漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

反転

2010年08月01日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 午後の街が陽炎で歪む。太陽の容赦ない光線の下で、街は漂白され、色彩を失っている。
 陽炎の中の、不安定な、真っ白な街を歩く。街角を折れて細い路地に入り込み、少し広い通りに出て、また細い路地に入ってゆく。それを何度も繰り返すうちに、次第に方向を見失ってゆく。道路は舗装されていない。白い埃のような砂土が、僅かな風で舞い上がる。歩いていると、顔のよく分からない誰かが戸口からゆっくりと現れて、柄杓でさっと表に水を撒く。おそらくは老人だと思うが、帽子を被っている訳でもないのに、顔も性別も年齢も判然としない。白い土の道路に、幾何学模様のような、水の跡が現れる。顔のよく分からないその人影は、そのまま後ずさるようにして姿を消す。僕は歩みの速度を変えない。だがその水で描かれた文様を踏んで進みながら、砂が舞い上がらなくなったような気が少ししている。そしてさらに先へと進む。太陽が灼けつくよう。髪の焼ける匂いがする。建物はどれも砂を固めて作ったかのようだと思う。全てが白く見える。
 少し広い道路に入り、しばらく歩いていると、古い商店が目に飛び込んでくる。かなりの長い年月、使われずに放置されている店舗のようだ。ガラスはすっかりと汚れて曇っている。看板の文字は風雨にさらされて、まったく読解に耐えない。だが、全体の印象はどこか上品でモダンだ。例えば、入り口の大きな引き戸は複雑な格子模様の桟で細かく区分けされているが、その桟には、幾何学的な複雑な彫り物が施されている。ガラスは二三箇所割れてはいるが、年季の入った波ガラスで、光線を複雑に歪めている。部分的には、薄い色のついたガラスも入っていて、ステンドグラスのような趣きもある。廃屋であるのは明らかだが、綺麗に保存されており、誰かに荒らされた形跡がないのはどういうことだろう。それでも奇妙な気配がする。私は日陰を求めるように、その家の庇の下に向かう。そして小さな青いガラスの割れ目から中を覗き込んだ。
 真っ白な色彩に眩んだ目には、なかなか中の様子が見えては来ない。だが印画紙のように、次第に屋内の静かな光景が浮かび上がってくる。
 外からの印象よりも店内は広く、奥行きもある。古い洋服屋なのだろうか。片隅には、数台のミシンに混じって、マネキンがいくつも並んでいる。洋服を着ているマネキンはひとつもなく、大半は腕や脚が欠けている。木製の平台の上には、すっかりと埃を被ったビニール袋に包まれた衣服が並んでいる。ほとんどは洋服だが、下着の袋もある。衣類は、古ぼけた、随分と流行に後れたものばかりのようだ。店内には柱時計がある。針はちょうど正午を指し示している。振り子は動かない。時間は停止したままだ。床には輪ゴムが散乱している。どれもすっかりと変色し、半ば溶けて、床と同化している。だがそのさらに奥には、古い家具のようなものがいくつかあって、それは単なる店の備品のようには見えない。数が多いためで、複雑な奥行きを持ち、まるで骨董を陳列した倉庫のようだ。さらには、その家具の棚の中には、マネキンではない、古い人形がいくつも並んでいる。店の主人の趣味だったのだろうか。西洋の人形もあるし、日本の人形もある。だが、どれもすっかりと元の色を失い、くすみ果てて、埃を被っている。私はふと、古い飾り棚の引き違い戸が少し開いていて、そこに一つ、妙に色の白い西洋人形が覗いているのに気が付く。幼児の人形のようで、おそらくは女の子の人形だとは思うが、よくわからない。大きな目をしていて、それがこちらをじっと見ている。先程からずっと感じていた気配は、この人形の視線だったのかと思う。私はさらにじっと、まるで自分が一つの目になったかのように、その人形に視線を注ぐ。

反転。

 気配は常にある。様々な気配。時折は、こちらを覗いている小さな生き物の気配を感じる。虫や鼠といった小さな生物。けれども、わたしにはいつでも恐ろしいものだ。わたしは小さくて、わたしにはどんな生き物でも充分に大きいから。わたしはじっと気配を殺す。やりすごせるときもあるし、ちょっと囓られるときもある。わたしは声もあげない。じっと飾り棚の壁にもたれて、黙っている。わたしの右の方には、闇がある。引き違い戸の奥の闇。実際には、ほんの浅い闇のはずだ。だけどわたしには、深くて、何かが潜んでいる気配がする。でもわからない。見えないし、そちらに首を回せるわけでもない。ただ、常に気配を感じている。その気配からはのがれることができないし、慣れることもない。
 部屋の中は埃の匂いがする。晴れの日は晴れの乾いた、雨の日には雨の湿った、埃の匂いがする。部屋の中には虫がたくさん死んでいる。ずっと昔の暑い真っ白な日に、一匹の蝉が飛び込んできて、ずいぶんとうるさい思いをしたことがある。その蝉もそのうち死んでしまった。確かその辺の床にしばらく転がっていたはずだが、いつのまにかなくなってしまった。時計は随分と前に止まってしまった。だから、規則的に刻む音は何もない。それでも、いつでも何かの音がする。日中には表を行き交う人々や車の騒がしい音がする。それは日常的な音で、繰り替えされる音。わかりやすい音だ。だけど夜には、人も車も通らないような静かなときでも、何かブーンという震えるような音が聞こえている気がする。あれはいったい何の音だろう。わたしにはわからない。
 気配は常にある。今も、さっきから、ずっと舐めるような視線を感じている。わたしはそれに気づいている。青いガラスの向こうに張り付いた、中空に浮かぶ瞳。

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2 コメント

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Unknown (玉青)
2010-08-02 20:58:24
ふと、以前こちらで拝見した、古びた洋品店の写真を思い出しました。埃っぽい店頭に立っていたあのマネキンも、何となくこちらを見ているような(というよりも、見て見ぬふりをしているような)気配がありました。
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玉青さんへ (shigeyuki)
2010-08-03 01:03:59
ああ、鳴子の写真ですね。
あれもイメージの一つかも。
でも、一番頭の中にあったのは(こんなことは作者が言うことではないのでしょうが)、僕は本家が呉服屋だったのですが、時代にあわなくなってきたせいで、年に二度ほど展示会を開くだけになっていたため、普段は洋品を扱ってました。その店です。まあ、ここに書いたものとは、随分違うものですけれども。
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