昨日は、アートでも食材でも「してほしいこと」をした方が良いという話をいたしましたが、今日はその真逆・・・「結果ありき」の話をいたしましょう。
物理学や数学の証明では、「結果がたぶんこうだろう」ということで、公式や論理を導いていくことがあります。
こういう場合の「結果ありき」は、その結果が真実ならOK。
真実でないならNG。
実に潔いというか、シンプルです。
シンプルでないのが、政治や思想などの「結果ありき」でしょう。
政治や思想において、真実はひとつでありません。というか要素が複合的なので、すべての人間を満足させることはできません。
世に言う憲法第9条至高主義の方がたというのは、この「結果ありき」という典型的な人たちでしょう。
仮に日本が中国に侵略されて国がなくなっても、後世の教科書に
『昔、日本という心の美しい民族がいました』と書かれれば
それはそれでいいんじゃないかと
本人がそう思うのは自由ですが、他の日本人は「いなくなってもいい」と思っているわけではありません。それを強要することこそ、立派なファシズムなのですが、憲法第9条至高主義の方々はそう考えていないようです。
自衛する権利まで放棄せよという、いったいどこの国のための憲法なのか。
加えて言うと、集団的自衛権容認の報道。
メディアは反対派ばかりを取り上げ、賛成派は取り上げていないという意見もあります。
自衛隊が出てくるだけで「戦争をしたがっている」という報道は、最近でこそ少なくはなりましたが、そういう声は未だに少なくありません。
実際には、軍人ほど戦争をしたがらないものですが(そりゃそうです。戦争があれば、手塩をかけた部下たちだってタダでは済まないし、自分にだって家族がいます)、戦時中には、死ぬのが怖いことを恥とする無謀な考えも流布しました。
そのアレルギーが未だ残っていることと、戦後教育の影響もあるでしょう。
さて、そろそろ千葉・流山に行かないといけないので、続きは次回ということで。