スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ファミリー&実在的意味の帰結

2012-09-15 18:26:25 | NOAH
 三沢光晴の死後,NOAHの社長に田上明が就任したのは,NOAHの旗揚げの直前の,全日本プロレスの選手会長としての田上の手腕を,三沢が評価していたことがその一因ではないかというのが僕の推測です。一方,馬場の死後,三沢が選手会長から社長になった際に,空席となった選手会長の地位に田上が就いたのは,生前の馬場の意向が作用したのではないかというのが僕の推測なのです。
                         
 これは和田京平があるインタビューで明かしていることなのですが,馬場は全日本の最良の時代の四天王に関して,長男が三沢で田上が次男,川田が三男で小橋が四男と位置付けていたそうです。ですから,三沢の後継に田上が位置するというのは,少なくとも全日本プロレスの中での流れとしては,ごく自然な成り行きだったのではないでしょうか。
 ではなぜ馬場が,キャリアでは上の川田よりも田上を上位に評価していたのかといえば,たぶん体格を重視したからでしょう。長州とブロディの試合をおかしなことにしたと思われる超獣エゴイズムのうちに,プロレスラーは身体が大きくなければならないというブロディの信念があったというのも僕の推測ですが,馬場も自分が大きかったですから,この点ではブロディと同じ考えを有していたようです。実際に和田は同じインタビューで,馬場は四天王の中では,三沢には天性の強さがあるのだけれども,身体が大きい田上が将来は最も強くなると言っていたと述べています。ただ,馬場はブロディとは違ってただのレスラーではなくプロモーターでもありましたから,観客が支持するものには従い,ブロディのようにあくまでも自分の考え方を押し通すようなことはしなかったということでしょう。
 馬場はおそらく全日本プロレスをひとつのファミリーのようなものと考えていました。長男,次男といった格付けは,その象徴であると思います。しかしそのファミリーは,おそらくは現代日本社会の家族制度の中でのファミリーではなく,たとえそれが馬場の幻想のようなものでしかなかったのだとしても,むしろ戦前の家父長制の制度におけるファミリーのようなものに近かったのだろうと僕は思います。

 第二部定理一三証明からして,スピノザが第二部定理一二第二部定理一三は無関係な定理であるとは考えていなかったことは確かであるといえるでしょう。そしてこれらふたつの定理が有している関係は,もはやいうまでもなく,少なくとも第二部定理一二がその部分的原因となって,第二部定理一三が結果として生じてくるのだということです。
 そこでこのスピノザの考え方に依拠するならば,第二部定理一二を実在的な意味において第二部定理九系から直接的に帰結させるということは無理があるという結論になります。なぜなら,まずある観念の対象ideatumの中に起こることの観念は,その観念に変状した限りで神のうちにあるのですが,このことから,人間の精神が自分の身体の中に起こることを認識するということを帰結させるためには,人間の精神を構成する観念の対象ideatumが自分の身体であるということが,あらかじめ前提されていなければなりません。ところがスピノザの考え方では,むしろ人間の精神がその精神を構成している観念の対象ideatumの中に起こることを認識するということを根拠として,その観念の対象ideatumとは自分の身体であるということが導かれるということになっているからです。
 ただし,次のことはいえます。すなわち,人間の精神を構成する観念の対象ideatumというのが何であるのかということが具体的には不明であったとしても,人間の精神がその対象ideatumの中に起こることというのを認識しなければならないということは,第二部定理九系から直接的に帰結するのです。なぜならばこの意味においては,相変らず第二部定理一二というのは,一般的に示されている第二部定理九系というのを,人間の精神とその精神を構成する観念の対象ideatumというある具体的なものに置き換えただけであると考えることは可能だからです。したがって,第二部定理一二というのは,第二部定理九系の直後に配置されていたとしてもおかしくはない定理であると考えられます。しかし実際には『エチカ』はそうなっていません。おそらくここにもスピノザの何らかの意図があったのではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする