スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&第一部定義三

2014-11-15 20:18:49 | 将棋
 6日と7日に日比谷で指された第27期竜王戦七番勝負第三局。
 糸谷哲郎七段の先手で角換り相腰掛銀。森内俊之竜王は先後同型を選択。先手の定跡の仕掛けの中途に反撃に出るという指し方から激戦に。
                         
 先手が4三から角を成り返ってと金を取ったのに対し,後手が銀を打った局面。ここで☗7六同馬と指せば,どちらが勝つかは別に,収束の段階に入ります。指し手が☗8六馬であったということは,先手はすぐに決着をつけるのは自身にとって好ましくなく,結論を引き延ばさなければならない局面であると認識していたことになります。その認識が,これ以降の先手の指し手の理解の前提となるでしょう。
 ☖7八馬☗同玉☖6七金☗8八玉☖8七歩☗9七玉☖7七銀不成の進展。9七に逃げることが優先になりそうですから,この間の先手の指し手はすべて必然であったと思います。
 ここで☗8四桂と打ち☖8ニ王☗8三歩☖9三王☗9五歩と進めたのは,部分的には損な面もありますが,先手玉の兼ね合いからいえば,むしろ才能の発露といえると思います。後手は☖8六銀成☗同銀☖8八歩成と進めましたが,これは開き直った手順といえそうです。
                         
 先手は☗同玉。これでまた結論を引き延ばせると考えたものと思いますが☖7七角と打たれ,逆に決着をつけられてしまうことになりました。角打ち自体か,7一の飛車が利いてくることか,どちらかをうっかりしたのではないでしょうか。
 森内竜王が勝って1勝2敗。第四局は20日と21日です。

 今日からは第一部定義三をテーマに設定し,これについて考えていくこととします。
 「実体とは,それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの,言いかえればその概念を形成するのに他のものの概念を必要としないもの,と解する」。
 「解するintelligere」という形式の命題が定義Definitioとしてそれ自体で成立することは,すでに説明した通りです。
 今回も前回と同様に,最後のまとめを省略するつもりです。ですからまず考察内容の概略から説明します。
 これから考えていくのは,この定義の妥当性に関してです。僕はこれが実体substantiaの定義として妥当であると考えています。したがって,これを転覆するという意図はいささかも有していません。むしろこの定義を補強していくことが,考察の主要な内容になります。
 一読すると理解できるように,この定義はふたつのことをいっています。ひとつは実体というのがそれ自身のうちにあるesse in seものであるということです。そしてもうひとつは,実体はそれ自身によって概念されるということです。スピノザによる事物の定義は,定義される事物の本性essentiaと発生を含むということをその要件とします。このうち,それ自身のうちにあるということは,それ自体で発生を含んでいると僕は理解します。なぜなら,もしもあるものがほかのもののうちにあるならば,それはそのほかのものによって産出され得ます。しかしそれ自身のうちにある場合には,そうしたことは不可能です。ですからそれ自身のうちにあるものの発生は,それ自身によって説明されなければなりません。いい換えれば,もしもあるものがそれ自身のうちにあるのであれば,そのものは自己原因causa suiであることになります。後に詳しく説明するでしょうが,この定義は実在的な定義ではないので,実体なるものが存在するということは前提されません。つまりそれ自身のうちにあるものの実在性realitasは問われないのです。ですからそれ自身のうちにあるものが存在するとすれば,それは自己原因でなければならないというように理解できるだけで十分なのであり,実際にそのように理解することができると僕は考えます.なので発生に関してはこれ以上は問題にはしません。
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大山名人杯倉敷藤花戦&救急搬送

2014-11-14 19:23:07 | 将棋
 5日の第22期倉敷藤花戦三番勝負第一局。対戦成績は甲斐智美倉敷藤花が3勝,山田久美女流四段は0勝。
 倉敷市文化振興財団理事長による振駒で甲斐倉敷藤花の先手。先手の三間飛車に後手の中飛車左穴熊。先手から仕掛けて捌きましたが,いかにも軽かったようで玉の堅い後手が優位に。そこから先手が追い上げていく展開でした。
                         
 先手が7七の桂馬を跳ねたところ,後手がと金を捨てて金の連結を外した局面。ここで継続手とばかり△5六角と打ちましたが,それで後手の優位が盤面から消えました。すぐに決めにいくのではなく,△4二銀とするべきだったのですが,それならその前にと金を捨てた手もどうだったのかということになると思います。対して先手が▲5三桂成ではなく▲5三桂不成としたのがうまい手段。▲5三桂成なら△3四角とこちらの桂馬を取って後手が指せます。ただ,▲5三桂不成にもそう指せば,千日手には持ち込めたという結論があります。
 実戦は△3八角成から決着をつけにいきました。ただ▲同王△4七金▲2八王△3八飛▲1七王△2八銀▲2六王△3七銀不成▲3五王△4六銀不成▲4五王△3五飛成▲5四王と王手は追う手の見本のようになってしまい,△6二歩としたものの▲4五銀△4四歩の瞬間に▲2ニ桂成△同玉▲4一桂成とされ,入玉を防げなくなりました。
                         
 現状では終盤力には差があると思うので,山田四段としてはリードして終盤戦を迎えなければ勝機は少ないと思うのです。この将棋はそういう展開に持ちこめていたので,残念な負け方になってしまったという印象でした。
 甲斐倉敷藤花が先勝。第二局は22日です。

 帰途に薬局に寄り,インスリンと注射針を入手。処方された通りに入手できました。おくすり手帳の提示も求められました。シールを添付するだけでなく,この間の薬の使用について,薬剤師が確認していました。もっとも,使用があったわけではありません。帰宅できたのは午後4時半。勘違いがあったため,予想していたより早く帰ることができました。
 11月1日,土曜日。養護学校のバザーが開催されました。母と妹で出掛け,午後2時20分頃に家に戻りました。
 夜11時過ぎに,海老名市内にある病院から電話がありました。アパートに住んでいる叔父が救急搬送されてきたとのことでした。話を聞いてみると,酔って階段から転落し,頭部を怪我したとのことでした。患部を縫合するだけでなく,点滴をするということでしたので,多くの出血があったのではないかと思います。病院からはできれば迎えに来てほしいという話でしたが,僕も母も自動車を使うことができませんから,さすがにこの時間では無理です。ということで病院側にお願いし,処置が終ったらタクシーに乗せて帰してもらうということにしました。大怪我といえば大怪我かもしれませんが,生命に別条があるような類のものではありませんから,病院側でもこちらからの依頼に応じてくれました。
 11月2日,日曜日。朝にアパートに行き,叔父の様子を見てきました。叔父は大和で飲酒していたとのことで,なぜ自分が海老名にいたのかも分からないとのことでした。酔って記憶を失くすというのは珍しいことではありません。逆方向の電車に乗ってしまったか,横浜行きの電車に乗ったものの,眠ってしまい,海老名まで逆戻りしてしまったかのどちらかでしょう。病院から電話があった時間を考えれば,何時から記憶を失うほど飲んでいたのかという話ではありますが,土曜のことですから,そういうことがあったとしてもおかしくはないようには思えます。縫合しましたから,抜糸する必要がありましたが,それは近くの病院で構わないと言われたそうです。搬入されたときは酔っていましたが,帰る頃には醒めていたそうです。
 今回はここまで。明日から『エチカ』です。
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ハイセイコー記念&2014年10月の通院

2014-11-13 19:28:13 | 地方競馬
 昨晩の第47回ハイセイコー記念
 ストゥディウムは躓いたために置かれました。先手を奪ったのはルックスザットキル。スプリンター色が強いように思え,この展開は予想通り。2番手マークがジャジャウマナラシ。以下,オウマタイム,ヴェスヴィオの順で差がなく続きました。前半の800mは49秒0で超ハイペース。
 3コーナーを回るとジャジャウマナラシがルックスザットキルに並び掛け,さらに外にオウマタイム。3頭が雁行で直線に。この競り合いから抜けたのはオウマタイム。これをマークするようなレースになったヴェスヴィオが内の2頭に代わって外からオウマタイムに並び掛け,2頭が抜け出しての叩き合い。しかし最後尾から内を進出,直線に入ると徐々に外に出て,直線半ばからは大外まで持ち出されたストゥディウムが競り合う2頭をゴール寸前で捕えて優勝。クビ差の2着にオウマタイム。アタマ差の3着がヴェスヴィオ。
 優勝したストゥディウムは先月の平和賞から連勝で南関東重賞2勝目。ここは鎌倉記念組との対決。レースレベルは鎌倉記念の方が上であったと見立てていたのですが,これが誤り。とはいえ着差からいえば,平和賞上位というより,同じ程度のレベルであったと認識しておくべきでしょう。2着馬の北海道時代の戦績から,全国レベルには達していないと思われますが,この強靭な末脚は,強い馬との対戦でも大きな武器となり得るのではないでしょうか。父は2007年のスパーキングサマーカップ,2008年の金盃東京記念,2009年の東京記念を勝ったルースリンドで,その父はエルコンドルパサー。祖母の半姉に1988年のJRA賞最優秀2歳牝馬のアイドルマリー。Studiumはドイツ語のスタジアム。研究という意味もあるようです。
 騎乗した船橋の石崎駿騎手は平和賞以来の南関東重賞制覇。第43回以来4年ぶりのハイセイコー記念2勝目。管理している船橋の矢野義幸調教師はハイセイコー記念初勝利。

 頸動脈のエコー検査の結果を教えてもらった診察は,午後3時半の予約になっていました。僕が内分泌科の受付に向ったのはその10分ほど前。10分前に来るようにという指示が病院の案内板に出ていますので,これは基本的にいつもと同じ。ただ,この日は血圧の測定をする間もなく,すぐに呼ばれました。もしかしたらもっと早く来ていても,診察を受けることが可能であったのかもしれません。診察室はこの日も4番でした。
 HbA1cは,7.0%に上昇していました。7月,9月と,K先生が目標値として示していた6%台を達成,とくに9月は6.4%と,僕としてはかなり良好な値であったわけですが、一気に逆戻りしてしまったことになります。
 どのくらいの数値になるかは別に,上昇するのが間違いないことは,僕には分かっていました。計測している血糖値が,それまでほど良好には保てていなかったからです。とりわけ朝と昼は高い日が多く,夕方,夜にかけて何とか正常値をキープできるという日が目立っていました。ただ,どうしてそのようになったのかは分かりません。
 何度かいっていますように,僕は冬場は血糖値が高くなりがちです。そしてそのときの傾向が,午前中は高くて午後には安定してくるというパターンで,これによく似た計測結果が出ていたのです。確かに今年は,少なくとも僕が退院して以降では最も短い夏ではありました。とはいえこんな時期からこうした傾向が出ては,本格的な冬になったらどうなってしまうのかという話ですし,気温だって冬みたいに寒かったわけではありません。ただし,最近はこの傾向から脱していますので,何らかの原因から,一時的にこの傾向が出てしまったということではないかと思っています。
 ほかの異常はふたつ。ひとつがカリウムでもうひとつがLDLコレステロール。カリウムは9月に続いてですが,数値は減少していました。LDLコレステロールは7月以来の異常ですが,こちらもそのときよりは高い数値ではあります。いずれにせよこれらは頻出している異常であり,しかし何か問題を発生させているわけではありませんから,驚きもなければ心配もしていません。
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ノーザンドライバー&頸動脈のエコー検査

2014-11-12 19:26:56 | 名馬
 北海道2歳優駿を勝ったディアドムスの祖母はノーザンドライバー。また懐かしい名前に出会えたなという感慨を抱きました。
 6月にデビューして新馬勝ち。7月の札幌3歳ステークスは1番人気に推されるも5着。続く函館のオープンはリンドシェーバーの2着。9月に中京でオープンを勝つとデイリー杯3歳ステークスで優勝。重賞ウイナーとなりました。2歳のキャンペーンはこれで終了。最優秀2歳牝馬に選出されました。函館のオープンでクビ差で負けたリンドシェーバーが,当時は東の2歳王者決定戦の位置付けだった朝日杯3歳ステークスを勝ち,デイリー杯3歳ステークスでは3着に降したイブキマイカグラが,次走で西の2歳王者決定戦だった阪神3歳ステークスを勝ったことが評価されたもの。
 3歳初戦はペガサスステークス。これは現在のアーリントンカップに該当するレースで,牡馬を相手に重賞2勝目。桜花賞に駒を進めました。
 この年の桜花賞は上位が高いレベルで拮抗。1番人気はトライアルの4歳牝馬特別まで5連勝のイソノルーブル。2番人気がノーザンドライバー。3番人気はスカーレットインクの仔で,札幌3歳ステークスではノーザンドライバーを降して優勝,クイーンカップを勝ってチューリップ賞は2着のスカーレットブーケ。後にダイワメジャーとダイワスカーレットの母となる名牝。4番人気がスカーレットブーケを降したチューリップ賞まで3連勝のシスタートウショウ。この4頭はどれも桜花賞馬に相応しいだけの実力がありました。それぞれの騎手も順に松永幹夫,岡潤一郎,武豊,角田晃一と,当時の関西の人気若手ジョッキーで,戦前から華やかなムードでした。
 阪神が改装中のため,京都で行われた桜花賞。落鉄したイソノルーブルが打ち替えを拒み,そのまま出走させられたことでも有名なこのレースを,僕は友人の誘いでWINS後楽園で観戦。牡馬相手に勝っているノーザンドライバーが最も強いと考え,馬券を買っていたのですが,残念ながら3着。勝ったのはシスタートウショウ。2着に伏兵のヤマノカサブランカが入り,スカーレットブーケが4着,イソノルーブルが5着でした。
 4頭は揃ってオークスに。今度はイソノルーブルが逃げ切って優勝。最後尾近くから追い込んだシスタートウショウが2着。前走のオープンまで3連勝中だったツインヴォイスが3着に食い込み,ノーザンドライバーは4着。5着がスカーレットブーケ。いかに上位陣の力が確かであったか分かる結果です。
 この後,ニュージーランドトロフィーへ。ここは1番人気でしたが2着。さすがにクラシック連戦の疲れが残っていたのでしょう。残念なことに,これが競走生活のラストレースとなってしまいました。
 大レースには手が届きませんでしたし,直仔からは重賞勝ち馬も出ませんでした。20年以上が経ち,孫の世代から重賞を勝つ馬が出たのは,個人的には大きな喜びです。

 病院に戻ったのは午後2時10分頃でした。すぐに受付に向うと,所定の場所で待機しているように命じられました。
 中央検査室で行われる採血以外の検査室は,この受付からみると裏手にあります。いい換えれば,この受付の奥にいくつかの検査室があるという構造です。これらの部屋をぐるりと廊下が取り囲んでいます。頸動脈のエコー検査を実施する検査室は,ちょうど受付の反対側に位置していました。なので僕はその廊下を半周ほど回り,検査室のドアの横に設置されていた長椅子に腰を下ろし,順番が来るのを待ちました。
 ほどなくして,検査室から中年というか初老といっていいくらいの技師が顔を出し,僕を室内に招き入れました。午後2時25分くらいのことでしたから,それほど長く待つ必要がなかったことになります。
 この日はわりと暖かい日でした。僕はTシャツの上にパーカーを羽織っただけでした。ただ,頸動脈が検査の対象部位ですから,パーカーは邪魔になります。なのでそれを脱いで,所定のベッドに横たわりました。
 エコーは入院中に2度,さらに退院後も耳鼻咽喉科でのエコー検査と,何度か経験があり,作業内容がどのようなものであるかは分かっていました。検査部位に半液体状のジェルのようなものを塗布し,後は器械での検査です。頸動脈は左右にありますから,まず右,そして左と,同じことが2回行われ,終了となりました。概ね15分くらい。もっともこれは入室してから退室するまでの時間であり,実際に検査それ自体に要した時間ではありません。
 結果はこの後の診察で教えてもらったのですが,先に明らかにしておきます。まず検査目的はⅠ型糖尿病のスクリーニングとされていました。調べた項目はいくつかあったのですが,重要だとして詳しく説明されたのは2点。ひとつは頸動脈の太さで,僕は右が0.6mm,左が0.7mmでした。一般には10年で0.1㎜太くなり,1mmに達すると危険だそうですが,その通りだと30年後になりますから問題なし。もうひとつがプラーク。これはコレステロールの塊の付着の有無で,僕は左右ともになし。こちらも問題なしという判定でした。
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プリンセスオリビアとバーブスボールド&申し出

2014-11-11 19:24:41 | 血統
 天皇賞を勝ったスピルバーグの母は1995年にアメリカで産まれたプリンセスオリビアで,基礎輸入繁殖牝馬になります。ファミリーナンバー17-b
                         
 アメリカで4頭の競走馬を産んでから輸入。日本で最初に産んだ牝馬は,新馬を勝った後,2戦目で後の大レース5勝馬の2着,3戦目で後の大レース2勝馬の2着するなど,素質を表出。後の重賞2勝馬を破って準オープンを勝ち上がるところまではいきましたが,大成には至らず。
 翌年,ディープインパクトとの間に産まれたのがトーセンラー。この馬はきさらぎ賞を勝ってクラシックに乗り,5歳になって昨年のマイルチャンピオンシップを勝ち,大レースの勝ち馬に名を連ねました。
 スピルバーグはトーセンラーのひとつ下の全弟。ダービートライアルを勝つなど,やはり素質の良さは早くから見せていましたが,5歳になってようやく大レースを勝利。
 こう立て続けに活躍馬を出していることから,プリンセスオリビアの優秀性は明らかですが,早い時期にはあまり無理をさせない方がよい,晩成タイプの産駒を出すという特徴があるのかもしれません。
 プリンセスオリビアの3代母の妹にバーブスボールドという馬がいます。1989年に日本で最初の産駒を誕生させていますが,その前年,アメリカで最後に産んだのがページプルーフという馬。この馬も1997年には日本で子どもを産んだのですが,1994年にアメリカで産んだ馬は競走馬として輸入されました。それがシーキングザパール。日本調教馬として,初めてヨーロッパでGⅠを勝った馬です。彼女は繁殖牝馬となって,2004年にアーリントンカップ,ニュージーランドトロフィー,兵庫ゴールドトロフィー,2006年に日本テレビ盃,2007年に浦和記念を勝ったシーキングザダイヤを産みました。大レースは2着が9回で,ついに手が届かなかった悲運の馬。
 バーブスボールドが日本で最初に産んだのは牝馬。この馬は繁殖牝馬として,2009年に阪神ジャンプステークスを勝ったマヤノスターダムを産んでいます。

 採尿というのはトイレで自分で行う作業です。ですからこれに待ち時間が生じることはありません。採血は技師による作業なので,待機している患者の数によっては待つこともあります。だから採尿が先になったり採血が先になったりするのです。しかしそのために,たとえば30分待つというようなことが起こることはまずありません。
 中央検査室で実施されるこれ以外の検査に関しては,たとえ予約時間が設定されていたとしても,すぐにできるような場合もあれば,採血と比較したならずっと長い時間を待たなければならないという場合もあり得るということは,入院していたときにここで行った,腹部エコー,動脈硬化,喉のエコー,心電図といった諸々の検査の経験から,僕は予測していました。だから,もしも早く済ませることが可能なのであれば,それにこしたことはないと思えました。ただ,今すぐにできるわけではなく,また,どれくらい待てば開始できるのかも不明であるというのは,大きな難点でした。採血の検査に血糖値の計測が含まれている関係上,僕はまだ昼食を摂っていなかったからです。
 ということで,すぐにできないのであれば,先に昼食にしたいという旨を受付の担当者に申し出ました。仮にすぐに検査ができるのだとしても,診察の予約は3時半なのですから,まだ2時間くらいあります。つまりどこかで待たなければならないという状況に変化が生じるわけではありません。それなら,いつ始まるのか分からない検査をこの時間に待つよりは,昼食後に待ち時間を作る方がベターであると思えたからです。担当者はおそらく検査を実際に行う技師と相談するため,一旦は僕の前から姿を消しました。そして戻って来ると,先に昼食にして構わないと言いました。さらに,昼食が終ったら予約されている3時より前に来ても構わないと付け加えました。
 こういった状況でしたから、院内の食堂で昼食にし,すぐに中央検査室へ戻るというのが,この検査だけを眼中に置けばベストの選択であったとは思います。しかし僕は小港まで出て外食にしました。診察のことを考慮に入れれば,少し時間を使っておきたかったからです。
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金亀杯争覇戦&勘違い

2014-11-10 19:11:27 | 競輪
 3日の松山記念の決勝。並びは矢野-神山の栃木,平原-後閑-斉藤の埼京,松岡-井上-橋本の西国で石井は単騎。
 牽制になりましたが意を決したように平原がスタートを取って前受け。4番手に石井が入って5番手には松岡,8番手から矢野で周回。残り2周のホームの前から動いた矢野が,ホームでは平原を叩いて前に。松岡がこのラインに続き,井上が一旦は連結を外してしまったのですが,バックで外から追い上げてドッキング。石井が橋本の後ろにスイッチし,平原が7番手で打鐘。ホームから単騎の石井が発進。平原もこれに乗るように追い上げていき,石井に合わせて松岡も発進。バックでは神山も番手から出ていき,3コーナーでは神山,松岡,石井,平原が並ぶような激しいレースに。挟まれる形になった松岡と石井は失速。直線は外から下りてきた平原と神山が何度も身体を接触させるような激しい競り合い。このためにスピードが鈍った部分もあったのでしょう,直線だけ外に持ち出した井上の差しが決まって優勝。4分の1車輪差で平原が2着。4分の3車輪差で神山が3着。最近の記念競輪の決勝としてはとてもいいレースでした。
 優勝した長崎の井上昌己選手は昨年5月の平塚記念以来,1年半ぶりの記念競輪8勝目。松山記念は初優勝。残り2周のときに連結が切れてしまったのはタイミングの問題だったのだろうと思います。追い上げて,すんなりと再連結を果たせたのでそれはあまり問題にはなりませんでした。多くの選手が早い段階から脚を使う中で,直線まで溜めることができたのが勝因と思いますので,うまく3番手を確保した松岡の貢献も大きかったのではないでしょうか。

 病院に到着したのは午後1時10分頃のこと。いつもの通院のときと同じように,まずは保険証の確認をして,診察券を所定の機械に。そこでプリントアウトされた診察票を見て,僕はある勘違いをしていたことに気付きました。
 前回の診察のとき,K先生は頸動脈のエコーの予約を入れました。その予約は予定通りに入っていたのですが,僕は時間に関して間違えていたのです。この日は診察が午後3時からで,その後,午後3時半からその検査が行われると僕は思い込んでいました。ところが実際に診察票に書かれていた順序はその逆で,午後3時に頸動脈のエコーの検査,午後3時半から診察となっていたのです。
 病院での最後の作業というのは清算になります。この清算は原則的に機械で行います。そして現金を払い終えると,領収証がプリントアウトされます。もし通院がそのときだけであれば,プリントアウトされるのもこの領収書だけです。しかし僕の内分泌科の通院のように、継続した通院で,次回の予約が入っているという場合には,これとは別に予約票というのがプリントアウトされます。これには時間も書いてあるのですが,確かに検査が先で診察が後となっていました。つまり僕は診察室でのK先生とのやり取りから,先に診察で後から検査と思い込んでしまったようです。これは先生が予約を入れるときに発したことばを,僕自身が勝手に解釈してしまったための早とちり以外の何ものでもありませんでした。
 いずれにせよ,採血と採尿は済ませなければなりませんから,まずは中央検査室へ。ここで受付の担当者と少しやり取りがあり,採血と採尿が終ったら,またこの受付にすぐに戻るように言われました。このとき,検査を待っている患者は皆無。よって採血、採尿,注射針の処理という順ですべてを終らせ、事前に命じられたように受付に戻りました。午後1時25分くらいのことです。
 頸動脈のエコーの検査は午後3時の予約になっていましたが,もしそれまでに空きが出たら,すぐに行うことができるので,できれば待っていてほしいと言われました。ただ,どれくらい待っていれば検査ができるかは不明とのことでした。
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農林水産大臣賞典道新スポーツ杯北海道2歳優駿&ボランティア

2014-11-09 19:05:16 | 地方競馬
 6日の第41回北海道2歳優駿
 デヴァスタシオンが出負け。前の並びが1コーナーまで判然としませんでしたが,逃げることになったのはトウケイファルコン。あわよくば先手という構えに見えたオヤコダカが2番手に控え,その後ろはサダムリスペクトとクラバズーカーで併走。この4頭はほとんど一団。好位を取ったのはディアドムス。タケルオウジ,サクセスストーリー,ハニームーン,カラパナビーチ,ヘブンズゲートまで,集団での追走に。隊列からも推測できるようなスローペースの競馬。
 4コーナーではオヤコダカが先頭に出て,これをマークしたのがクラバズーカー。この2頭は内で競り合ったのですが,無関係の外をディアドムスが一気に伸びると鮮やかに抜け出し,4馬身もの差をつけて快勝。同様に外からいい脚を使ったカラパナビーチが2着。内での競り合いを制したクラバズーカーが2馬身半差で3着。
 優勝したディアドムスは6月デビュー。3戦目に初ダートで勝利すると,前走の条件戦は5着。そのレースで2着だったのが,出負けしたため後方からのレースとなり,4着まで追い込んだデヴァスタシオン。力量差の比較が難しかったのですが,この条件戦はレベルが高いレースであったと考えてよさそうです。ただ、実際にはそこで負けていたわけですから,重賞を勝ったとはいえ,トップに君臨するためには,まだ成長が必要だといえるかと思います。父はジャングルポケット。母の父はアグネスデジタル。祖母に1990年のJRA賞最優秀2歳牝馬のノーザンドライバー。Domusはラテン語で故郷。
 騎乗した三浦皇成騎手と管理している高橋裕調教師は北海道2歳優駿初勝利。

 10月17日,金曜日。この日から伯母と母,妹の3人で旅行に出掛けました。2泊3日で北海道へ。ツアーを利用してのもの。出発が午前中に羽田を発つ飛行機でしたので,妹はこの日は作業所を欠勤することになりました。帰ったのが19日の日曜日。家に着いたのは午後6時頃。夕飯は弁当を買ってきました。これは僕の方から依頼しておいたもの。このようにすれば,僕は自分の夕食だけを作って待っていればよいからです。
 10月21日,火曜日。母の健康診断の結果が送付されてきました。異常があったのは3点。血圧が高かったこと,赤血球の数が少なめであったこと,そしてLDLコレステロールの値が上限をオーバーしていたことです。ただ,いずれの異常も若干であったので,再検査の必要はなく,経過を観察するという措置がとられています。ただ,前にもいったかと思いますが,経過観察というのは具体的な指導があるわけではないので,実際には何もしないというのと同じです。
 10月23日,木曜日。伯母がロスアンゼルスに帰国しました。
 10月24日,金曜日。今年も施設のバザーが11月22日に実施されることになり,そのための準備がスタートしていました。母は今年もボランティアとして参加することになり,この日は妹を作業所へ送った後で施設へ。祝日でない限り,これ以降の火曜日と金曜日は,ボランティアとして作業に参加しています。僕はこの日は横浜で,帰ったのは午後4時45分頃。具体的な時刻は分かりませんが,実際に母が作業をするのは午前中だけのようです。
 10月26日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。杉田でのボーリングでした。
 10月27日,月曜日。ショートステイ。南区内の施設の利用でしたが,また1泊しかすることができませんでした。
 そしてこの日は僕の通院の日でした。この日も午前中に長者町に行ったのですが,いつもよりも時間を要することになってしまったため,戻って家を出るのが正午過ぎになってしまいました。診察にはまったく影響がありませんが,採血と採尿の検査の時間が遅くなってしまうのは,あまり好ましくありません。
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神奈川新聞社賞ローレル賞&運動フェスティバル

2014-11-08 20:40:53 | 地方競馬
 北海道から3頭が遠征してきた5日の12レースの第14回ローレル賞。ミレイフレイバーが右前脚の球節炎で競走除外となり,13頭。
                         
 逃げたのはネガティヴ。ミラクルフラワーが追い掛けて北海道の2頭が前に。3番手のインがゼッタイリョウイキ。さらに北海道のティーズアライズも続きました。スイートライヤ,セイエイシャルムの外枠2頭。中団からリボンスティックとララベル。前半の800mが50秒8で,レース前から予想されていたようにハイペース。
 ネガティヴは先頭のまま直線に。内からゼッタイリョウイキ,外からミラクルフラワーとなり,その後ろに中団からララベルとリボンスティックが迫ってきました。一旦は突き放したかに思えたネガティヴですが,ゴールまでもたずに一杯に。最内からゼッタイリョウイキ,ネガティヴの外からララベル,その外からリボンスティックがネガティヴを交わして優勝争い。ゴール直前で真中のララベルが少しだけ出て優勝。クビ差の2着にララベル。リボンスティックは最後は1馬身の遅れをとって3着。
 優勝したララベルは7月に新馬を勝ち,休養を入れて先月の条件戦を2着。勝ち馬は力がありそうな馬で,ここもチャンスはあるとみていました。距離が伸びたのもプラスと出たように思いますし,勝負根性には非凡なものがあると感じました。ただレースの相対的なレベルが高かったようには思えないので,たとえば来年のクラシックを見据えたときに,どの程度までやれるのかは不確定と考えておいた方がよいのではないでしょうか。父はゴールドアリュール。牝系はディープディーンと同じ一族です。おそらく魔法少女ララベルからの命名と思います。
 騎乗した大井の真島大輔騎手は9月の東京記念以来の南関東重賞制覇。第12回以来2年ぶりのローレル賞2勝目。管理している大井の荒山勝徳調教師は第10回以来4年ぶりのローレル賞2勝目。

 10月11日,土曜日。妹の土曜出勤。10月のことですから,運動フェスティバルというのが開催されました。これは例年のことですが,本牧にある中学校の体育館を借りてのもの。母も帯同しています。妹によれば,以前のような運動会ではなく運動フェスティバルになったのは,勝敗を競うような競技性が排除されることになったからだそうです。ふたりが帰宅したのは午後3時頃でした。
 10月12日,日曜日。母と妹が美容院へ。翌13日が体育の日の祝日で,妹はそちらに予約を入れてありました。しかし事前に先方から電話があり,前日に変更したもの。これは先方の都合による変更ではありませんでした。事前の天気予報では,13日には台風の接近が予測されていたので,前日に変更した方がよいのではないかという配慮があったもの。この日も予定はありませんでしたので,その配慮に甘えた格好です。予約は午後1時。帰宅したのは午後4時過ぎでした。
 10月13日,月曜日。ピアノのレッスン。美容院の予定が変更となりましたので,レッスンも午後1時からと,事前の予定よりも早くなりました。
 10月15日,水曜日。母が健康診断を受けに磯子中央病院へ。午前10時半からでした。血圧のほか,採血と採尿だけだったとのこと。結果は後日に送付してもらう手筈になってありました。僕はこの日は川崎で,午後5時頃の帰宅でしたので,母が戻ったのが何時頃であったかは把握していません。
 10月16日,木曜日。伯母と一緒に来日していた友人が帰国する日。この友人は母と妹は渡米するときには会っているので顔馴染み。しかし今回の来日では顔を合わせる機会がありませんでしたので,帰国前に母が見送りも兼ね,昼食を共にしました。伯母ももうホテルに宿泊する理由はありませんから,僕の家に。これまでの来日ではアパートで日常生活を送るのが常でしたが,今回は基本的に家の方に滞在しました。これは具体的な意味としては,夜は僕の家で寝たというほどのことです。ただし,伯母は日本の友人たちと旅行に行くというようなことも多く,実際に僕の家では3泊しただけではなかったかと思います。
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デイリー盃ロジータ記念&伯母の息子

2014-11-07 19:28:03 | 地方競馬
 兵庫から1頭,高知から1頭が遠征してきた5日の11レースの第25回ロジータ記念
                         
 逃げたいといっていたトキノセレブがまずはハナへ。1周目の向正面では2番手のスーパースターとの差が一時的にかなり広がりました。しかしそこからトキノセレブがペースを落とすと,最初は5番手に控えていたノットオーソリティが外から上昇。1周目の正面でトキノセレブを交わし,ここからはこの馬の逃げに。控えたトキノセレブが2番手。インにトーコーニーケで外にスーパースター,好発だったクロスオーバーがその後ろ。そしてモフモフが続き,さらにクライリングとヴァイスヴァーサという隊列に。かなり変則的な流れですが,全体としてはハイペース。
 残り800mの地点から急激にペースが上がり,ここからは消耗戦。直線ではモフモフが2番手まで上がってきてノットオーソリティを捕まえにいきましたが,そこからまたノットオーソリティが二枚腰を発揮。余力が残っていたようで,3馬身差の快勝に。モフモフが2着。4分の3馬身差の3着争いは差してきた3頭の激戦でしたが,大外のクライリングに軍配が上がりました。
 優勝したノットオーソリティは2月のユングフラウ賞以来の勝利で南関東重賞2勝目。ものすごく力はあるのですが,自身の内面に課題があり,安定した成績を残せずにいました。前走は舌を巻き込んだとのことで,これは舌を縛ることで対処。今後もいつも同じように力を発揮できるかはまだ疑問。能力全開なら牝馬重賞で通用しておかしくない馬だと思いますが,この勝ちタイムは遅いようにも感じます。叔父に2006年のジャパンダートダービーを勝ったフレンドシップ。Not Authorityは直訳したら権威ではない。
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は先月の埼玉新聞栄冠賞以来の南関東重賞制覇。第21回以来4年ぶりのロジータ記念2勝目。このレースを三連覇していた川島正行調教師の逝去により,代わって管理することになった船橋の川島正一調教師はロジータ記念初勝利。

 10月6日,月曜日。妹が作業所を欠勤しました。月曜は迎えの支援がありますが,この日は台風のために来られないという連絡があったためです。自動車で迎えに来られないという状況ですから,バスで送っていくことなどはとても無理。止むを得ない欠勤でした。僕はこの日は長者町で,帰ったのは午後4時頃。横浜は午後には台風は過ぎ去り,青空が広がっていました。
 10月8日,水曜日。ロスアンゼルスの伯母が来日。このときは同じようにロスアンゼルスに住む友人を伴ってのもの。先にその友人が帰国するという段取りになっていて,それまでは基本的にその友人と行動することになっていました。ですからこの日は来日しただけで,その友人とホテル泊となったので,顔を合わせたわけではありません。なお,この友人というのは,僕は会ったことがありません。ただ,日本人の名前ですので,勝手にそのようなイメージを抱いていました。しかし写真を見せてもらったところ,外見は明らかに西洋人で,とても驚いてしまいました。
 小学生の頃,これとはちょうど逆のようなエピソードがあります。その頃は伯母は,来日する際には息子を伴ってくることがよくありました。僕の従兄で,年齢も僕と同じですから,一緒に遊ぶようなこともあったのです。伯母の夫というのはアメリカ人ですが,日系です。ですからこの従兄は,外見は完全に日本人なのです。しかしアメリカ産まれでアメリカ育ちのアメリカ人ですから,日本語はほとんど話すことができません。ですから僕と遊んでいるときも喋るのは英語。傍から見れば日本人の男の子がふたりで遊んでいるように思われた筈で,彼が流暢に英語を話すので,目を丸くされたというような経験が何度もありました。
 10月9日,木曜日。その伯母の友人がひとりで出掛けたとのことで,午前中に伯母が家に顔を出しました。僕はこの日は午後から本牧ということになっていましたので,その時間は家にいて,会うことができました。母と一緒に上大岡に出掛け,昼食を摂りました。伯母はそのまま宿泊しているホテルに帰りましたので,すでに作業所に出ていた妹だけは会うことができませんでした。
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メルボルンカップ&給料

2014-11-06 19:14:42 | 海外競馬
 4日にオーストラリアのフレミントン競馬場で行われたメルボルンカップGⅠ芝3200m。
 アドマイヤラクティは発馬は悪かったのですが,ジョッキーが押していき,一旦は外から先頭に立ちましたが,内で並走していた馬を前に行かせ,2番手。前との差は開いたり縮まったりしましたが,ずっとこの位置でレースを続けました。しかし直線に入る手前で早くも騎手の手が動き,鞭も入れられましたが反応せず。直線は追われることなく,勝ち馬から7秒以上遅れをとって,出走22頭中の最下位入線でした。
 伝えられているように,この後,馬房まで戻ったところで力尽き,急死してしまいました。オーストラリアは出走に関する獣医の許可が日本よりも厳しいようですから,急性の心不全であったとみるのが妥当でしょうし,検死の結果もそうなっています。異変がレース中に発生していたことは疑い得ませんので,レース自体の論評は不要と思います。
 頑張って馬房まで戻ったのは,ずっと世話をしてくれた関係者に助けを求めようとしたのかもしれませんし,最後に一目だけでも会おうという強い意志の表出であったのかもしれません。先月は簡単には手に入れることができないような夢を実現し,その直後に今度は最も厳しいと思えるような現実に遭遇してしまう。アドマイヤラクティ自身もそうですし,いつも近くにいた関係者の心中を察すれば,まったくことばにもならないような残念な出来事でした。

 9月26日,金曜日。午前中に母と日野公園墓地へ彼岸の墓参りへ。この日も墓参の後,昼食を済ませて帰宅しました。墓地ですから,周辺にも数多くの墓があります。僕の家の墓のすぐ左の家の墓石が,右側,つまり僕の家の墓の方へと明らかに傾いていて,ちょっと気になりました。
 元々の予定として,僕はこの日は午後から長者町ということになっていました。本音をいえば,この予定を変更し,仕事を午前中に終らせていまい,午後からは船橋競馬場に行きたいと思っていたのです。というのはこの日,川島正行調教師の追悼行事が行われることになっていたからです。ただ,墓参りに関して,僕と母で都合を合わせることができる日が,どうしてもこの日しかありませんでした。ということで,追悼行事への参加は断念するほかありませんでした。それ自体は残念ではありましたが,どちらを優先させるべきなのかという点については,迷いがあったわけではありません。
 9月27日,土曜日。この日はガイドヘルパーの利用日でした。杉田でボーリング。実はこの日は作業所の土曜出勤だったのですが,欠勤しました。土曜出勤の方が優先ですが,この月は先にガイドヘルパーの利用を決定していて,後でそれが土曜出勤と重なってしまったためです。ガイドヘルパーの方を利用したのは,妹の意向に沿った選択でした。
 9月30日,火曜日。妹が通っている施設は,前期と後期とに分かれていて,この日が前期の終了日に該当します。前期と後期の間に休みがあるわけではないので,それ自体は便宜的なもの。ただ,利用者にとってはこの終了日というのが特別な日になります。給料が支払われる日だからです。実際のところ,儲かるわけではありません。というか,日々の利用料と換算すれば,むしろ赤字です。ただ現金を受け取れるということが,利用者の励みになることは確かです。もちろん妹にとってもそうです。
 10月4日,土曜日。この日は妹のピアノのレッスンでした。事前の予定は午後5時半からでしたが,当日になり,午後5時からと変更になりました。遅くなるよりは早くなる変更の方が,こちらとしては歓迎です。
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農林水産大臣賞典JBCクラシック&上水管

2014-11-05 19:03:24 | 地方競馬
 一昨日の盛岡競馬場の10レースは第14回JBCクラシック
 ホッコータルマエが好発でしたが,外から上昇してきたコパノリッキーに譲り,コパノリッキーの逃げに。どうしても逃げたいという馬は不在でしたので,これはごく自然な展開であったと思います。ベストウォーリア,ホッコータルマエ,クリソライト,インに控えたワンダーアキュートと,ほぼ集団で追走。隊列は長くなったのですが,ミドルペースであり,実質的にレースに参加したといえるのはこの5頭だけだったかもしれません。
 直線の入口でベストウォーリアがコパノリッキーに並び掛けていき,その外にホッコータルマエ。ベストウォーリアは本質的に距離が長いのでしょう,直線では苦しくなりました。内目からワンダーアキュート,一旦は控えてホッコータルマエのさらに外からクリソライトと伸びてはきましたが,これらは2着争いまで。マイペースだったコパノリッキーが3馬身差で悠々と逃げ切り,レコードタイムで快勝。2着は大外のクリソライト。うまいレースをしたワンダーアキュートはじりじりとしか伸びず半馬身差の3着まで。
 優勝したコパノリッキーは5月のかしわ記念以来の大レース3勝目。帝王賞で負けたのはおそらくスムーズさを欠いたためで,すんなりならばこの距離でも大丈夫。先手を奪えるのがこの馬の強み。絡まれたりした場合は不安がありますが,マイペースの競馬ができればこの日のような強さを発揮できるということでしょう。現4歳世代は明らかに層が薄く,レベルが疑問視されますが,ここはワンツーで,ダートでは上位で戦えるとみてよさそうです。父はゴールドアリュール。祖母の従弟に2002年の大阪杯,2005年の大阪杯と毎日王冠を勝ったサンライズペガサス
 騎乗した田辺裕信騎手はかしわ記念以来の大レース制覇。いずれもこの馬で大レース3勝目。管理している村山明調教師もかしわ記念以来の大レース制覇でJBCは全体で初勝利。

 母たちの話し合いの内容を総合すれば,上水管から水漏れが発生していると結論するのが妥当であるように思えました。
 この近辺の上水管がどのように配置されているのか。また連結しているのか否か。そして連結しているとすれば,どの方向からどの方向へと水が送られているのか。こうしたことの一切は,僕も含め,だれにもよく分かっていませんでした。ただ,水漏れの可能性を指摘されていたのはKさんだけで,水道局からそのような報知は僕の家とSさんの家には届いていませんでした。したがって,漏れているのはKさんの家だけに送られている部分であったろうと推定されます。それでKさんが,この日のうちに横浜市の水道局に連絡し,調査の依頼と,もし本当に水漏れが発生していた場合の工事の依頼をしました。
 その水道管と僕の家の水道管が連結しているのかどうか,この時点では分かりませんでした。したがって,水道管の破損自体の影響というのは,僕の家には無関係であったかもしれません。ただ,そのまま放置しておいたなら,水溜り自体は大きくなっていったでしょうから,浸水などの影響が僕の家に及んでくる可能性はありました。たまたま網戸を落下させてしまったので気付くことができだわけで,この点では幸運であったというべきなのかもしれません。
 9月22日,月曜日。妹の遺伝科への通院。午後1時の予約で,午後3時半前には帰宅できたようです。僕はこの日は長者町で,帰ったのは午後5時前でした。妹の貧血はかなり改善されているとのことで,半減されていた鉄剤の処方は,この日で打ち切られました。ただ,以前に処方されていたものの残量がありましたので,実際に妹の服用が停止されたのはもう少し後のことです。
 9月24日,水曜日。この日に水道局の関係者がやって来て,調査。破損して水漏れしていることも確認されたので,工事も施工されました。一般的に上水の工事は,水が濁る可能性があるので,影響が出ると考えられる家庭には事前に周知されます。ただ僕の家には何の周知もなく工事が行われました。つまり僕の家の上水管とは無関係な部分であったということなのでしょう。
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農林水産大臣賞典JBCスプリント&話し合い

2014-11-04 19:04:49 | 地方競馬
 昨日の盛岡競馬場の9レースは第14回JBCスプリント
 先行争いが激化しましたが,ハナを奪ったのはタイセイレジェンド。以下,コパノリチャード,エスワンプリンス,サトノタイガー,ノーザンリバーとあまり差がなく続き,その後ろからドリームバレンチノとティアップワイルド。前半の600mは33秒5でハイペース。
 前に位置した馬のうち,コパノリチャードとエスワンプリンスは脱落。インを進んでいたノーザンリバーも騎手が激しく手を動かして何とかついていかれる程度で,圏外。逃げたタイセイレジェンドと外から並び掛けたサトノタイガー,さらに先行勢の後ろから脚を伸ばしてきたドリームバレンチノの3頭が激しい追い比べ。タイセイレジェンドがゴール前で力尽き残るは2頭。ゴール直前で前に出たドリームバレンチノの優勝で,クビ差の2着にサトノタイガー。勝ち馬より後ろから,後を追うように伸びてきたセイクリムズンにも追い上げられましたが,クビ差だけ凌いだタイセイレジェンドが半馬身差で3着。
 優勝したドリームバレンチノは昨年の兵庫ゴールドトロフィー以来の勝利で大レース初制覇。ここはノーザンリバーが中心。何らかの理由によって能力を十全に発揮できなかったため,差のない競馬をしていたこの馬にチャンスが回ってきた形。昨年のJBCからダート路線に回ってきた形ですが,芝では大レース制覇は難しかったと思え,陣営が素晴らしい判断をしたといえるのではないでしょうか。年齢的にもこれが最後のチャンスだったのではないかと思います。母は2004年の小倉2歳ステークスを勝ったコスモヴァレンチでその父はマイネルラヴ。Valentinoはイタリア語のバレンタイン。
 騎乗した岩田康誠騎手は直前のJBCレディスクラシックに続いて大レース連勝。JBCスプリントは初勝利で全体では5勝目。管理している加用正調教師は開業20年半強で大レース初勝利。

 今年は例年に比べると雨が多い夏でした。ほとんど通ることがない場所ですから,その名残の水溜りであると考えられないことはありません。ただ,この数日は降雨がありませんでした。何より,水道管の交換をしたときに,問題が完全に解決したとはいいきれないと業者から告げられています。つまりそのときに交換した水道管の先から水が漏れているという可能性が否定できません。そしてそうなると,いずれは僕の家にも何らかの影響が及んでくる可能性がありました。ただ,説明したように,水溜りがあった場所というのは,敷地でいえば明らかに僕の家に属する場所ではなく,隣家か,そうでなければ北西の斜向かいの家に該当します。見付けたのが朝でしたし,そうした場所の関係もあり,そのときは僕は何の手出しをすることもできませんでした。ただ,そういう水溜りがあったということを,母にだけは伝えておきました。
 9月21日,日曜日。この日も母はお寺に。これは彼岸の塔婆を受け取るためです。
 そしてこの日,その水溜りに関して,母と隣家,そして斜向かいの住人との間で,話し合いがもたれたようです。僕はそれに参加したわけではないので,以下はこの後で母から聞いた話です。
 水溜りの存在に関しては,隣家の住人,ここからはSさんとしますが,Sさんは以前から知っていたそうです。つまりこれは前々から存在したものだったことになります。Sさんは業者に依頼して調べてもらったとのこと。しかし業者がいうには,この水道管は勝手に交換することができないものなのだそうです。それでSさんはそれをそのまま放置しておいたそうです。
 どうしてそういう対応を取ったのかは疑問が残りますが,おそらくどのように対処すればよいのかが分からなかったのでしょう。業者が勝手に交換することができない水道管というのは,たぶん下水管ではなく上水管であったからだろうと思われます。上水は水道局の管轄で,水道局に依頼しなければならないからです。一方,斜向かいの住人,Kさんは,以前から水漏れの疑いを指摘されていたとのこと。これはおそらく水の使用量からの指摘であったものと思われます。
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農林水産大臣賞典JBCレディスクラシック&水溜り

2014-11-03 19:26:31 | 地方競馬
 12年ぶりに盛岡競馬場で開催されたJBC競走。幕開けは8レースの第4回JBCレディスクラシック
 少し押してコーリンベリーがハナへ。楽に2番手につけたのがブルーチッパー。コウギョウデジタル,サンビスタ,マイネエレーナ,アクティビューティはほぼ一団。ワイルドフラッパーはこれらの後ろ。少し離れてピッチシフター,トロワボヌール,カミノマーチの3頭という隊列。ミドルペースであったものと思います。
 ワイルドフラッパーが向正面で動き,3コーナーでは3番手。コーリンベリー,ブルーチッパーと雁行で直線に。内の2頭を競り落としてワイルドフラッパーが先頭に立ちましたが,さすがに早く動きすぎたようで一杯。一旦は控えたサンビスタが馬場の中央から差し切って,レコードタイムで優勝。中団から大外を伸びたトロワボヌールもワイルドフラッパーを捕え,1馬身4分の1差で2着。ワイルドフラッパーは半馬身差の3着。
 優勝したサンビスタは前々走のブリーダーズゴールドカップ以来の勝利で大レース初制覇。ここは3着馬が中心で,それを負かしたことがある馬ですから,チャンスはあるとみていました。相手が脚の使い処を間違えたという印象はありますが,堂々の勝利とみていいのではないでしょうか。一緒には動いていかなかった鞍上の好判断も光っていたと思います。父はスズカマンボ。母は2002年のフェアリーステークスを勝ったホワイトカーニバル。Sambistaはポルトガル語でサンバダンサー。父がマンボで母がカーニバルですかららしい名前といえそうです。
                         
 騎乗した岩田康誠騎手は5月のオークス以来の大レース制覇。第1回,2回を連覇していて,2年ぶりのJBCレディスクラシック3勝目。第6回のクラシックを勝っているのでJBC全体では4勝目。管理している角居勝彦調教師は昨年の菊花賞以来の大レース制覇。JBCは全カテゴリーを通じて初勝利。

 僕が精神的変調からの回復を目指して最初に行動を起こしたのが9月15日の月曜日。祝日だったこともあり,母と妹は昼に外出。昼食を摂り,ケーキを買って帰りました。前日が妹の誕生日でしたが,妹にとってハードな一日でしたから,翌日にゆったりとお祝いしたものです。いうまでもないことですが,ケーキのような嗜好品を僕が口にするということはありません。
 9月18日,木曜日。この日から妹が1泊の施設の旅行に出掛けました。社員旅行のようなものです。今年の行き先は大阪。新幹線で現地に向い,初日はUSJへ。宿泊もUSJ内のホテルを利用しました。翌日は大阪市内の観光。飛行機で戻りました。
 9月19日,金曜日。お寺でお講というのがありました。これは檀家が寺に依頼して読経してもらうというもの。自宅で行うこともできますし,お寺でもやってくれます。K伯母が死ぬ前は家でやっていましたが,死んでからはお寺で済ませています。住職に家に来てもらうには事前に準備が必要となり,これが意外と手間が掛かるからです。これが午前中。妹が帰る日で,迎えも必要。ただ午後5時に施設に行けばよいことになっていましたから,重なることはありません。両方とも実際にことにあたったのは母です。僕はこの日は本牧で,午後4時15分くらいには帰宅。母は妹の迎えのためにすでに不在でした。ふたりが帰宅したのは午後5時45分くらいのことでした。
 18日の夜,僕は部屋の雨戸を閉める際に,網戸を落下させてしまいました。僕の部屋の窓は東側と北側にあり,落としたのは北側の方です。この北側というのは隣家と接していて,人ひとりが通れる程度の非常に狭い通路になっています。落としたのが夜だったため,取りにいくことができませんでした。それで翌日,19日の朝に,改めて取りにいったのです。
 この狭い通路に入るには,一旦は南側から西側に回り,さらに北に入っていかなければなりません。このとき,西側から北側へ入る少し先に,わりと大きな水溜りができていることに気付きました。よほどのことがない限り通ることがない場所ですから,僕はこれは初めて目にしたものでした。
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JRA60周年記念天皇賞(秋)&副産物

2014-11-02 19:03:06 | 中央競馬
 記念すべき第150回天皇賞(秋)。 
 例によってペルーサはダッシュがつかず置かれました。好発はジェンティルドンナでしたが,カレンブラックヒルが主張してハナへ。マイネルラクリマが追って,最初はこの2頭が引き離す形。3番手に控えたのがジェンティルドンナで,イスラボニータがその外で併走に。サトノノブレス,ダークシャドウ,ラブイズブーシェ,マーティンボロはほとんど一団。エピファネイアは騎手が懸命に抑えながらの追走で,デニムアンドルビー,ディサイファ,トーセンジョーダン。後方にフェノーメノ,スピルバーグ,ヒットザターゲットといったあたり。前半の1000mが60秒7というスローペースでしたので,3番手以降も徐々に前に追いついていき,先頭から最後尾まで,さほど差がないレースになりました。
 直線を迎えると前を行く2頭の外からイスラボニータが先頭に。おそらくサトノノブレスが通ろうとしていた最内の進路にジェンティルドンナが先に入り,この2頭の叩き合い。しかし大外からスピルバーグが一気に追い込み,最後は捕えて優勝。4分の3馬身差の2着にジェンティルドンナ。アタマ差の3着がイスラボニータ。
 優勝したスピルバーグは重賞初勝利を大レース制覇で達成。3歳の頃,トップにはいけませんでしたがそれに近い力は示していました。ダービー出走後の休養が長く,昨年の10月から今年の5月にかけて3連勝。秋初戦の毎日王冠は直線で行き場がなく,勝ち馬の後を追うように走って差のない3着。結果からいえばまともなら突き抜けていたのでしょう。あれは予告編で,大外を回った今日は本編であったといったところ。2着争いをした2頭はここでは実力上位なので,トップの一群に入ったとみてよいと思います。僕が見る限り,まだ身のこなしに硬いところがあり,完成途上。5歳とはいえキャリアは浅いので,解消してくれば折合いには不安がなく,距離が伸びても戦えるのではないかと思います。父はディープインパクト。全兄に昨年のマイルチャンピオンシップを勝っている現役のトーセンラー
                         
 騎乗した北村宏司騎手は2006年のヴィクトリアマイル以来の大レース2勝目。管理している藤沢和雄調教師は同じヴィクトリアマイル以来の大レース制覇。第114回をバブルガムフェロー,126回と128回をシンボリクリスエス,130回をゼンノロブロイで制していて,天皇賞は10年ぶり,いずれも秋で5勝目。
 偶然にも先日来のサトノギャラントと同厩舎で同騎手。競馬あるあるみたいなことをやってしまいました。

 精神を回復させていく過程では,思わぬ副産物がありました。則天去私という心境ないしは状況というのを,身をもって理解することができたということです。
 則天去私は読んで字の如く,天に則り私を去るということです。ですからそれがどういうことであるのかということは,論理的には理解できていました。身をもって理解したというのは,今まさに自分が則天去私という状態にあるということを悟ったという意味です。スピノザ流にいうなら,それまで第二種の認識cognitio secundi generisとして十全に理解していたことを,第三種の認識cognitio tertii generisとしても十全に理解したということになります。いい換えれば,一般的あるいは普遍的な意味において理解していた事柄を,個別的あるいは具体的な事態として理解することができたという意味です。
 ただし,スピノザ主義的に理解するという場合には,次の点には注意を払っておいてください。僕がいっているのは,則天去私ということばの意味を経験的に理解したということではありません。ことばと観念とは異なるものだからです。第二種の認識として僕の精神のうちにあった事柄が,第三種の認識としても存在するようになったというのは,観念対象ideatumに関係する事象なのであって,そのideatumがどのような記号によって表現されるのかということとはいっかな関係がありません。唯名論的にいうなら便宜的にそれを則天去私というのであって,別にほかのことばで表現されたとしても一向に構わないのです。ただ,則天去私という心境あるいは状況を,第三種の認識によって把握するということがあるのだとしたら,そのときの僕の精神状態がそれに該当すると僕は考えているというほどのことです。
 もっとも,これはそれを第三種の認識として理解することができたというだけの話です。そう理解できたのは現に僕にそういう状態が訪れたからではあります。しかしそれは,それによってそれからは則天去私という状態で生きていくようになったという意味ではありません。それは僕にはできません。無理です。一時的にそうなることはあったとしても,常にそうあり続けるということは無理なのです。
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竜王戦&回復

2014-11-01 19:34:19 | 将棋
 一昨日,昨日と,大阪で対局があった第27期竜王戦七番勝負第二局。
 森内俊之竜王の先手で糸谷哲郎七段の一手損角換り4。先手は棒銀。後手は長らく態度を保留しましたが,四間飛車に。
                         
 ▲2三歩と打ち,△3一銀と引かせて▲6六角と打ったところ。ここから後手は△4六角成▲同金△同飛といきました。必ず突入できるわけでなく駒損をするので,思いきった指し方だと感じました。
 △4六角成のときに歩が2枚あれば▲4三歩から連打して簡単ですがあいにく1枚。そこで▲5八角と打って成り込みを阻止すると後手は△2八金。
 この手は部分的に無筋といえると思います。ただ,普通は1九にいる先手の香車が1六にいるので,先手は飛車を逃げるほかなく,▲1七飛。△4八飛成と龍を作り,▲2五角と逃げたところで△4四歩と角筋を遮断しました。
                         
 6六の角,1七の飛車と,先手は2枚の大駒の働きが鈍る形に。後手の2八の金も遊び駒ですが,さすがに大駒が2枚も遊ぶ方がひどく,ここで後手がリードを奪っているようです。先手は何とか大駒を働かせましたが,そのために手数を要し,意外なほどの大差で後手の勝ちになりました。
 あり得る手はすべて深く読むのがベストですが,△2八金のような手を軽視するのは仕方がないと僕は思います。それで悪くなるのなら,それ以前の将棋の作りにすでに問題があったと考えるべきでないでしょうか。
 糸谷七段が連勝。第三局は来週の木曜と金曜です。

 僕はスピノザ主義者であると断言するのはおこがましいかもしれません。ただそれを目指しているのは事実です。僕の進路はそれしかありません。それが僕のコース選択になります。だからスピノザ主義の教えに合致すると判断した事柄に関しては,それをなすべきであるということを,僕はサトノギャラントと北村宏司騎手から,改めて教えられた気分でした。その結果として悲しみに襲われたとしても致し方ありません。しかしその教えに反するような形で悲しみに襲われることは避けるべきだし,現にそういう悲しみがある以上,除去することに全力を傾けなければならないと思ったのです。
 レースの翌日,9月15日の月曜日は,大井競馬場で相馬野馬追いの実演があるので,出掛けようかと考えていました。しかし予定を変更して,新川崎に出向きました。やると決めたことへの着手の第一弾でした。これを皮切りに,僕はできると思えた事柄を,次つぎとこなしていくことになりました。
 ある程度以上は長く続いた安定的な関係に変化が生じ,そのまま一ヶ月も放置しておいたなら,元の関係に修復するということは不可能です。そこまでうまくいったわけではありません。ただ,僕にとって大きかったのは,恥辱という感情からは完全に逃れられるようになったこと,いい換えれば,愛する人との関係については,以前と同じ状態を取り戻せたことでした。このために僕は,飛び火したと今でも認識している悪評に関しては,それをいくら耳にする機会があったとしても,ほとんど気にならなくなったのです。そしてたぶん,僕の汚名というのは今でも存在すると思っているのですが,それで強い不名誉を感じる必要はないのだと思えるようにもなりました。すべての人間と真理を分かち合うことができるのであれば最高です。しかしそううまくはいきません。分かち合うべき人と分かち合えれば,満足するに十分なのでしょう。
 思えばこの時期は,実生活でもウェブ上でも,いいたいことだけいい,やりたいことだけやり,そのまま放置していたように思います。今さらいっても詮なきことですが,迷惑を掛けた方も多かった筈で,申し訳なく思います。
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