スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

共同通信社杯&最後の通院

2017-09-19 19:01:33 | 競輪
 武雄競輪場で開催された第33回共同通信社杯は一昨日の準決勝が台風の影響で昨日に順延。決勝も今日に順延となりました。並びは渡辺‐新田‐守沢の北日本,平原‐諸橋の関東,村上義弘‐村上博幸‐稲川の近畿で松谷は単騎。
 平原がスタートを取って前受け。2周目のホームで追い上げてきた松谷が3番手。4番手に渡辺で7番手から村上義弘の周回。残り3周のバックの出口から村上義弘が上昇。ホームで渡辺に被せると,渡辺はすぐに引き,4番手に村上義弘,7番手に渡辺の一列棒状に変化。バックに入って村上義弘が発進。このラインを追った渡辺も発進して打鐘から先行争いに。ホームで渡辺ラインが村上義弘を叩いて渡辺の先行。後方になった平原がバックから捲ると新田が牽制しつつ発進したのですが,タイミングが悪かったようで平原が新田の内に潜り込み,コーナーでは内に平原外に新田の併走に。直線で平原の番手の諸橋が新田を牽制。そのままふたりの間を突き抜けて優勝。捲った平原が半車身差の2着で関東のワンツー。浮いてしまった新田が1車身差で3着。なお,最終ホームの手前で守沢の動きの影響を受けた渡辺と村上博幸は落車しています。ふたりは再乗車して入線。守沢は失格となりました。
 優勝した新潟の諸橋愛選手は前回出走の弥彦のFⅠから連続優勝。8月に弥彦記念で優勝していて,ビッグはこれが初優勝。このレースは普通は村上義弘の先行が予想されるメンバー構成でしたが,北日本は新田が前ではなく渡辺が前でした。この並びだと渡辺が世話になっている新田を引き出すために先行するという可能性もあるのかなと考えていました。結果的に渡辺にはやはり先行意欲があったようですが,村上義弘もそれを予測していたようで,渡辺を警戒するような走行に。このために先行争いが演じられることになり,平原に有利な展開となりました。新田の動きに対して素早くインに潜り込んだのは平原のセンスで,その動きに離れなかった諸橋もマーク選手としての才能をみせたといったところ。近況の成績からみて諸橋はかなり好調のようです。

 『スピノザ哲学論攷』を読了したのは昨年の11月30日,水曜日でした。これ以降の日記です。
                                     
 12月4日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。前夜に電話があり,午後4時の開始でした。
 12月5日,月曜日。妹がこども医療センター遺伝科に通院しました。この日は身体計測と診察だったそうです。そしてここの遺伝科での診察はこれで最後ということになりました。名称から分かるように,基本的にここは子どもが通院するところです。妹がずっと通い続けたのは,モルモットのような役割を果たすことができたからでした。その妹もこの年の9月に40歳になりました。これを契機に転院するということになったのです。妹はてんかんの発作を抑制する薬を服用していますので,通院は続ける必要があります。便利なのはみなと赤十字病院ですが,みなと赤十字病院で新たに診察を受けるという場合には紹介状が必要です。なので母が依頼して,こども医療センターの担当医に紹介状を書いてもらいました。ただし,現在はある理由があって妹は別の病院に通っています。なぜそのようになっているのかということについてはまたそのときに日記の中で書くことにします。僕はこの日は屏風浦に行っていました。
 12月7日,母がI歯科に行きました。これは歯の隙間に詰める詰め物をするためで,この日に完成しました。僕はこの日は川崎に行っていたのですが,帰宅が午後7時50分頃になってしまいました。水曜日の夕食はKさんと一緒で,この日も来ていたのですが,僕は会うことができませんでした。
 12月9日,金曜日。母がこども医療センターの担当医に依頼しておいた紹介状が郵送で到着しました。僕はこの日は横浜に行っていました。
 12月10日,土曜日。母と妹が美容院に行きました。
 12月11日,日曜日。二週連続で妹のピアノのレッスンがありました。前夜に電話があって,午後4時半の開始の予定でしたが,当日になってからもう少し早く到着できそうだという連絡がさらに入り,実際に開始になったのは午後4時15分でした。早くなる方が僕たちにとってはいいので,これはありがたい変更です。
コメント
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