ラスコーリニコフの場合で紹介した,ソーニャがラスコーリニコフに「ラザロの復活」を読んで聞かせる場面は,ソーニャの部屋がその舞台となっています。『罪と罰』では第四部の第四章で,ラスコーリニコフがこのソーニャの部屋,三階建てのアパートの二階の一室ですが,ここを訪れるのはこのときが初めてです。
非常に説明しにくいので,これはその部分を読んでいただくほかありませんが,この部屋は広いのですが非常に奇妙な形をしています。部屋の中にはベッドと小さなテーブル,そして籐椅子と箪笥があるくらい。ソーニャは娼婦ですから,もしかしたら不特定多数の男を相手に,この部屋で春を売ったこともあったかもしれません。ベッドはあるわけで,それは十分に可能なことのように思えます。
ただ,『罪と罰』のラスコーリニコフとソーニャの関係を複雑にしているのは,少なくともラスコーリニコフにとって,ソーニャというのが,買春をするための娼婦という存在ではなかったという点にあると僕は思っています。実際にラスコーリニコフがこの部屋を訪れるとき,客として訪れているのではなく,友人として訪れています。
この発端となったのは,ラスコーリニコフがソーニャの父親と出会ったことでした。この父親は,『カラマーゾフの兄弟』でいえばスメルジャコフに殺されるフョードルと似たパーソナリティを持っています。ドストエフスキーの小説の特徴のひとつに,会話の分量が多いという点がありますが,とにかくよく喋る男です。その会話の中でラスコーリニコフはソーニャの存在を聞かされ,まさにこの父親のせいで,娼婦になったということを知るのです。したがってラスコーリニコフが,ソーニャに対して,出会う以前からある種の同情の念を有していたとしても,それはまったく不思議ではないということになります。
もちろんこうした設定のすべてが,ドストエフスキーによって意図されたものであることは間違いありません。しかしこのゆえに,ラスコーリニコフとソーニャとの関係について考える場合には,ソーニャの父親であるマルメラードフが,重要な役割を果たすことになったと僕には思えるのです。
この週末は10日の土曜日が妹のピアノのレッスンでした。
翌週の火曜,13日が母の磯子中央病院の内科での,前の週の検査の結果が出る日。火曜は新たなる支援として行われている妹の迎えはありませんが,母の診察の予約時間は午後2時半でしたから,午前中に母が送っていくということに関しては何も問題はありませんでした。
このとき,というのは前の週の6日のことですが,いつもより詳しい検査をするために外注したわけです。その中で異常が出ていた項目はふたつありました。ひとつはALPといわれるもので,アルカリホスファターゼといわれる酵素のひとつ。リン酸化合物を分解する働きを有するもののようです。もうひとつは総コレステロールで,これは血液中に含まれるコレステロールの総量のこと。ただ,これらの検査結果はそれ単独でみるよりも,その他の検査結果との関係の方が重視されるようで,共に基準値をオーバーしていたのですが,医師から何か特別の指示をされることはなかったとのこと。母の肝機能に異常があるということがまずは脳外科の方で発見され,それで内科の方にも通院するようになったのですが,その肝機能全般という観点からはとくに問題なしとされましたので,こうした指示になったものと思われます。
さらに15日の木曜が同じ磯子中央病院の脳外科の検査と診察。木曜も妹の迎えはなく,こちらは午前中の予約でしたから,この日は僕が午前中の予定を空けておき,妹を作業所まで送りました。時間もありましたのでついでに買い物もして帰り,家に着いたのは10時半過ぎ。もちろん母はまだ戻っていませんでした。
この日の検査は,2度めの渡米の直前に予定されていたものが,機器の故障で不可能になってしまったときの代替。その検査というのはCTの撮影ですが,これはすぐに結果が出まして,診察のときに知らされます。それによればもう問題はほとんどないとのこと。したがって今後も通院は必要であるけれども,CTの撮影に関しては1年に1度くらいやればいいだろうと言われたそうです。実際に母は,この後も脳外科への通院というのは継続していますが,CTの撮影はこの後は1度もしていません。
非常に説明しにくいので,これはその部分を読んでいただくほかありませんが,この部屋は広いのですが非常に奇妙な形をしています。部屋の中にはベッドと小さなテーブル,そして籐椅子と箪笥があるくらい。ソーニャは娼婦ですから,もしかしたら不特定多数の男を相手に,この部屋で春を売ったこともあったかもしれません。ベッドはあるわけで,それは十分に可能なことのように思えます。
ただ,『罪と罰』のラスコーリニコフとソーニャの関係を複雑にしているのは,少なくともラスコーリニコフにとって,ソーニャというのが,買春をするための娼婦という存在ではなかったという点にあると僕は思っています。実際にラスコーリニコフがこの部屋を訪れるとき,客として訪れているのではなく,友人として訪れています。
この発端となったのは,ラスコーリニコフがソーニャの父親と出会ったことでした。この父親は,『カラマーゾフの兄弟』でいえばスメルジャコフに殺されるフョードルと似たパーソナリティを持っています。ドストエフスキーの小説の特徴のひとつに,会話の分量が多いという点がありますが,とにかくよく喋る男です。その会話の中でラスコーリニコフはソーニャの存在を聞かされ,まさにこの父親のせいで,娼婦になったということを知るのです。したがってラスコーリニコフが,ソーニャに対して,出会う以前からある種の同情の念を有していたとしても,それはまったく不思議ではないということになります。
もちろんこうした設定のすべてが,ドストエフスキーによって意図されたものであることは間違いありません。しかしこのゆえに,ラスコーリニコフとソーニャとの関係について考える場合には,ソーニャの父親であるマルメラードフが,重要な役割を果たすことになったと僕には思えるのです。
この週末は10日の土曜日が妹のピアノのレッスンでした。
翌週の火曜,13日が母の磯子中央病院の内科での,前の週の検査の結果が出る日。火曜は新たなる支援として行われている妹の迎えはありませんが,母の診察の予約時間は午後2時半でしたから,午前中に母が送っていくということに関しては何も問題はありませんでした。
このとき,というのは前の週の6日のことですが,いつもより詳しい検査をするために外注したわけです。その中で異常が出ていた項目はふたつありました。ひとつはALPといわれるもので,アルカリホスファターゼといわれる酵素のひとつ。リン酸化合物を分解する働きを有するもののようです。もうひとつは総コレステロールで,これは血液中に含まれるコレステロールの総量のこと。ただ,これらの検査結果はそれ単独でみるよりも,その他の検査結果との関係の方が重視されるようで,共に基準値をオーバーしていたのですが,医師から何か特別の指示をされることはなかったとのこと。母の肝機能に異常があるということがまずは脳外科の方で発見され,それで内科の方にも通院するようになったのですが,その肝機能全般という観点からはとくに問題なしとされましたので,こうした指示になったものと思われます。
さらに15日の木曜が同じ磯子中央病院の脳外科の検査と診察。木曜も妹の迎えはなく,こちらは午前中の予約でしたから,この日は僕が午前中の予定を空けておき,妹を作業所まで送りました。時間もありましたのでついでに買い物もして帰り,家に着いたのは10時半過ぎ。もちろん母はまだ戻っていませんでした。
この日の検査は,2度めの渡米の直前に予定されていたものが,機器の故障で不可能になってしまったときの代替。その検査というのはCTの撮影ですが,これはすぐに結果が出まして,診察のときに知らされます。それによればもう問題はほとんどないとのこと。したがって今後も通院は必要であるけれども,CTの撮影に関しては1年に1度くらいやればいいだろうと言われたそうです。実際に母は,この後も脳外科への通院というのは継続していますが,CTの撮影はこの後は1度もしていません。