スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ハイセイコー記念&見舞い

2010-11-10 20:40:49 | 地方競馬
 日程のいたずらで2週続けて2歳馬による南関東重賞が施行。今晩は第43回ハイセイコー記念
 逃げたのはリアンローズ。同枠のゴーディーが2番手で,その外を抑えきれないほどの手応えでセルサス。前半の800mは50秒0でミドルペース。
 2番手のゴーディーは3コーナーを回ると一杯になり後退。自然とセルサスが2番手となり,直線入口では逃げたリアンローズに並び掛けました。直線に入ると騎手が後方を確認してから追い出し,付け入るすきを与えずに5馬身の差をつける楽勝。4番手の内から,追ってくるという感じでもありませんでしたがそれなりの伸びをみせたリョウウンが2着。中団から外を伸びたエースキッドがさらに4馬身差で3着。
 優勝したセルサスは新馬を2着に負けた後,5馬身差をつけての連勝でここが4戦目。おそらく初戦を負けたのは距離不足のためでしょう。ここもまた同じだけの差をつけての圧勝ですから,現時点での力は他を圧倒している感があり,これは来年に向けてかなり楽しみな逸材だと思います。父は大レース5勝のタイムパラドックス,伯父に1990年の目黒記念を勝ったマルタカタイソン。馬名はたぶん古代ローマの学者の名前だと思います。
 騎乗した石崎駿騎手平和賞に続いて2週連続の南関東重賞制覇。管理している船橋の佐藤賢二調教師とともにハイセイコー記念初勝利となりました。

 僕の生活が一変したのは,もちろん妹の介助をほぼひとりで行わなければならなくなったというのが最大の要因ですが,もうひとつ,僕自身の希望として,毎日の見舞いを欠かしたくないという思いがあったからでもありました。
 は結果として3度入院することになったわけですが,僕は父の見舞いに関しては行かなかった日の方がずっと多かったわけです。それなのに母の見舞いは毎日するというのでは不公平に思われるかもしれませんが,やはり事情が違います。そもそも父の見舞いには母自身が毎日,厳密にいえば1日だけ除いて毎日行っていたわけです。したがって,必要性という観点からいっても,僕は行かなくても困るということはありませんでした。
 一方,僕は昨年の元旦から20日の退院までみなと赤十字病院に入院していたわけですが,その間は母は毎日来てくれていました。実際のところ,そう毎日毎日来られたところで,何がどうというわけではないのです。それは入院した僕自身がよく分かっていたことです。ただ,今回の場合は,もしも毎日見舞いに行くことができる人間がいるとすれば,それは僕以外にはいませんでした。僕が見舞いに来られてそう思っていたことの逆で,実際には毎日行ったところでどうということはないのですが,こうしたような事情がありましたから,今回は僕が行こうと思ったわけで,また僕がそのように望んだということは,ごく自然なことだったのではないかと思います。
 前述したようにHCUの面会時間で僕が行くことが可能だったのは正午から午後1時の間でしたので,13日は妹を送って帰った後,早めに昼食を摂って磯子中央病院に向いました。HCUの病室の構造は,みなと赤十字病院と磯子中央病院では当然ながら違っていて,磯子中央病院では一部屋に横並びに4床のベッドがあったのですが,この日,母の右側にいた患者が亡くなったそうです。前述したように僕は母がICUではなくHCUに入院したということで少し安心していたのですが,HCUでも死亡するというケースがあるということでこれはちょっとした驚きでした。
コメント
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