28秒69ですから,たぶん前走よりはまだましな馬場状態だったと思われますが,それでもサトノダイヤモンドには苦しかったということでしょう。良馬場であれば違った結果にもなり得たでしょうが,特定の馬場状態を苦にするというのは馬の能力のひとつであると考えなければならず,サトノダイヤモンドはヨーロッパで競馬をするには明らかに実力が足りなかったと評価してもよいのではないかと僕は思います。
この日も診察の予約時間は午後1時になっていましたから,院内の食堂で昼食を済ませました。定刻前に受付しましたが,実際に診察が開始されたのは午後1時25分でした。
HbA1cは7.2%でした。3月 より高くなっていましたが,これはほぼ横ばいであったといっていいでしょう。ただ,H先生はサマリー の方を見て,血糖値の推移からみると,昼食前の超即効型のインスリンであるヒューマログの注射量を0.01㎎減少させ,その分を超持続効果型のインスリンであるランタスを0.01㎎増量させることによってカバーすれば,もっと血糖値が安定するのではないかと指示しました。基本的に血糖値はランタスを増やした方が安定しやすいということは僕も経験的に知っていましたので,その指示に従うことにしました。ただ,この結果として注射するヒューマログの量は,朝が0.11㎎,昼が0.06㎎,夜が0.1㎎です。僕はおそらくこの配分で注射すれば,血糖値の安定は望めないのではないかと予測しました。これだと夜に注射する分が多すぎ,朝と昼は少なく,たぶん深夜に低血糖を発症するケースが頻繁になり,昼はともかく夕食前の血糖値を良好に保つことは難しいと思えたからです。H先生は配分に関しては僕に任せてくれますので,この後で僕が実際に注射したのは,朝が0.12㎎,昼が0.07㎎,夜が0.08㎎のヒューマログと,夜に0.12㎎のランタスです。インスリンは注射する量に応じて処方されますから,1日当りの注射量は変化がないように対処しました。
この日にほかに異常があったのはLDLコレステロールです。67㎎/㎗でやはり下限値を下回っていました。ただこれについては何も言われていません。次回からは新しい医師にバトンタッチされることになります。
帰途に薬局に寄りましたが,前回の会計のときにミスがあり,僕の支払いが多くなってしまったらしく,返金がありました。インスリンと注射針は在庫があり,必要な分を入手できました。おくすり手帳 が一杯になったので,新しいものをもらいました。新しいものは表紙にイラストが描いてありました。午後2時45分に帰宅しました。