漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

ゴシック叢書プラス

2018年07月22日 | 読書録

 気が付くと、随分とブログを放置してしまっている。最近はただの読書録になってしまっているから、twitterで「読了」と書いてしまうと、なんとなく満足してしまうせいだ。でも、きちんと記録に残すという意味ではブログは貴重なので、まだ細々と続けてゆくつもりではある。

 来週、「奇妙な世界の片隅で」のkazuouさんが主催している読書会に参加する予定なのだが、その中の企画で、「自分だけのベスト10」を作って持ってゆくということになり、最初は軽く考えていたのだけれど、ぼくは何度かそうしたベスト的なリストを作っているので、何となくオールタイム的なものを選ぶと同じようなものになってしまうため、うーんと思ってしまった。で、色々と考えていたが、結局、最近好きなゴシック小説でゆくことにした。でも、ただ選ぶだけだと、ゴシック叢書をなぞるような感じになってしまう。で、考えたのが、国書刊行会の「ゴシック叢書」(全26巻34冊)を補完するようなラインナップを作ったらどうか、ということ。そもそもゴシックの定義は人によってかなり違うそうなので、もちろん個人的な趣味最優先。既訳作品のみで。
 で、色々考えた結果、とりあえず出来たのが以下のようなもの。(完全じゃないけど、なるだけ国書から出ているタイトルは避けました)

***

ゴシック叢書プラス

海外篇

●アン・ラドクリフ 「ユードルフォの謎(完訳版)」 (Ⅰ、Ⅱ)
●トルーマン・カポーティ/カーソン・マッカラーズ 「遠い声遠い部屋/悲しき酒場の唄」
●マルキ・ド・サド 「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」 (Ⅰ、Ⅱ)
●ジュリアン・グラッグ/ジョルジュ・ローデンバック 「アルゴールの城にて/死都ブリュージュ」
●シャーリイ・ジャクスン 「丘の屋敷」
●スティーヴ・エリクソン 「彷徨う日々」
●ガルシア・マルケス 「百年の孤独」 
●ウンベルト・エーコ 「薔薇の名前」(Ⅰ、Ⅱ)
●デュ・モーリア 「レベッカ」
●ジェイン・オースティン 「ノーサンガー・アビー」
●マーヴィン・ピーク 「タイタス・グローン」
●短編集(Ⅰ、Ⅱ)
  シャーロット・パーキンス・ギルマン 「黄色い壁紙」
  ウィリアム・フォークナー 「エミリーに薔薇を」
  カルロス・フェンテス 「アウラ」
  アンナ・カヴァン 「母斑」
  コルタサル 「占拠された屋敷」
  エッサ・デ・ケイロース 「縛り首の丘」
  M.R.ジェイムズ 「秦皮の樹」
  マルキ・ド・サド 「ロドリグあるいは呪縛の塔」
  デュ・モーリア 「モンテ・ヴェリタ」
  ヴァージニア・ウルフ 「憑かれた家」
  エリザベス・ボウエン 「猫は跳ぶ」
  イサク・ディネセン 「ノルデルナイの大洪水」
  ポール・ボウルズ 「優雅な獲物」
  アンリ・ボスコ 「シルヴィス」

全12巻16冊。

 編集する際に意識したことといえば、もともとのゴシック小説の中に通底する「ゴシック性」という漠然とした縛りを意識するすることと、それにはある意味で反するものになるかもしれないが、あくまでもゴシック叢書「プラス」ということで、意識的に英語圏から離れたり、確かにゴシック性を持っていると思われるが、ゴシック小説の文脈ではあまり語られないような作品も取り上げるということだった。しかし、あまり範囲を拡大しすぎないようにも心がけたつもりである。映像作品やスチームパンクから強く影響を受けていると思われる、ファンション性の高い現代のゴスは入れなかった。

 「邦訳のあるものを」と書いたので、最初にリストアップした「ユードルフォの謎」に関してはやや強引な反則技に近いが、一応ダイジェスト版は出ている。なので、完訳を出して欲しいという意味で、ラインナップに入れた。ゴシック・ロマンスは、この作品の邦訳が出ない限り、まともな議論にはなりそうもないからである。
 カポーティとマッカラーズ、グラッグとローデンバックは、それぞれが短いのでカップリング巻として。一応、共通するところのある作家を合わせたつもり。
 カポーティとマッカラーズは、どちらもアメリカ南部の作家で、かつ同性愛者。どちらの作品も、そうした二人の資質がよく出ていると思う。どこか乾いた、アメリカン・ゴシックらしい掌編二編だと思う。
 グラッグとローデンバックは、フランスとベルギーという、どちらもフランス語圏の作家。シュールレアリストと象徴派ということだが、いずれにせよゴシックの影響下にあるのではないか。ゴシックは、どこか作り物めいたところがあるものだとぼくは思っているので、より知的で芸術性高めのゴシックの代表作として選んだ。
 サドは、そもそも存在そのものがゴシックという感じさえある。思い込みの激しさも、見事なくらいで文句なし。ぼくの考えでは、ゴシックというのは、ある意味で作家の存在そのものに「ゴシック性」があるかどうかが、非常に重要であると思っている。ゴシックの感性を持つ作家がつくり上げるものは、何でもどこかゴシック性を持つものであり、ゴシック性を持たない作家は、決して本当の意味でのゴシックは作れない。それは別に小説に限らず、絵画でも、音楽でも、映画でもそうである。そういうところがあるのではないか。で、代表作のこれを、完訳版で。
 北米マジックレアリスムとか言われる作家、スティーヴ・エリクソンは、何でもよかったのだが(笑)、デビュー作のこちらを。映画を題材にしているのもいい。ハリウッドは、ある意味でゴシック・ロマンスの、かなり血の濃い、子孫であるように思えるからである。対立候補として、ポール・オースターの「ムーン・パレス」も考えたが、ハリウッドが題材という点で、こちらに軍配が上がった。
 「アメリカの小説には、ゴシックの血が流れている」というようなことが言われることがあるが、近代的なエンターティメントの原点となっているのがゴシックであると捉えるなら、確かにそうかもしれない。アメリカの初期ゴシック小説には確かに城や僧院などは出てこないかもしれないが、そもそも歴史の浅いアメリカにそんなものがあるはずもない。代わりに「謎めいた場所」の舞台として選ばれたのが、「アメリカの非情なまでに広大な大地」であるとぼくは思う。怪奇小説の「恐怖」に対してゴシックが重視するのは「崇高」だとはよく言われること。新世界であるアメリカの複雑で圧倒的な自然は、崇高さを演出する舞台として十分であったはず。
 入れるかどうか迷ったマルケスは、南米マジックレアリスムの作家だが、「百年の孤独」は特にゴシック性が高いような気がするので。南米マジックレアリスムとゴシックの関係性は、どういうものなのだろうか。何となく近いものがあるように思うのだけれど。
 エーコは、極めて知的で現代的なゴシックミステリーの代表として。他には特に述べることもない。
 ジェイン・オースティンは、ゴシック・ロマンスのパロディとして名高い作品。ゴシック叢書を補完するなら、悪くはない気がする。
 最後のピークは、ファンタジー分野から一つということで。ホジスンの「異次元を覗く家」と迷ったのだが、やはりこちらの方がよりゴシック的だということで、「ゴーメンガースト三部作」の一番最初のこの作品を。
 ジャクスンとデュ・モーリアに関しては、文句なしだと思う。一作だと分量が足りないので、ジャクスンの巻には、短編も入れたい。あるいは「ずっとお城で暮らしてる」とのカップリングも悪くないし、さらに言えば、ヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」とのカップリングでも悪くないかもしれない。ただ、ジェイムズはゴシック叢書に入ってるのですよね(まあ、ラドクリフも入ってますが)。
 短編集の方なのだが、まあこんなものかなと。記憶力があてにならないので、落としているものが多そう。ぼくは、基本的にゴシックは長い作品こそが本流だと思っているので、やや杜撰なリストになったかもしれない。それでも、挙げた作品はすべて名作であると思う。

 ついでに、日本篇も考えてみたが、こちらはかなり中途半端。日本の小説は、余り数を読んでないので。

日本篇

●夢野久作 「ドグラ・マグラ」
●村上春樹 「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」
●江戸川乱歩 「孤島の鬼」
●山尾悠子 「ラピスラズリ」
●澁澤龍彦 「高丘親王航海記」
●中井英夫 「虚無への供物」
●桜庭一樹 「赤朽葉家の伝説」
●小野不由美 「残穢」
●野阿梓 「凶天使」
●短編集
  上田秋成 雨月物語より「浅茅ケ宿」「蛇性の婬」
  筒井康隆 「遠い座敷」
  星新一 「門のある家」
  野坂昭如 「骨餓身峠死人葛」
  平井呈一 「真夜中の檻」
  小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
  小川未明 「火を点ず」
  小松左京 「くだんのはは」
  半村良 「箪笥」
  内田百閒 「サラサーテの盤」
  吉屋信子 「童貞女昇天」
  吉村昭 「少女架刑」

全10巻。

 三大奇書は全部入れるべきなのだろうが、読んでないものは入れられない。なので、「ドグラ・マグラ」と「虚無への供物」のみ。ただし、虚無の方はあまり覚えてない。
 山尾悠子は、日本では数少ない「幻想文学作家」を名乗る作家なので、入れざるを得ない。桜庭一樹も、そのものずばり「ゴシック」という人気作品を持つ作家として入れておきたい。この作品は、日本のマジックレアリスム作品として、面白さと文学性を兼ね備えた名作。
 「日本のゴシック」というものを考えるなら、ヨーロッパの城、アメリカの大地に対して、もっと土着的な「家」というか因習というか、閉鎖的な共同体が舞台になるように思えるので、島なんて良い舞台である。ピクチュアレスクという面でも申し分ない。江戸川乱歩や横溝正史は入れるべきなのだろと思ったが、横溝は余り知らないので、入れられなかった。「獄門島」は、良い候補であるとは思うのだが。
 ゴシック・ロマンスには、過去と現在の連続性、もっと言うなら、過去の現在に与える影響というものが重要な役割を果たしていて、しかも舞台の派手さ、物語の波乱万丈さに比して、実は結構小さな範囲の関係性の物語にすぎないというところがある。そういった面では、日本の風土とは相性がよさそうではある。
 村上春樹は一作、ぜひ入れたかった。あんまり言う人はいないけれど、村上春樹は、アメリカ小説の強い影響下にあるせいか、かなりゴシック性の高い作家だと思う。近年、どんどんその傾向が強くなっているようにも思える。ただし、近年の作品はあまり好きではないので、個人的に面白かったといえる最後の作品「ダンス・ダンス・ダンス」とこれで最後まで迷ったのだが、独立した作品ということで、やっぱりこちらを。
 澁澤龍彦は、小説作品で最も完成度の高いこれを。日本の幻想文学としても一級品だと思う。
 小野不由美と野阿梓は、やや苦し紛れ。デビュー以来、独特の世界を貫いている野阿さんだが、ゴシックと言っていいのか、よく分からない。小野さんの残穢は、家の怪異と正面から向き合ったユニークな作品で、非常に怖い。ただし、ゴシックなのかどうかは……。
 中上健次や倉橋由美子や三島由紀夫や森茉莉は、入ってくる可能性があるのだろうが、あまり作品を知らないので入れられなかった。それを言うなら、日夏耿之介や堀口大學などの昔の詩人も重要なのだろうが、詳しくないので入ってない。彼らに限らず、落としてる作家や作品は沢山ありそう。しかし、日本の小説から「ゴシック」という視点で選ぶと、なかなか難しい。いわゆる幻想文学ならたくさんあるのですが。ぼくがよく知らないだけかもしれない。詳しい人にガチで選んで欲しいと思った。
 短編集は、アンソロジーに常連の名作ばかりになってしまったかも。あんまり日本の小説を知らないせいもある。変わった作品としては、ひとりだけ作品が重複している小川未明の「火を点ず」。これは、「入れたかったから入れた」感が強い。ゴシックというよりは、未明の短編が童話と比べてかなり異質な味わいがあるということを示したかった。
 吉屋信子の「童貞女昇天」は、かなりゴシック的味わいの深い良い短編だと思う。
 日本でゴシックを考えるなら、「ゴシック」というより、むしろ「ゴス」という考え方で選ぶ方が良いのだろう。それはわかっている。最後の「少女架刑」は、ややそっち寄りで選んだ。以前twitterで、怪奇幻想文学研究家の中島晶也さんが「ゴスは衣装という形で城を身に身に纏っているという点で、ゴシックの正統な末裔」というようなことを仰っていて、なるほどと思ったのだが、翻ればそれだけゴシックが小さくポータブルなものになってしまったということでもある。ゴスロリが日本で人気を博したのも、もしかしたら現代日本の事情を鑑みてサイズ的にちょうど良かったから、といった感じなのだろうか。

 ということで、完成した「ゴシック叢書プラス」のラインナップですが、結局さほど物珍しさもなくて、なかなか微妙かも。特に、日本篇はかなり手を入れる必要がありそう。読書量と記憶力が圧倒的に足りない。これでもそれなりに試行錯誤したんですが(笑)。

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