スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

加古川青流戦&直観的判断力

2017-10-21 19:39:27 | 将棋
 鶴林寺で指された第7回加古川青流戦決勝三番勝負第一局。井出隼平四段と西田拓也四段は公式戦初対局。
 加古川市長による振駒で井出四段が先手になり,西田四段のノーマル四間飛車から相穴熊へ。終盤は少しずつ後手が足りなかったという棋譜中継の総括がありますが,確かに少しずつで,終盤までいい勝負が続いていたように思います。どう指せばよかったかは別に,はっきりとした差がついた部分は分かりやすい将棋でした。
                                     
 7一で先手の銀と後手の金が交換になった局面。ここから☖8二銀☗6二馬☖7一銀打までは一本道。先手は馬を逃げずに☗6三歩成としました。これだと☖6二銀☗同ととは進むでしょう。
 ここで後手は☖7八香と打って攻め合いに。ただ☗同金引☖同角成のときに☗7二金と打たれ再び☖4五角と打ったものの☗8二金☖同玉☗7一銀☖7三玉☗6三金☖同角☗同と☖同玉☗1八角と,後手としては変化の余地がない手順で王手龍取りを掛けられ,大勢が決しました。
                                     
 手順から分かるように,6二にと金がいる状態で☗7二金と打たれるのは厳しすぎます。なので☖7八香から攻め合ったところではまだ受けるべきであったと思われます。考えられるのは☖6一歩で,☗同とは7二に金を打てなくなるので後手が有望かもしれません。すぐに☗7二金は打てますが,これには☖6二歩と取れますから☗8二金☖同玉に☗7一銀も☗7二金もないので,まだ激戦になっていた可能性があったと思います。いずれにせよ☖7八香は暴発だったのではないでしょうか。
 井出四段が先勝。第二局は明日の午前です。

 大槻はクーンのゲーテJohann Wolfgang von Goetheの方法論に関する説明は不十分であると考えているようです。大槻はその方法論は,純粋経験科学と異なる自然の形而上学であるといっているということも指摘した通りです。
 この形而上学は,自然研究においてゲーテが「原型」と名付けられたものを追求する姿勢についていわれています。シラーとの会話の例でいえば,「象徴的植物」とは植物の「原型」に該当するものだということになるでしょう。
 大槻はこれを二元論的な考え方であり,この後のゲーテの自然研究において根本的な問題になったといっています。したがって大槻は,シラーのいっていることは本質的に正しく,少なくともこの時点においては知覚された経験と理念的である「原型」が一致するものではないとゲーテ自身が解していたと主張していることになります。シラーがカントの哲学に則して経験と理念を分節したことがゲーテに理解できなかったという主張と矛盾するようにみえますが,ゲーテが経験と理念を二元論的に考えていることの根拠として大槻があげているのは1818年に書かれたものなので,両立しない主張ではないのだろうと僕は解します。ただこれは大槻がそういっているのであり,その指摘が正しいか否かは僕には確定できません。
 さらに後の1820年に,ゲーテは『直観的判断力』という本を書いています。こちらはゲーテが「原型」をひたすらに追求してきたことの根拠となっているもので,確かにゲーテはその中で,自身の研究を回顧しながらそのように語っています。さらにこの中でゲーテはカントにも言及しているので,そのときのゲーテはかつてシラーの言っていたことも十分に理解できるようになっていたと解しておくのがいいでしょう。
 ただこの本が『直観的判断力』であることは,やはり直前の精神の眼に関するクーンの言及と同様に,スピノザの哲学からは第三種の認識cognitio tertii generisとの関連性を強く匂わせるものになっているといえるでしょう。というのも第三種の認識は直観知scientia intuitivaといわれるからです。
 スピノザの哲学を知らないとこの部分は見過ごすかもしれません。ですがここにもスピノザに関連しそうなことが書かれているのです。
コメント
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