漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

わが赴くは蒼き大地

2005年07月20日 | W.H.ホジスンと異界としての海
 「わが赴くは蒼き大地」 
 田中光二著
 を読んだ。1974年発表の、日本のSFでは古典の一つと言っていい作品である。

 実は僕は、田中光二の作品を読むのは、初めてだった。
 日本での海洋SFの第一人者だということは知っていたし、氏の作品には例えば「幻覚の地平線」とか、魅力的なタイトルの作品が多いとも思っていたが、それにも関わらず、長い間読まないままで来た。特に他意があるわけではなく、本当に何となく、手を出しそびれていただけだ。
 だが、海洋怪奇小説に拘っている以上、いつまでも無視しているわけにはゆかない。そう思って、ようやくこの本を手にした。
 ストーリーを簡単に紹介すると、

 遥か未来、人類は増えすぎた人口問題を解消するために海中都市に活路を見つけていた。ところが、突如現れたUFOと異星人たちによって、地上は瞬く間に壊滅させられてしまう。生き残ったのは、地球に数箇所ある海中都市で生活していた、僅かな人々だけだった。地上は異星人達の支配化にあるうえに、海には異星人たちによって変異させられた海獣たちが跋扈していたから、生き残った人類は海中都市同士の交流もすることが出来ず、「孤島」の中での生活を余儀なくされていた。だが、あるとき異星人にとって致命的なウィルスが偶然発見された。だが、そのウィルスを培養するために必要なものは、遥か遠くカリブ海にしかない。かくして両棲人であるチヒロとテレパスのジャンは、人類の英知を尽くした潜水艇「ノーチラス十世」に乗り込み、カリブにあるバハマ・シティに向かう・・・

 というもの。

 一読して思ったのは、確かに物語自体が平坦であっさりしすぎているし、若書きだと感じる部分も多いし、SFとしての新味がない(例えば、異星人の弱点がインフルエンザウィルスというのは、ちょうど映画で公開中の、ウェルズの「宇宙戦争」とほぼ同じだ)というきらいはあるにせよ、今から30年以上も前に書かれた小説にしては、今でも読むに耐えるということだった。
 何よりも、著者の海に対する思い入れが伝わってくるのがいい。読んでいるだけで、ああ、この作者はダイバーだと、はっきりとわかる。スキューバをしたことの無い人に、これは書けない。それに、サルガッソーだとかブルーホールだとか、名前が出てくるだけでわくわくしてくる場所がぞろぞろ出てくる。

 ホジスンとの関わりについて、少し思ったことを書くなら、例えばこの「アクアポリス」の位置づけが、「ナイトランド」の「ラストリダウト」を思わせる部分があるかもしれない。ただしこれはこじつけで、多分偶然でしかないのだろうが。

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2 コメント

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懐かしいですね (TK_Junk)
2016-06-19 22:22:34
懐かしいですね。
これのラスト,なんとなく思い出しましたが「諦めてそっちに行くのか?」「どうして?こんなに犠牲出して苦労して,やっとたどり着いたのに!」だったような。
中学~大学まで購読していたSFマガジン。
なんだかんだで断捨離できず,40年近く押し入れに放り込んである掲載号を掘り出して,読んでみたくなりました。
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TK_Junkさんへ (shigeyuki)
2016-06-21 13:23:01
こんにちは。
ぼくが読んだのも、もう十年以上前になりますね。今日付を見て、ちょっとクラッとしました。で、内容はもうほとんど覚えていませんでした(笑)。
ぼくはクローゼットの中の書架に積んであるのを引っ張りだしてパラパラめくってみましたが、あーそんな話だったなという感じです。海洋SFとしては、ひとつの古典のかたちの作品ですよね。上田早夕里さんの「華竜の宮」へと繋がってゆくような。
昔の雑誌は、いいですよね。捨てそびれて残った雑誌、もはや手放す気になれません。雑誌でなければ感じることの出来ないものがありますからね。で、本棚を圧迫してゆくわけです(笑)。
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