スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

寛仁親王牌・世界選手権記念&解する

2014-07-23 19:11:21 | 競輪
 21日に弥彦競輪場で行われた第23回寛仁親王牌の決勝。並びは深谷-浅井の中部と中川-井上-大塚の九州で,菊地,池田,稲川,野田の4人が単騎。
 牽制になりましたが深谷がスタートを取って前受け。3番手に中川で6番手以降は菊地,稲川,池田,野田での周回に。残り3周のバックの入口付近から最後尾の野田が上昇開始。これに続いたのは稲川。ゆっくり上昇していき残り2周のホームに入ってから深谷に並び掛けると,深谷は一旦は誘導を斬ってから下げました。再びバックに入ると今度は稲川が野田を叩いて前に。そのまま打鐘。ここから中川が発進。かまして出ると稲川は九州分断の狙い。このために開いた内を深谷が上昇。うまく中川の後ろにはまり,浅井も続いてその後ろが井上に。深谷がバックから番手発進。浅井,井上の3人が抜け出して直線。態勢はそのままゴールまでほとんど変わらず,深谷の優勝。4分の3車身差で浅井が2着に続いて中部のワンツー。4分の3車身差の3着に流れ込んだ井上。
                         
 優勝した愛知の深谷知広選手は5月の平塚記念以来の優勝。ビッグは一昨年の西王座戦以来で4勝目。GⅠは2011年の高松宮記念杯以来で2勝目。持っている力をレースで十分に発揮できないケースもあるのですが,ここはよほど単騎の選手に攪乱されない限り,深谷が粘るか浅井が差すかのレースになるだろうと思っていました。打鐘で包まれたところは危なかったのですが,内が開いたとみるやすかさずそこを突いた積極性がもたらした優勝でしょう。番手に嵌っての捲りですから,差される心配もなかったものと思います。まだ2勝目ですが,グランドスラムを狙える選手でしょう。

 一般的にいえば,事物の定義命題は,AはBであるという形式を採用するのが最善だといえると思います。ただし僕自身は,Aの定義命題が,絶対にAはBであるというタイプの言明でなければならないとは考えません。そして『エチカ』にはこれとは異なった形式の命題がいくつもあります。第二部定義七の謎と関連すると思われる,別の形式の命題について,ふたつほど先に検討します。
 『エチカ』には,AをBと解するという形式でAを定義する命題があります。第二部定義七の冒頭はこれに該当します。『エチカ』冒頭の第一部定義一がこのタイプで,第一部の8の定義のうち,実に6までがこのタイプです。
 僕はこの形式がAの定義として十分に成立すると考えます。なぜなら,AをBと解するというのは,精神の知性作用についての言及であるからです。形相的と客観的を分けたとき,AはBであるというのが,Aに関する形相的な定義であるとするなら,AをBと解するというのは,それを客観的にいい直した定義だと僕は理解します。いい換えれば,AをBと解するというのは,Aが観念対象ideatumであるなら,その観念のうちにBが含まれるという意味です。他面からいえば,Aを観念対象ideatumとする観念は,AがBであることを肯定する意志作用volitioであるという意味です。ですからこのようなタイプの定義は,個別の定義の要件といったものを排除する限り,一般的に定義として成立します。要するに『エチカ』でだけ成立するのではなく,あらゆる公理系の定義として成立すると僕は考えます。
 ただしここにはひとつだけ条件が必要とされます。このタイプの定義は,一般的に精神がAをBと解するとかみなすというように理解されるから成立するのです。いい換えればどんな精神であってもAをBと解するがゆえに定義として成立するのだと僕は考えます。これが第二部定義七の後半部分,私はみなすと記述される場合との大きな相違です。
 第四部定理三五は,理性的認識の一致を示します。だからだれがみなしたり解したりするかは,『エチカ』では問題にはなりません。しかし一般的な定義命題には,これは前提できないと思うのです。
コメント
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