スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

メルボルンカップ&給料

2014-11-06 19:14:42 | 海外競馬
 4日にオーストラリアのフレミントン競馬場で行われたメルボルンカップGⅠ芝3200m。
 アドマイヤラクティは発馬は悪かったのですが,ジョッキーが押していき,一旦は外から先頭に立ちましたが,内で並走していた馬を前に行かせ,2番手。前との差は開いたり縮まったりしましたが,ずっとこの位置でレースを続けました。しかし直線に入る手前で早くも騎手の手が動き,鞭も入れられましたが反応せず。直線は追われることなく,勝ち馬から7秒以上遅れをとって,出走22頭中の最下位入線でした。
 伝えられているように,この後,馬房まで戻ったところで力尽き,急死してしまいました。オーストラリアは出走に関する獣医の許可が日本よりも厳しいようですから,急性の心不全であったとみるのが妥当でしょうし,検死の結果もそうなっています。異変がレース中に発生していたことは疑い得ませんので,レース自体の論評は不要と思います。
 頑張って馬房まで戻ったのは,ずっと世話をしてくれた関係者に助けを求めようとしたのかもしれませんし,最後に一目だけでも会おうという強い意志の表出であったのかもしれません。先月は簡単には手に入れることができないような夢を実現し,その直後に今度は最も厳しいと思えるような現実に遭遇してしまう。アドマイヤラクティ自身もそうですし,いつも近くにいた関係者の心中を察すれば,まったくことばにもならないような残念な出来事でした。

 9月26日,金曜日。午前中に母と日野公園墓地へ彼岸の墓参りへ。この日も墓参の後,昼食を済ませて帰宅しました。墓地ですから,周辺にも数多くの墓があります。僕の家の墓のすぐ左の家の墓石が,右側,つまり僕の家の墓の方へと明らかに傾いていて,ちょっと気になりました。
 元々の予定として,僕はこの日は午後から長者町ということになっていました。本音をいえば,この予定を変更し,仕事を午前中に終らせていまい,午後からは船橋競馬場に行きたいと思っていたのです。というのはこの日,川島正行調教師の追悼行事が行われることになっていたからです。ただ,墓参りに関して,僕と母で都合を合わせることができる日が,どうしてもこの日しかありませんでした。ということで,追悼行事への参加は断念するほかありませんでした。それ自体は残念ではありましたが,どちらを優先させるべきなのかという点については,迷いがあったわけではありません。
 9月27日,土曜日。この日はガイドヘルパーの利用日でした。杉田でボーリング。実はこの日は作業所の土曜出勤だったのですが,欠勤しました。土曜出勤の方が優先ですが,この月は先にガイドヘルパーの利用を決定していて,後でそれが土曜出勤と重なってしまったためです。ガイドヘルパーの方を利用したのは,妹の意向に沿った選択でした。
 9月30日,火曜日。妹が通っている施設は,前期と後期とに分かれていて,この日が前期の終了日に該当します。前期と後期の間に休みがあるわけではないので,それ自体は便宜的なもの。ただ,利用者にとってはこの終了日というのが特別な日になります。給料が支払われる日だからです。実際のところ,儲かるわけではありません。というか,日々の利用料と換算すれば,むしろ赤字です。ただ現金を受け取れるということが,利用者の励みになることは確かです。もちろん妹にとってもそうです。
 10月4日,土曜日。この日は妹のピアノのレッスンでした。事前の予定は午後5時半からでしたが,当日になり,午後5時からと変更になりました。遅くなるよりは早くなる変更の方が,こちらとしては歓迎です。
コメント
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