スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ラジオIKKEI盃若潮スプリント&第一部付録

2021-05-05 18:58:30 | 地方競馬
 3日の第1回若潮スプリント
 先行争いになりましたが,ファイナルキングがハナにいき,2番手にハートプレイス,3番手にサイダイゲンカイとなり,まずこの3頭が抜け出す形。2馬身差でチャンプタイガー。5番手はエンテレケイアとブラックストーム。7番手にチュラウェーブ。8番手にピースフラッグ。9番手はマテーラフレイバーとリュウノヘラクレス。11番手にキャストロポポ。2馬身差の最後尾にヴァヴィロフ。前半の1200mは34秒4の超ハイペース。
 3コーナーでファイナルキングのリードが3馬身くらいに。ハートプレイスは何とかついていきましたがサイダイゲンカイは後退。内を回ってチャンプタイガーがハートプレイスに並んできました。直線はハートプレイスの外からチュラウェーブも伸びてきました。この3頭の競り合いからハートプレイスが脱落。残る2頭は競り合いながら逃げるファイナルキングに迫ってきましたが,ファイナルキングが一杯に逃げ切って優勝。外のチュラウェーブが4分の3馬身差の2着で内のチャンプタイガーが半馬身差で3着。
 優勝したファイナルキングは南関東重賞初挑戦での初勝利。前走はこの日の2着馬に7馬身の差をつけて逃げ切り,3走前も5馬身差の逃げ切りで,前々走は途中からハナに立つ形での競馬で5着。こうしたことから現状は逃げるのがベストということでしょう。2着馬との着差が前走とかなり詰まったのはおそらくペースの影響。ですから高いスピード能力をもっているのは間違いありませんが,課題もあるということになると思います。父はサウスヴィグラス。母の父はゴールドアリュール。母は2012年に優駿スプリントを勝ったゴールドキャヴィア
 騎乗した船橋の左海誠二騎手はハイセイコー記念以来の南関東重賞51勝目。その後に全日本2歳優駿を勝っています。管理している林正人調教師は南関東重賞18勝目。

 第一部公理三が因果論を示していることは一目瞭然です。ただ,このことが目的論を否定するということについては,自明ではないかもしれません。場合によっては,因果論的な結論と目的論的な結論が同一になるという場合がないというわけではないからです。そこでここでは,スピノザがどのような観点から目的論を否定するのかということを示しておきます。
                                   
 スピノザによる目的論の否定は,主に人間の優越性の否定という観点からなされます。人間が優越的であるという観点は,神Deusが人間を創造したという神学的観点と結びつきがあります。このときにそれと同時に,神は人間のために全自然を創造したということがいわれ,これが目的論と結び付くのです。すなわちこれは全自然が人間の目的finisのために存在するという見方に直結するからです。
 スピノザが否定するのはこのことです。つまり人間は全自然に対して優越的な存在ではないし,自然Naturaは人間が何らかの目的を果たすために存在しているわけではない,他面からいえば,神が自然を創造したといういい方を許容するのだとしても,それは人間のためではないとスピノザはいっているのです。もし創造するcreareといういい方をするのであれば,神は人間を創造しまた全自然を創造するのですが,そこに何らかの目的があるわけではありません。むしろ神は神の本性naturaの必然性necessitasに従って創造するのであり,この創造のために働いているのは因果論的関係だけです。ここで第一部公理三が出てくるのであり,神は人間あるいは全自然に対しての起成原因causa efficiensであり,人間あるいは全自然はその結果effectusです。神は何らかの目的を果たすために起成原因となるのではありません。その本性の必然性によって万物の起成原因なのです。
 こうしたことは第一部の付録で詳しく説明されています。そして目的論の否定の観点としては,以下の一文を示すだけで十分でしょう。
 「自然は何の目的も立てずまたすべての目的原因は人間の想像物以外の何ものでもない」。
 自然のうちに何らかの目的を見出すのは僕たちの想像,表象の種類としての想像にほかなりません。よってそれは事物についての十全な認識cognitioではなく,混乱した認識なのです。
コメント
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