多くの方がご存知のように母の最期の3年を一緒に暮らしまして、その介護の様子をご報告しておりました。
あれから4年半です。
しかし、このブログに書いているのは母の事ばかりで父のことは「ほぼ」書いていません。
男の親子ってそんなもんだろうとも思っています。
2015年6月に他界して「ご報告」を書いていますが、それっきり。
それでも6月後半になると一応思い出すものです。
実は父には「考え方」に影響を受けていまして、中学の頃に渡された「三木清」さんの数冊の本で小鳥程の脳味噌で少しだけ考えるようになりました。
読書家でも勉強家でも知識人でもありませんが、物事を懐疑的に考えたり、反証を探したり、と面倒くさい思考に至っています。
この2,3日は彼=三木清さんの「人生論ノート」を読み返していました。
例えば、こんな一節。
【自分では疑ひながら發表した意見が他人によつて自分の疑つてゐないもののやうに信じられる場合がある。そのやうな場合には遂に自分でもその意見を信じるやうになるものである。信仰の根源は他者にある。】
陰謀論やらプロパガンダなどが巷間飛び交うご時世に「ちょっと待てよ」と疑ってみる。
結果的には自分なりの答えを出さないといけない時が来ますが、左右前後の意見や時系列を調べて考えても遅くありません。
コロナ禍では時折「考え方」のようなものを書いていました。
感情的な思想ではなく「こういう場合の私なりの対処は合っているのか?」と問うているつもりでした。
と、いうような事が父が私に残したことかもしれません。
さて今日30日はお休みです。
7月のそむりえ亭を宜しくお願いいたします。
樋口誠