郡山で一泊。
翌日は奥田シェフの車で鶴岡に向かいました。
「小暮さん、免許もってますか?」
「はい、持ってます」
「運転はしょっちゅうしてますか?」
「いえ、2年くらいしてません」
「じゃ、途中で運転代わってください」
という感じで、途中、シェフが観光バスに乗る後ろを、2年ぶりの運転でついて行きました。
途中レタス農園に寄って、着いたところはアル・ケッチァーノ。
絵を描くのは福島のお店なので、鶴岡は直接関係ないのですが、いつも通りのミステリーツアー。そのまま翌日、東京に戻るつもりでいたのですが、シェフに引き止められて、もう1泊することになりました。
その日は野菜ソムリエの方や、東京のお寿司屋さん、生産者の方など、雑多なメンバーで鶴岡のトマト農園やサクランボ農園などをシェフと一緒に回遊。
ああ、シェフはこれらを見てほしかったんだなと思いました。
印象的だったのは、奥田シェフが師匠とあおぐハーブ研究所のハウス農園でした。
山澤さんによれば、日本原産の野菜というのはそれこそワサビくらいのもので、茄子でも山芋にしても、インドやミクロネシア、アフリカなどから、ものすごい時間をかけて日本に入ってきたのだと言います。
そして、日本に入ってからも、土地によってさまざまな変化をしていった。そういう野菜を少しづつハウスの中で育てているのですから、驚きです。
よく生産者でも地元野菜にこだわる、と言いますが、山澤さんのハウス農園を見ると、日本全国の野菜があって、その野菜がどんな変化をしてきたのか一目瞭然。野菜の進化全体を見ないとイミがないんだと、熱弁をふるってくれました。
なるほど、食べ物とはすなわち生命をいただくこと。
その生命が何を望んでいるのか知ることが、食べ物の本質に突き当たるというのです(それを濃厚な鶴岡弁で語ってくれましたが、再現不可能なので、内容だけピックアップします)。
野菜がしてほしいこと、してほしくないこと。
私たちがお店で買って食べるキュウリは、まだ青い実のキュウリです。
実はキュウリは、まだ食べられてほしくないから、皮は固く実を守っています。
実際にはキュウリはヘチマのように大きくなり、パンパンに膨れ上がった時に甘い汁を出して割れるそうです(茄子も同じ)。
また、ワサビのように食べると辛みを出したりする野菜も同じことで、その植物がしてほしいこと、ほしくないことがあるのですが、人間は加熱したり、切ったりすることで、ホントは食に向かないものも、加工して食べらるようにしている。
まあ、それが料理だというわけですね。
食材に乏しく、料理のまずい国(あるいは人)に行くと、どんどん手を加えて、どんどん料理をまずくするわけですが、それはそういうわけなのですね。
人間は生命を維持する都合上、カロリーの高いものには満足する傾向があります。
「美味しいものって、太るのよね~」なんて、よく言いますが、それはそういう意味ですが、ホントに旨いものは普通に食べていれば、そんなにカロリーを取ることはありません。
ハウス農園に生えてる野菜を少しづつ齧って食べてみましたが、中で驚いたのはワームウッドという草です。
ひとつまみ食べようとしたら、山澤さん。
「そんないっぱい食べたらしぬぞ!」
ワームウッドはアブサンなどの香草に入れるそうですが、食べると2分後くらいに何ともいえない苦みの波が3~4回に渡って押し寄せ、さらに30分後、1時間後も周期的に苦みが口の中で復活します。
この味を文章化する方法がまったくないのですが、いや、なんだか良い勉強になりました。
なんだか良い絵が描けそうです。
自分で楽しみになってきました。シェフ、ごちそうさまでした!