酒類提供飲食店との取引停止要請を撤回へ 政府、批判に配慮か
先日、拙ブログでも取り上げましたが、西村飛沫大臣が「酒提供停止」銀行に働き掛け要請した発言をし、あまりの大批判にそれを撤回したニュースがありました。
西村大臣が「真意が伝わらなかった」と言った時は、心底、この人は卑怯者なんだなと思いましたが、どうやら政府そのものが、本当に「酒提供停止」を働き掛けしようとしていたようですね。
西村撤回発言の真意は、「みんなで決めたのに、何でオレばっか?」ということなんでしょう。まったくもう、中学生か!
それはそれで呆れた卑怯者ですが、問題は政府が本当にこんなことを考えていということですね。
だって、これは国が「法を守らぬ働き掛け」を計画していたわけですから、撤回したからって済む問題ではありません。
国が法を破ろうとしているなら、国民がその要請に従う必要がありましょうか。
そういえば、昨年繰り返し聞かされていた「新しい日常」や「ニューノーマル」といった言葉…最近、聞きませんね(笑)。
ともかくも普通の生活を送らせてくれ、というのが多くの国民の本音でしょう。
映画「北斎 Hokusai」、昨日書かなかったことがあるので、追加記事です。
この映画の見どころのひとつに、若い北斎、初老と思しき歌麿、子供のように若い写楽の3人が版元の蔦屋重三郎のもとに集まり、饗宴となる場面があります。
映画で若い頃の北斎は、絵を描くことに勝ち負けをつけたがっていました。
「オレの方が上手い」「オレの絵の方がすごい」
実際に北斎先生がそんなことを言ったかどうかは知りませんが、負けずぎらいだったことは間違いないでしょう。
絵師に限らず若く才能がある人間に、そんな勝負心があるのは不思議ではありません。あの大天才、手塚治虫先生が若手のマンガ家たちに、そんな対抗心をいつも抱いていたそうなので、むしろそういう闘争心があった方が作り手にとって創作意欲につながるかもしれません。
ただ、絵を勝負ごとだけに片寄ってしまうと、人の心に触れる作品とは違うものになってしまうことはたしかです。
「自分はこんな凄いもの、凄いことができる」
そういう気持ちが作品に入りすぎると、さながら若者がおじさんの武勇伝を聞かされるようなもの。妙に鼻につくものです。
後年の北斎は勝負よりも、無心で絵を描くこと、道を極めることに腐心するようになりますが、それが四十路になるかならないかの脚本家が書けるというのは凄いことだな。同い年くらいの自分には、そんなことは考えられもしなかったですね。
分野は違いますが、あの大ピアニストのダニエル・バレンボイムは、若い頃は才気走っていて、それが鼻につくような演奏でした。
それが後年、一転して作曲家の意図をどれだけ汲めるか。自分をあくまで作曲家の媒体に徹するピアニストに変わりました。年齢を重ねると、そういうこともあるものですね。
一方で、一生勝負心を失わない人もいます。
これはどちらが優れているかではなく、どちらがその人本来かでしょうね。
映画の脚本が良かったと思うのは、歌麿と写楽の描き方ですね。
一見しなやかに見えて、実は投獄されるも辞さない骨のある絵師・歌麿を演じていた玉木宏さんも良かった。
また東洲斎写楽をまだ21歳の浦上晟周(うらがみせいしゅう)という俳優が演じていたのも面白いところですね。写楽という人については何もわかっていないので、映画はすべて創作だと思いますが、若い不思議な才能という演出は良かったと思います。
で、こちらは以前トカナに掲載された歌麿の記事。
▼ご笑覧いただければ幸いです。
日本に鎖国はなかった!? 浮世絵で読み解く江戸時代~
66年ぶりに公開、歌麿「深川の雪」~
それにしても、90歳で死の床に着いた時に言った最後の言葉。
「天我をして五年の命を保たしめは、真正の画工となるを得へし」(天があと5年の間、命を保つことを私に許されたなら、本物の画工になり得たであろう)。
昨日は梅雨の晴れ間、日比谷シネシャンテ3まで現在公開中の映画「北斎 Hokusai」を見に行きました。
画家を主人公にした映画で面白いものを見たことがなかったので、果たしてどうかなと思っていたのですが、良い意味で裏切られました。
面白かった!
画家を主人公にしたもので、唯一面白いと感じた映画だったと思います。
白眉は田中泯さんの演技ですね。
舞踏家としてやってきたことが、すべて絵を描く所作から動きにかけて生きているのがすごい。筆を持つ北斎先生の姿は、まさに画狂人そのものです。
田中泯を見るだけで、この映画を見る価値があると言っても過言ではありません。
特に雨の中、ベロ藍を自分の体にかける場面はまさに圧巻!
何も特別な動きをしてないのに、見るものの心を震わせる動きは素晴らしいとしか言いようがありません。
また、北斎の娘・お栄を演じていた河原れんさんがシナリオを書いていたというのも驚きでした。
北斎の死後わずか20年で明治維新になったという、江戸後期の人でしたが、それでも幕府の力は強かったようで、風紀を乱すとして捕縛や焚書されたりする絵師や版元が多かったようです。
そこは今の緊急事態宣言に通じるところがあるのが面白いところ。
もちろん映画なので幕府の取締が悪役ですが、この時代も幕府側について「風紀を乱す連中、実にけしからん」と言ってた人も多かったでしょうな。
その時代の正義が、後から見た正義ではないのは、これからコロナ禍が明けたらはっきりすることでしょう。
そんなツッコミを心の中でいれながら見てしまいました。
それにしても柳楽優弥さんも田中泯さんも、筆の持ち方が堂に入ってますね。
さすがは役者!
特に田中泯さんの踊るような筆使いは、まさに舞踏家の本領発揮です。
また手のクローズアップで、筆を走らせる場面は、いったい誰が描いているのでしょう? 上手いのにびっくり、私は到底あのように描けません(笑)。
ところで、劇中に「何のために絵を描くか?」とか「こんな日だからこそ、絵を描く」というセリフが印象的ですね。
私も絵描きのはしくれですが、実はまず考えたことがありません。共感する、しないとかではなくです。
このセリフの発想は、むしろ役者としての立場から出た言葉かもしれませんね。
ともかくも「北斎 Hokusai」、まだ上映中ですので未見の方はぜひ足を運んでいただきたいと思いました。オススメです!
酒提供で金融機関要請の方針撤回と官房長官
昨日、驚いたのは西村大臣が、「酒提供停止」銀行に働き掛け要請したというニュースです。こんなことが法治国家で許されていいのかと思いましたが、さすがに各界からさらなる怒りが噴出したようです。
金融機関からも「ありえない」と言わしめるほどの発言だったようで、さすがに1日で撤回。みっともないですね。
「言うこときかなけりゃ、どうなるか見せてやる」と、時代劇の悪代官でもやらないような、露骨な恫喝は多くの国民を敵にまわしたと思います。
大臣という立場は権限が絶大ですが、それだけに自分は何でも許されると勘違いしたようですね。
鎌倉時代、かの後白河法皇は気にくわない相手がいると、「官打ち」という手法を用いました。
その人物の器量以上の官位を与えるのですね。
位を貰った人間はホイホイ喜んで、その官位を受けるのですが、自分の器以上の地位なので、必ず自滅するというのです。
これに見事かかった人物が、かの源義経です。
兄の頼朝は官打ちを知っていたので、この手にかかることはなかったのですが、法王から義経が検非違使に任官されたことに激怒!
「おのれ義経、大天狗の手にまんまとかかりおって!」
頼朝公。そう言ったか、言わなかったか(笑)。
九郎判官義経…あとは皆さまが知っての末路でした。
西村大臣と義経さんを比べるのは失礼な話ですが(もちろん義経さんに)、何が言いたいのかといえば、西村…てんで大臣の顔じゃないってことですね。
それにしても、「金融機関に手をまわして酒を配らせないようにしてやる」 なんて、人格を疑う話です。最初から悪い顔だと感じていましたが、どうやら思った以上でした。
政府には、いいから何もするなと言いたいですね。
余計なことをせず、注意喚起だけで普通の生活をさせてもらいたいものです。
▼写真は赤坂山ね家さんの御膳、3連発です。
迷走も迷惑も極まれりの東京オリンピックですね。
そうは言っても、オリンピックはやるべしというのが私の持論ではありますが。
オリンピックさえなければ、マンネリ化した緊急事態宣言も出さずに済みますが…まあ、やらない選択肢はないでしょう。
理由は色々挙げられますが、ややこしくなるので、ここでは言わないとして…。
ともかく大騒ぎして作った国立競技場をカラの状態で、全世界に発信するのですから、シャレになりません。
この程度のはやり病をここまで怖がる首長たちと国民を、海外の海賊山賊のような人たちが見たら、「日本って、何てチョロい国なんだ」とナメられないか、オリンピックよりそちらが心配です。
そして、これからさらに1ヶ月…飲食店にかけられる要請ですが、これって本当に従う必要があるのかな?
従わないと物凄い罰則でもあるのでしょうか。
やはり世間の目というものなのかな。
こう言っては、苦境にあえぐ人たちに失礼かもしれませんが、私には飲食店…特に一番割食う大手チェーンなどが、なぜ、こんな理不尽な要請を素直に聞くのか不思議です。
「悪法も法なり」と毒をあおったのはソクラテスですが、私たちはソクラテスではありません。
「死ね」と言われているような要請、そして何より科学的根拠も希薄な穴だらけの要請に、本当に従わないといけないのでしょうか。コロナで死ぬ前に、首をくくらないといけません。
戦後すぐに、「闇米は食わず」と餓死した山口良忠大臣という人がいましたが、それはそれで立派かもしれませんが、マネしたらいかんよね。
まあ誰もマネしなかったようですが(笑)。
少し前ですが、イタリアでは飲食店同士が連携して「従わない」と、店を開けるところが出てきました。オリンピックが終わる頃、どれだけの店が消えてなくなるかが心配です。
大人しく言うことを聞くばかりが人間ではありません。
なまけ蛙くんシリーズ、機体の新人「ANA FROGくん」のお目見えです!
昨日、ANA FROGくんの記事をアップしたところ、なまけ蛙くんシリーズのアクセスが急増したようです。
いったい今まで何体制作したのか数えてませんが、けっこうな人気にクライアントの皆様には感謝するほかはありません。
そんなわけで、今日は今まで作ったカエルくんのシリーズ。
その一部をアップいたします。
クライアントさんとカエルちゃんの名前は公開しませんが、お楽しみいただければ幸いです!
え…タイトルに誤字ですって?
「機体の新人」じゃなくて、「期待の新人」だろうって?
いやいや、これで良いのです。
だって、あの全日空運輸ことANAの機体をあしらった、なまけ蛙くんシリーズ中、新機軸の作品なんですから。
依頼主はANAのヘビーユーザーです。
ANAは個人で楽しむもの(商品化しないもの)にはロゴ使用の規制をしないので、ぜひANAのロゴ入りなまけ蛙くんをということで制作致しました。
▼最初からデザインを考えても仕方ないので、先ずは型抜きからはじめます。
▼メタルピンクのShinyちゃんと一緒に制作。Shinyちゃんがお姉さんですね。
▼先ずはANAのコーポレートカラーである濃い青のトリトン・ブルーに、薄い青のモヒカン・ブルーを塗ってみます。
▼後ろにオリジナルなまけ蛙くんがいますね。おなかに風景を入れようかどうか。
▼こうして大阪のクライアントさんの手元に届き、飛びながらなまけています。
▼撮影はクライアントさんご自身。ANAのロゴが誇らしげです。
塾に行く前に考えてほしいこと。
先日、花風社クラスタのお一人、ひろあさんのブログで「勉強時間が確保されていない」という一節を読んだ時、なぜ自分が勉強をしなくなったかを思い出しました。
自分が子供の頃の成績を思い出すと、中学2年の半ばまではトップとはいきませんが、中の下くらいだったかなと思います。
小学生5、6年の時は、あの四谷大塚進学教室に通っていたのですから、成績はわるくはなかったでしょう。
▼その時の様子を描いたマンガがこちら(小暮陽三との共著『物理のしくみ』より)
別に勉強が嫌いだったわけでなく、塾に来ていたイヤな奴と会いたくなかったのですが、だからといって、すごく勉強が好きというわけではなかった記憶があります。
物理学者だった父は家庭の事情で中学にも進学せず就職の道に進む予定を、担任の先生が母(私の祖母)を説得したという人でしたから、それは勉強が出来たなんてものではなかったようです。
成績がトップでなかったことがなかった、という人だったので「勉強をしない」ことが、逆に理解できなかったようです。
でもそんな私を、どうにかさせようと父は言いました。
「先ずは机に向かうことだ。そのうち勉強に気持ちが乗ってくる」
ところがバカ息子は、机に向かったは良かったものの、親の目を盗んでマンガや小説を読んだり、落書き三昧にふけるようになりました。
まあ、結局はそっちが本職になったわけですが、それではいくら机に向かったところで、勉強ができるようなるはずはありません。
良い子のみなさんはマネしちゃいけませんよ(笑)。
でも、先ずは机に向かってみることは、今でも絵画イラスト制作には役に立ったアドバイスですから、父の思ったようにはいかなかったものの、人生にムダはないのかな。
昨日、新・美の巨人はあの手塚治虫先生のジャングル大帝でした。
親から言われたことに、私が生まれて初めて描いた絵が鉄腕アトムだったそうで、今はない実家の古い家の壁にあったのを覚えています。
テレビっ子だった私は、鉄腕アトムやジャングル大帝のアニメが大好きだったそうで、目を皿のようにして見ていたと、よく両親が話しておりました。
ただ、マンガとしての手塚作品としては、どちらもあまり覚えておらず、今考えると、むしろ影響を受けた手塚作品は「火の鳥」や「陽だまりの樹」「きりひと讃歌」といったものが多かった気がします。
小学生にとって鉄腕アトムの原作マンガは、かなり高度だったし、それに悲しい物語が多かったので、それほど好きではなく、むしろ赤塚不二夫先生の「天才バカボン」や「もーれつア太郎」に夢中だった記憶があります。
ただ、テレビの映像に映った手塚先生がペン入れをする様子を見て、自分の線は間違いなくこの人の絵を真似して育ったということに、改めて驚いた次第です。
不思議なことに手塚治虫がペン入れしている様子を見て、私が今現在、花風社新刊の線やアチャールくんの線を走らせてる様子と、脳内で一致したのです。いや、大天才の手塚先生の線と自分の線を比べるなんて、図々しい話なのですがねえ(笑)。
ともあれ、間違いなくこの人の線の描き方を学んでいることに気づいたのです。
それも一所懸命模写したとか、 そういう努力ではなく、自然に自分の手と頭に擦り込まれているとでも申しましょうか。
手塚先生のペン入れの様子なんて、間近に見たことなどないはずなのに、描いてる様子が脳内で一致する感覚を覚えたのはなぜでしょう。
昨日、花風社新刊「医者が教えてくれない 発達障害の治し方」 巻頭マンガのラフの一部を公開したところ、いや、けっこうな反響とアクセス数でした。
今度の新刊に、如何に多くの方が関心を集めているのか知って、驚いた次第です。
私個人は、作品は出来たものをそのまま見てもらえれば良いという考えでしたが、メイキングの面白さがあることは間違いありません。料理だって食べるだけじゃない、レシピにも注目が集まりますから、固いこと言わずバンバン公開しちゃいましょう。
少しでも、花風社新刊に関心を持ってもらうために、もう少し公開いたしますね。
▼で、こちらがフォトショ加工前の生原稿。版元の浅見社長も見てません♪
右上の医者と思しき人物には、特定のモデルがいるわけではありませんが(ウソつくなよ)、ラフをそのままトレースしたものは、写真などを見ずに頭のイメージで描いたもの。
右下ワク外の人物は、写真を見て描き直したものです(なんだ、やっぱりモデルがいるんじゃないか)♪
実はわたくし…フォトショ加工が大好きでして、生原稿を描くより好きなくらいです。
だって、自分の未熟な筆致がキレイに仕上がるんだもの(笑)。
というのは半分冗談ですが(半分本当)、手で絵を描く作業と、PC加工の作業は使う脳の部分が違うようで、両方使うとバランスが保てるということがあるのだと思います。
特にこんな雨の続く日は、もってこいというもので。
新刊「医者が教えてくれない 発達障害の治し方」がSNSで話題になってますね。
花風社新刊「医者が教えてくれない発達障害の治し方」
巻頭マンガを公開いたします!
先日、太っ腹にも巻頭マンガが公開されましたが、今回の花風社新刊のメッセージは、浅見社長の言葉を借りれば「医療の悪口ではなく、それぞれの家庭の資質を発見してもらおう」ということです。
まあ、医療のことはホントのことを書いているので、これは致し方ない(笑)。
ほかにも「家庭の資質を発見しよう」というマンガを、絶賛ペン入れ&Photoshop加工中なので、そちらもお楽しみにしてくださいませ。
ラフと完成品では、セリフも変わっていますし、右医師のおじさんの顔も変わりました。あ、別に特定の人物をモデルにしたわけではありませんよ(笑)。
最近、なるべくパウダースパイスの種類を使わないカレーに凝っています。
私にとってインドカレーの原典は、1988年に最初にインド旅行をした時に、ジャイプルのおかみさんに教わったマトン・カレーとベジタブル・カレーでした。
▼それがこちら。
日記を見ると、まだソ連だった時代で、ウイグル人と話したことが書かれてますね。
ウイグル人のガネーフは、「日本に行きたいけど、ソビエトからは簡単にいけないんだ」と言ってましたが、まさか翌年にソ連が崩壊するとはね。今は昔。
さて、日本に戻ってスパイスを購入し、同じ手順で作ってみたけど、同じにならなかったのを覚えています。
それでも、その後何度かインドに行ったりして、直にスパイスを買ったりして、自分なりにカレーを工夫しながら30年余り…。スパイスのストックだけは多くなり、もったいないので全部使っているうちに、なんだか同じようなカレーしか作れなくなりました。
ところが、このコロナの中…沼尻シェフやエリックサウスなど、様々なインド料理店のオーナーが作った動画を見て、けっこう目からウロコ。
そういえば、ジャイプルのおかみもスパイスの数は少なかったなあ。
考えてみれば、絵の具も混ぜすぎると色が濁ります。
漢方も、あまり種類を使いすぎると平均的な効果したないんだって。