漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

風立ちぬ

2013年08月12日 | 映画
「風立ちぬ」 宮崎駿監督

を観る。

 言わずと知れた、スタジオジブリの最新作。宮崎駿作品を観るのは、「千と千尋の神隠し」以来だ。
 今までの作品と比べて、この作品の評価には賛否両論があるらしいという噂を聞いていた。観る前にちょっとネットの映画評を眺めたが、評価が両極端のようだった。ということは、実際に観てみなければどちらとも言えないということだと思った。実在の零戦の設計者、堀越二郎を主人公にしたフィクションであるということで、物議を醸すのも当然だとも言えるが、それだけにどんな描き方をしているのか気になった。宮崎駿は、なぜこのタイミングで、そんな映画を撮ろうと思ったのだろう。
 だがそうした疑問は、見終わってしまうと、すんなりと合点がいった。これは良い映画だと思う。「アニメ映画の名作」というよりは、普通に「名作映画」であると言うべきかもしれない。上映時間は二時間以上で、ジブリの映画としては長いが、その長さが気になることはないから、面白くないかもしれないという心配なら杞憂だ。庵野氏の声も、賛否があるようだが、悪くない。ちょうどいいんじゃないかとさえ思った。
 確かに内容的にはやや難しく、早熟な子であっても、小学校の高学年以上でなければちょっと理解はできないだろう。基本的には、対象年齢は中学生以上で、全く子供向きではない。だが監督がしっかりと自分の思いを伝えようとするなら、「自分では何も考えようとしない馬鹿にでも分かる」という安易さは捨てざるを得なかったに違いない。楽しめる作品にはしているが、できるだけ平易にしてさえ、このレベル以下に落とすことはできなかったのだ。
 印象的なシーンがいくつかあって、例えば関東大震災の映像。この部分は、アニメでなければ表現できない非現実的な映像を使って、より強い恐怖を描き出しているように思う。なぜ実際の堀越は体験していないであろう震災のシーンをあえて使ったのかは、少し考えてみれば誰にでも分かるだろう。かつて、日本は不況から震災を経て、満州に侵攻し、太平洋戦争に突入していったのだ。もうひとつ、印象的なシーンは、どうやら連合国軍のスパイとおぼしき、ドイツ人のカストルプが堀越に「ここにいると、すべてを忘れてしまいます。日本が満州国を作ったことも忘れます。国際連盟を脱退したことも忘れます。戦争になれば、日本は終わってしまうでしょう」と語りかけるシーン。このシーンには、時を超えた痛烈な皮肉があり、カストルプの顔は画面に大写しになって、観客に語りかけているかのようだ。彼は、おそらくは最初は意識的に爆撃機の設計者である堀越に近づいたのだろうが、彼が恋をしていて、良い青年であることを知ったせいだろうか、深入りすることをやめて、姿を消す。他にも、飛行機の残骸の中でカプローニと語るシーンとか、色々と考えさせられるシーンがある。
 この映画の評価が別れる大きな原因の一つは、現在の社会に警鐘を鳴らす映画という側面を持っていることがあると思う。右寄りの人には印象がよくない映画だろうし、左寄りの人にとっても、決して座りの良い映画ではないだろう。ネット上での極端な低評価には、その辺も大きく影響しているように思える。零戦を取り上げた映画であるということで誤解を与えぬように、前もって宮崎駿自身が、様々な場で色々と語ったというのも異例だった。おかしな曲解をされて、利用されては困るという意思表明だったのだと思う。
 そういった意味では、この映画の始まる前の映画予告で、やはり零戦を題材にした「永遠の0」をやっていたが、その主題歌を歌ったサザンオールスターズが、間髪を入れずに「ピースとハイライト」という歌を発売したのも、同じような意思表明ではないかと思う。桑田の才能を持ってすれば、もっと解釈の幅の広い、普遍性を持った歌詞を書くこともできるのだろうが、あえて解釈を間違えようがない、ストレートすぎる歌詞をつけたのだろう。タイトルからして、「ピース(平和)とハイライト(極右)」である。宮崎や桑田のように、巨大なファン層を抱えるアーティストが、自らの矛盾を認めてさらけ出しながら、それでもそうした反戦の意思表明を行うことは、非常に意味があることだと思う。
 

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